039 天明
その町は静かに夜明けを迎えていた。
悪夢に取り込まれ、狼獄の街の風景を形作っていた災禍の跡地。
朝日に照らされながら住民たちが眠りから解放され、次々に何があったのかと戸惑いの表情を浮かべる。
男――リフェールとグレースが悪夢の中で助け出した男性だ――もその中にいた。
彼は真っ先に動き、町の様子を見に行く。
すると異変に気が付く。
町の中心が、そこだけ天災にでも遭ったのか、放射状に吹き飛んで崩壊していたのだ。
地肌をさらす大地の周辺にはまとまった瓦礫が散乱し、衝撃の凄まじさを物語っている。
およそここに生きている人間はいないだろうと思われた。
だがひとつの人影があった。
人影は地面に俯くようにして座り込んでいた。
生き残りだろうか。男は近づく。
予想より人影は大きい。
いたのはひとりではなかった。
近寄ると、座り込んだ黒髪の青年と、その腕に抱かれている銀髪の少女の姿が目に飛び込んだ。
「グレース……ごめん、ごめんよ……」
青年は少女をかき抱き、悲しげに肩を震わせて泣いていた。
少女の方はぴくりとも動かない。血の気の引いた様子で、体には何かで突き刺されたような大穴が空いている。
無残な傷とは裏腹に、その顔はまるで使命をやり遂げたように穏やかで、安らぎに満ちている。
二人の周りには、どこからか漂ってきたのか、灰色の花びらが舞い落ちていた。
魔術師でない男に悪夢の中の記憶はなく、青年にも見覚えはない。
しかし男は青年が嘆いている理由を察した。
恐らくここで起きた何かのせいで、彼は大事な人を亡くしたのだ。
青年はひたすらに泣き濡れている。
「おい、君――」
放っておけず、男は青年へ声をかけた。
瞬間、辺りの瓦礫の一部が凄まじい勢いで吹き飛び、中から何者かの姿が現れた。
「……何故だ!? 何故、拒む!?」
血走った目をした老人――ロデュルだった。
あちこち傷付き荒く息を吐いてはいるが、魔力は健在だった。
ロデュルは青年――リフェールを睨み付ける。
その恨みがましい視線や発する不気味な雰囲気は、傍で見ている男にすらはっきり危険と分かるほど異質だった。
「何故、お前のために用意された道を受け入れない!? 何故、私が手に入れられなかった物を初めから持っているお前が、そんな真似をする!? たかが小娘ひとりがなんだというのだ! そんなことでお前は、お前に与えられたものを捨て去るというのか!」
明らかに独善的な言葉をぶつけてくるロデュルに、事情を知らぬ男も思わず鼻白む。
口出ししようとするも、先にリフェールが答えを返した。
「父さん……もう、もう無理だよ」
リフェールがゆっくりと首を振る。グレースを一層強く抱きしめる。
彼にはもう、知ってしまった思いがあった。
「グレースが、ずっと僕を守ってくれていたんだ……本当の意味でこの先の世界を生きるために……だから僕はもう、あなたには従えない。あなたの与える世界にはいられない」
取り戻した記憶が、悪夢の中の歩みが、ロデュルの作る道を選ばせなかった。
ロデュルが紅潮を通り越して青ざめるほど憤慨し、銃を構えながら喚き散らす。
「ふ、ざけるな! 貴様がそんなことを口にしていいと思っているのか! 余計なことなど考えるな! お前は、私が、がっああああ!?」
ロデュルの叫びに何かが割り込んだ。
青黒い蔓が老魔術師の体を貫き、持ち上げる。
「キャハハハハ! お父様お父様お父様! キャハハハハ!」
耳障りな嬌声と共に、少女の姿が生えた肉塊が地面から飛び出してくる。
「な、何だありゃ!?」
現実では初めて目の当たりする異形に男は仰天する。
リフェールも思わず目を瞠る。
倒したはずのリルが何故ここにいるのか。
よく似た姉妹か、あるいは本体が外へ逃れていたのか。
「かっ、し、失敗作、が……! 離せ、この間抜け――」
「イ・ヤ。いただきまーす」
狼狽え身悶えるロデュルを、リルは嬉しそうに肉塊の大口を開け、そこへ向けて放り込む。
「まっ――」
リフェールの時とは違い、抵抗する間もなく口が閉じた。
ぐちゃぐちゃと咀嚼音が響く。
断末魔は上がらなかった。
「キャハハハハ! これで一緒、ずっと一緒よ、お父様! キャハハハハ!」
あまりの出来事に、男もリフェールも呆然となる。
世界全てを飲み込み、知恵ある者を神へと押し上げ、更にそれを支配する神へと至ろうと画策した老魔術師は、あっさりとその野望と生涯の幕を閉じた。
「これで私が完璧だから~、出来損ないのお前はいらない。あとただの人間もお父様の世界にはいらない」
リルがこちらを振り向き、敵意をぶつけてくる。
既にロデュルの目論んだ新世界の構築はリフェールが壊してしまっているのだが、リルの中では終わっていないらしい。
「……おじさん。逃げて」
リフェールが告げる。
恐怖に固まっていた男は、震えながら青年を見返す。
「に、逃げろって……君はどうするんだっ?」
「僕は、あの子と戦う。悪夢を終わらせる、そう約束したから」
リフェールが〈杭〉を構え、真っ直ぐに前を向く。
どこか覚えのある赤い瞳。
あの時は茫洋としながらも子供のように純真な眩しさがあった。
今度の目は、奥に悲しさと優しさを秘め、荘厳な意志をたたえている。
男は青年の決意を悟る。そして言った。
「その子、預かろう」
「え?」
「抱えたままあれには立ち向かえないだろう。大事な子なんだろう? 私が守っていよう」
「……ありがとう、おじさん」
よほど大事な相手であることは想像に難くないが、青年は信頼した様子で男に少女を託した。
男も青年のことを、その意志と使命を、わけもなく信じていた。
見たこともない怪物に立ち向かうというのに、死地に訪れるだけの状況でしかないのに、必ず成し遂げて帰ってくると、信じて疑わなかった。
「いいか! 必ず生き残れ! 戻ってくるんだぞ! 約束だからな!」
男は、少女を大切に抱えてその場から離れる。
「ありがとう……必ず」
駆けていく男の背に、もう一度青年の感謝と決意の言葉が届いた。




