041 そして祈りは希望を結ぶ
男は墓石の前で佇んでいた。
町が眠りから解放された後、少なくない数の人間が命を落としていたことが判明し、共同墓地へと葬られた。
居並ぶ墓の中、眼前のものにはグレースの名がつづられ、色とりどりのベロニカの花が供えられている。
あの悪夢の災厄から、ちょうど三年が経過しようとしていた。
「おじさん!」
男が振り向くと、リフェールが駆け寄ってきた。
「おお、リフェール。久しぶりだな。珍しくきちんとした格好で来たな」
「そう? 前は忙しかったし、こういうのは着なかったかもね」
リフェールは自分の格好を見下ろす。
髪を丁寧に整え、黒い喪服に身を包んでいる。
以前よりたくましさが増し、だいぶ年相応の顔つきになっていた。
「おじさんの方はどう? 問題は起きてない?」
「ああ、平和なもんさ。お前や魔術協会の言っていた悪夢の影響がどこかに出るんじゃないかと心配していたが……案外この辺りは綺麗さっぱりなくなったのかもなあ」
男の返答に、リフェールは「ならよかった」と安堵する。
リフェールがロデュルの企みを破壊した結果、スロール教団と魔術協会はこぞって事態の把握に臨んだ。
これには儀式の再起を目論む意志が絡んでいた。
だがその目的が果たされることはなかった。
町ひとつ分の実害を出し、更には人類全てを巻き込みかねなかった事件。 それらの点を踏まえ、普段は自分の領域に閉じこもっている魔術師たちも、見かねて解決と自浄に当たった。
ロデュルの儀式は人の狂化と異形化を強制的に促す危険な魔術と認識され、封印指定された。
巻き込まれた町には、定期的に魔術師たちが経過を見に訪れている。
「お前の方は、不自由はしていないか?」
「うん、大丈夫だよ。仕事も覚えてきたし、色々楽しんでる」
リフェールが男に笑顔を向けると、水を差すように声が届いた。
「……楽しむのは結構ですが、監視対象としての自覚がないというのは困るのですがね。おかげで墓参りに付き合わされるし」
視線を向けると、リフェールから少し離れた後方に、いつの間にか不機嫌そうに立つ少女の姿があった。
金髪碧眼の一見麗しい容貌だが、鉄を思わせるような固い雰囲気を持ち合わせている。
「とりあえず辺りを回ってきますので、辛気臭い話はとっとと終わらせてください。それと、知り合いとはいえ一般の人間にあまり情報を漏らさないように」
念押ししながら少女はふらりとどこかへ行ってしまう。
男は思わずリフェールを見やる。
「彼女は?」
「イアンって言うんだ。僕の監視をしてる人。……って、前も言わなかったっけ?」
リフェールの問いに男は首を捻る。
「会ったような会わなかったような。どうも曖昧だな」
「あー、やっぱり何か魔術で誤魔化してるんだな。ごめんね。多分、変な影響とかはないと思うけど」
「まあ、仕方ないさ。気にするな。お前のことで色々あるんだろうしな」
謝るリフェールを気遣ってやると、彼は申し訳なさそうに苦笑した。
ずいぶん複雑な感情表現も出来るようになっている。
現在の環境がいい刺激になっているのだろう。
男は素直にリフェールの成長の証と受け取った。
ロデュル派の魔術師たちはどうにかリフェールを手に入れようと躍起になっていた。
彼さえいれば、人間の脆弱な精神や肉体からは脱却できる。
その考えは後を絶たなかった。
リフェールはこれに対し、カイルと懇意にしていた魔術師へ渡りをつけ、自身の立場について説明した。
実直に、この世界で生きていくことと、いまだ残る悪夢の痕跡を自分がどうにかしたいという話を伝える。
結果、その魔術師を始めとした穏健派の者たちが、リフェールを監視し、力の制御を覚えさせる、ということで話がまとまる。
とはいえ、ほとんどは名目上であり、今のように外出も許されている。
ロデュルに付き従っていた派閥が、先導者であるロデュル自体の喪失と、粛清の対象となって勢力を減退したのが大きかった。
「……グレース、ただいま。僕は元気でやっているよ」
リフェールが墓へ花を供え、呼びかける。
その下で眠る少女に。
「最近は色んな事を覚えたよ。魔術のこともそうだし、料理も自分で作るようになって、国や歴史のことを学んだり。それからまた絵を描き始めて。あと歌も。久しぶりだからどっちも下手だったけど、次に来るときは披露しようかな」
リフェールはとても楽しげに語っていく。
男も、じっと感じ入るようにその姿を眺める。
