040 黄昏の残夜
「キイイイイハハハハハ! キャハハハハア!」
戦いの開幕と同時に、リルの体に異変が起きる。
肉塊を捨て去り、少女の部分だけが独立する。
背中から琥珀色の羽根が生え、宙に浮かぶ。
露わになった下半身は、肉塊の名残のように青黒く染まっている。
リルが右腕を掲げ、雷を放った。
「くっ!」
リフェールは飛び退いてかわす。
迸る雷が周辺の大地を衝撃で抉った。
風圧だけで吹き飛ばされそうになる。
突然の変異に加え、凄まじい威力の魔術。
恐らくロデュルを喰らった影響だろう。
失敗作と称されながら、そう唾棄した父を取り込んで進化してみせた。
皮肉にもほどがある結果だ。
遠距離からの放電だけではない。
リルは空中から勢いよく突進し、肥大化した青黒い四肢で襲い掛かってくる。
リフェールは〈杭〉と〈鎧〉を駆使して受け止める。
こちらも強烈な重さの攻撃だ。
かろうじて耐えるものの、当たるごとにリルは空中で切り返し、何度も突進をしてくる。
勢いに屈し、リフェールはそのまま後方へと跳ね飛ばされた。
「キャハハハハ! 死ね死ね死ね! 出来損ない!」
追撃の雷が猛然と迫る。
リフェールは〈鎖〉を伸ばして辺りの瓦礫へ自身を引っ張った。
雷撃を避けると共に物陰へ逃れて呼吸を整える。
「逃げるな、欠陥品! お父様の言うことも聞けないガラクタが! 出てこい!」
隠れた途端、リルは激昂して周囲に魔術を撒き散らす。
慌ててリフェールは瓦礫の陰を駆け巡る。
リルが異常なまでにリフェールを敵視しているのは、才能の差ひとつでロデュルに見限られたからだ。
父に反逆し、彼の夢を成し遂げようとしなかった自分は、確かにリルにとっては出来損ないなのだろう。
そしてだからこそリフェールを倒し、自身の存在価値を証明しようとしている。
(彼女も、必死なんだ……生きるために、自分が自分であるために)
方法はともかく、リルの懸ける思いは、決して間違いではない。
だからと言って素直にやられるわけにはいかなかった。
約束がある。託された思いがある。
(ここで立ち止まるわけにはいかないんだ)
リフェールは懸命に隙をうかがう。
相変わらず辺りには天変地異のような破壊がもたらされている。
果たしてどう掻い潜ればいいか。
前回やった〈鎖〉での接近は、既に一度見せている以上、彼女は許してくれないだろう。
無理にでも魔術を受けながら進むしかないか。
だが体が持つか分からないし、距離を取られれば死を意味する。
今のリルに油断は期待できない。
手が足りない。ここに来てまた、自分の力の無さを思い知る。
ふわりと、風がよぎり、足元に二つの帽子が舞い込んだ。
カイルと、カイルの弟の帽子だ。
思わず手に取る。
屈んだ瞬間、肩からはらりとベロニカの花びらが落ちた。
魔除けの香り、グレースの慈しみが残っている。
歩んできた何もかもが、諦めるなと言っていた。
守ってくれた誰も彼もが、自分を信じろと訴えていた。
手に力がこもる。
弱気な意志を跳ね除けて全身に熱が灯った。
始まりは父の欲望だったかもしれない。
けれど悪夢を作ったのはリフェール自身だ。
(だからきっと、僕には終わらせることが出来る)
物陰から飛び出す。
考えや作戦など頭にはない。
ただ自らの内から自然と溢れ出るものを、リフェールは解き放つ。
「打ちつけるもの、呑み込むもの、纏うもの」
よどみなく呪文を唱える。
リルがその姿を捉えて雷を放つ。
かわしてリフェールは近付こうと走り出す。
「日輪を追うもの、月光を捕らえるもの」
距離が縮まる。
接近を許さぬように雷光が激しく穿たれる。
リフェールは〈杭〉を投擲して防ぎ、更に近くへ駆ける。
「黄昏を告げるもの、終焉を喰らうもの」
リルが痺れを切らし、空中から襲い掛かってくる。
