038 夢の終わり
「しつこい小娘だ……! 夢幻の領域にしがみついただけの幽鬼風情が、いつまで我々の足を引っ張るつもりだ!」
ロデュルの聞き捨てならない台詞に、ぼろぼろのグレースは必死に立ち上がる。
「……我々、我々ですって? 一体いつ、あの人がそれを望んだというのです。何もかもあなたの望みでしかないでしょう! いくら血の繋がりがあろうとも、リフェール様はあなたの玩具ではないのよ!」
剪刀から蔓を伸ばし攻撃する。
だが何度やっても今まで通り、ロデュルの圧倒的な魔力の波に遮られ壊滅する。
「親が子を導くことの何が悪い! 無駄な足掻きもいい加減にしろ!」
雷火が放たれ聖堂の床を穿つ。
グレースは風の加護によって直撃を免れるものの、衝撃だけで自分の体が散っていくのが分かる。
この場に立てる時間は着実に削り取られている。
(それでも……!)
諦めない。
自分の死など厭わない。
グレースにとっては主が戻って来ないことこそ真に敗北を意味する。
今なおリフェールが記憶の淵に手をかけ苦しんでいるのなら。
自らを世界諸共飲み込んでしまおうとしているのなら。
それこそが間違いなのだと教えてあげなければいけない。
たとえその手の犯した罪がどんなに重く圧し掛かろうとも。
かけられた期待以外に成せることのない道行きだろうとも。
貴方に生きて欲しい。
それだけが望みなのだ。
「リフェール様!」
祈りを込めて主の名を叫ぶ。
幾度積み重ねただろうか。
無意味ではないかと、自分自身信じ切れなくなることもあった。
だが今この瞬間だけは、声は届いている。
主と自分の意識は繋がっている。
「っ、貴様!」
はっとなったロデュルがリフェールを振り返る。
ベロニカの花がリフェールの体を守るように囲んでいる。
立ち向かい続けたグレースはその陰で、リフェールが取り落としたお守りの花びらからずっと主へ呼びかけていたのだ。
リフェールはいよいよ半身と一つになった。
体が光に包まれたかと思うと、一匹の白狼となって立ち上がる。
そして天に向けて吠える。
オオオオオオオオオオォォォォォォ――――
遠吠えは聖歌の如く世界を明かし、揺らめかせ、ひび割れさせた。
周囲に黄昏色の光が灯り、空間ごと天へ向かって崩落していく。
「ばっ――やめろ! よせ、リフェール! 何故、お前のための世界を手放すのだ!?」
狼狽したロデュルが止めようとするが、崩壊する世界ごと吸い出されていく。
妄執の叫び声が悪夢の果てに消えていった。
同時にグレースも、光の彼方へと連れ去られる。
◆◆◆◆◆◆◆◆
ただ白光だけが冴え渡る。
安息の地にも似た、夢幻の終わりが見せるわずかな残響。
その中でリフェールは、グレースと出会った。
「ああ……ようやくすべて取り戻されたのですね……よかった」
グレースは穏やかに微笑み、佇んでいる。
その身は既に薄く揺らめいていて、話す端から光の粒となって散っていく。
「グレース……! 僕は……僕はずっと、気付かなくて……! ごめんなさい……ごめんなさい……!」
リフェールはひたすらグレースに詫び、そして己を罵った。
彼女がどんな思いで見守っていたか。
記憶を失った自分にもう一度傷を植え付けぬよう、どれほど気遣っていたか。
リフェールを連れ出したことで理不尽に殺され、なおも悪夢の中で残酷な目に遭い続けていたにもかかわらず、いかに彼女は忠誠を尽くしてくれたか。
それは気付かなかったで済ませていい出来事ではない。
自ら罰するだけでは到底足りぬ所業だ。
彼女の手によって裁かれなければならない。
しかしグレースはゆっくりと首を振った。
「いいんです。私はただ、貴方を守るという自分の思いに従っただけ。貴方が自分を責める必要も、まして苦しむ必要もないんです」
「だけど……それじゃ君は……!」
「私こそ謝らなければ。私は、最初からずっとこうなるって知っていましたから。一緒にここを出るという約束、守れなくてごめんなさい」
グレースが申し訳なさそうに告げ、そっとリフェールの頭を抱きしめる。
柔らかな温もりと花の香りがリフェールを包んだ。
涙が止まらない。
「そんなの……そんなのいいよ! グレース、お願いだよ、行かないで! 君がいなくなったら、僕は……!」
「大丈夫……貴方はもう全て取り戻したのですから。悪夢の外を、本当の世界を、その目で見て生きてください。どうか末長く……」
「待って……! 待ってよ……!」
グレースの姿が遠ざかっていく。
リフェールは追いかけようとするが、距離は縮まらなかった。
やがて目も眩むほどの光が溢れ、その場の全てを覆い尽くした。