だがリフェールの表情がわずかに曇る。
「……でも代わりになんだか……昔のことが、すごく遠くなっているような気がする。あんなにたくさんのことがあったのに。グレースと一緒にいて、カイルと出会って……あの悪夢のことさえ、本当にその通り、夢だったんじゃないかって。おかしいよね?」
自嘲するように言うリフェールだが、笑顔は作れていない。
続ける言葉を失くしたように、視線を地面へ落とす。
「リフェール、それは決しておかしいことなんかじゃない」
男はリフェールの背中に手を添える。
リフェールが口にしている話は、人間には至極当たり前の出来事だ。
どれほど膨大な感情の波と記憶の束も、時は緩やかに押し流し、いずれ昇華させる。
「お前の感じた寂しさや悲しさを、お前の出会った人々が持って行ってくれているんだ。だからそれは決しておかしいことでも、まして嘆くことでもない。お前はこの先を、精いっぱい生きればそれでいい」
リフェールは驚いた顔をしていたが、やがていつもの純真な笑顔に戻っていた。
「そっか……ありがとう、おじさん。ありがとう、グレース、みんな」
礼を告げ、リフェールはそっと墓前に祈りをささげた。
やがて顔を上げ、使い込んだテンガロンハットを被る。
「僕は、誰かを助ける自分になるよ。グレースが僕にそうしてくれたように」
リフェールは戻ってきたイアンという少女と共に旅立っていく。
「またね、グレース。またね、おじさん」
手を振り、別れを告げる。
男もひたすら手を振り返した。
ひとり墓地へ残った男は、もう一度少女の墓を見る。
「……ありがとう。君の祈りと思いは、あの子に届いているよ」
そして男も墓地を後にする。
供えられたベロニカの花が、返事をするようにそよいでいた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
悪夢に終わりはない。
生きていればまたどこかで遭遇し、困難や理不尽に弄ばれる時もある。
少年は怪物に追われていた。
家族を惨殺され、絶望の中をひた走る。
父に買ってもらった靴は片方失くした。
母になでそろえてもらった髪の毛はぐしゃぐしゃに振り乱れている。
妹にプレゼントするはずだったおもちゃを握り締め、裸足の片足が血を流すのも構わず逃げ続ける。
怪物の息づかいがすぐ傍に迫っているような気がした。
涙で視界がにじむ。
足がもつれ、倒れ込んだ。
「あっ、ああああっ、あっ」
早く立たなければ。
そう思って動くものの、体は想像ほどついてこない。
必死に急いでいるのに、瞬時の動作が鈍く感じられるほどもどかしい。
影が少年に覆いかぶさる。
恐怖に喉から悲鳴がこぼれた。
だが次の瞬間、少年に届いたのは場違いに明るい声だった。
「大丈夫?」
少年が顔を上げる。
そこには黒髪に赤い瞳をした青年が立っており、手を差し伸べていた。
呆然としていると、青年は少年の肩に手を置いた。
「もう平気だよ。君の悪夢は、僕が引き受ける。安心して」
絶望を見抜くように告げる言葉と、底抜けの笑顔。
少年はわけが分からなかった。
けれど理由もなく安心が湧き起こり、その場で泣き出した。
「よく頑張ったね。……イアン、この子の手当て、お願い」
青年の背後から無愛想な少女が現れ、少年の怪我を渋々といった様子で看る。
戸惑う少年は、二人が何者なのか尋ねようとし。
そこへ怪物がやってきた。
「ひっ……!」
家族を切り裂いた、狼の如き異形。
恐怖がよみがえる。
まだ若干距離があるが、すぐに駆け寄ってくるだろう。
そうなれば一巻の終わりだ。
「やあ――君は悪夢生まれ? それともこっち生まれ?」
青年が、友人に話しかけるかのように気軽に声をかける。
怪物の目付きが鋭さを増す。
しかし奇妙なことに、踏み込んでこない。
「どちらでもいいでしょう。肝心なのは、ロデュルが作った悪夢の爪痕は、まだまだ残されているということです」
イアンと呼ばれた少女が青年へ言い切る。
青年は、少女の率直な物言いに、動じた様子もなく深く頷く。
「そうだね。悪いけれど、君にこの子を殺させるわけにはいかない。代わりに僕が君の相手をするよ。それが僕の使命だから。――〈杭〉」
青年は、手から白い槍を生み出す。
肉体を突き出てきた不気味さとは裏腹に、見る者の心をつかんで離さない、美しさと神聖さがあった。
「さあ、悪夢を終わりにしよう」
終
2020/11/10 一部表記を修正
何でスニーカーって書いた?