こちらからも一撃を加えるチャンスだが、リフェールはせっかく近付いた距離をあっさり捨てて反転、逃げるように回避する。
「我が身の悪夢より出でよ、怪物――」
背を向けたリフェールをリルは執拗に追う。
嫌悪と敵意がこそ、彼女をリフェールにこだわらせ、直に止めを刺そうと動かす。
リフェールは振り向く。
遠間からリルを倒す手段はないはずだった。
今、この瞬間までは。
与えられた世界さえ壊せるのならば。
悪夢に関わる全ては、この意のままに。
「――〈希望〉!」
景色が歪む。
一直線に向かってくるリルを、幾重もの光の層が捕らえ、空間ごと固定する。
「なっ――!?」
虹色の楔と黄金色の咢が出現し、それに触れたリルの体を、少しずつ浄化し、消し去っていく。
励起した魔力は光の柱となって遥か天まで貫いた。
「あ、あああ、あ、あ……?」
以前に倒した時のようにリルの顔が絶望に歪みかける。
しかしそれがどこかきょとんとしたものに変わる。
「あったかい……?」
包まれた光の温かさに、リルは狂気を止めた様にリフェールを見た。
リフェールは苦渋の表情を浮かべていた。
全力で解き放った魔術の制御を必死に行なっているのもそうだが、もたらされた結果が意図とは違ったからだ。
「……ごめん」
「何で謝るの?」
「……君を元には、戻せなかった」
ロデュルを始めとする狂気の魔術師たちがリルへ施した改造は、リフェールが再構成し治療することは叶わなかった。
リフェールはただ悪夢を止めたかった、終わりにしたかった。
だが彼らの悪意は根深く、手は届かなかった。
「そう」
納得したようにリルは呟き、空を仰ぐ。
「私、向こうでは、お父様に会えるかな……?」
リルは最後にこちらへはにかみ、淡い光の粒となって天へ旅立っていった。
やがて魔術が効力を失い、光の柱が消え去る。
終息を告げるように、白雲の切れ間から日の光が差し込んできた。
「っ……」
リフェールはふっと力を失い、その場に倒れ込んだ。
全身が重い。消耗が尋常ではない。
体が急速に眠りを欲している。
悪夢の中はリフェールのために作られた領域だった。
だが、ここにそうした加護はない。
与えられた世界を壊し、直後に現実での強大な魔術の行使。
死に直結してもおかしくはない。
意識が遠のく。深淵へ誘われる。
(グレース……カイル……)
自分はきっと二人のようにやり遂げた。
力を、意志を、この上なく振り絞った。
けれど結局、それで何を得たのだろう?
この手の中には、何が残ったのだろう?
(何もない。僕はただ、逃げて逃げて……そして壊しただけ)
愛しい人も信じられる人も肉親も、何もかも。
ここにはもういない。誰もいない。
波濤のように後悔と寂寥が押し寄せた。
『必ず生き残れ! 戻ってくるんだぞ!』
「っは……ぐ、う」
それでも。
息を吸う。痺れる肺に、か細く空気を送り込む。
生まれたての小鹿のように震える四肢に力を入れ、体を起こす。
『負けるなよ』
歯を食いしばる。
安穏とした死の誘惑から意識を浮上し、自らの足で立つ。
『大丈夫……貴方はもう全て取り戻したのですから。悪夢の外を、本当の世界を、その目で見て生きてください。どうか末長く……』
目を開く。
太陽が燦然と輝き、光を浴びせる。
世界はそこにあった。
誰に言われるでもなく、初めからずっといた。
今ようやく自分は、それに気が付いたのだ。
「僕は……僕は生きるよ。この世界に。……ありがとう」
約束を胸に、告げる。
知らず涙が一筋、頬を伝った。
そしてリフェールは、静かにその場を後にした。
風が吹き、花が舞い、光が満ち、決然と生きるものを祝福した。
ヴァナルガンド:北欧神話の魔狼フェンリルの別名。
ヴァン河の怪物。ヴァンは希望という意味。
ヴァン河は捕らえられたフェンリルのよだれから出来た河。




