037 嘆きの果てに
「リフェール様!」
グレースはやっとの思いで聖堂にいる主の元へ辿り着いた。
だがリフェールは黒狼と半ば融合した姿で苦しんでいた。
「っ――あああああああ! うあああああああああ!?」
急いで傍へ駆けつけようとする。
しかし行く手を塞ぐようにロデュルが立ちはだかる。
「どうやってここへ来た? この神域は死者の立ち入れる場所ではないぞ?」
「さあ……きっとどこかにお節介な魔術師がいたんでしょう」
軽口を叩きながら剪刀を取り出し構える。
ロデュルが不快そうに眉を寄せ、グレースの身に起きた出来事を看破する。
「風の加護……なるほど、カイル・ノートか。神化の誘いを断ったあげく、こんな所でも邪魔をするとは。お前といい、つくづく不愉快な人間だ」
グレースはロデュルがカイルを知っていたことに驚く。
同時に、彼らに与しなかったという話に、改めてカイルへ感謝と畏敬の念が湧いた。
ロデュルが居丈高に口を開く。
「何故、私の気に障る真似ばかりする。何故、お前たちはくだらない信念ばかり持って生きるのだ」
「くだらない、ですって?」
「そうだ。カイル・ノートは強者だった。だが奴は『金のため』などという低俗な価値観に流され、自らを新たな段階へ進める機会を永遠に失った」
「それの何がいけないというのです?」
「強者には己の力を振るう義務と責任がある! 世界をより良い方向へ導く使命を担っているのだ! それを放棄した人間などただの愚者に過ぎん!」
ロデュルが敢然と否定する。朗々とした声が聖堂内に響き渡った。
リフェールを助けることしか頭にないグレースさえ、一瞬気後れするほどの熱のこもりようだった。
「リフェールには器としてふさわしい才能がある。愚者を間引き、真なる知恵を持った魔術師たちに祝福を与える次代の世界の神としての器が。私ですら届かなかった物を持ち合わせているのだ。これをただ見過ごすような真似ができるものか!」
グレースは、傲然と告げる言葉の中に、ロデュルの妄執染みた思いが混ざり込んでいるのを聞き逃さなかった。
本人は気付かないまま、ただグレースを敵視する。
「これは私の息子だ。私が好きに扱って何が悪い。何故、邪魔をするのだ!」
「……あなたには一生分からないままでしょう。あなたの理由がどうあれ、私の取るべき行動はひとつです。彼を解放する。それだけです」
真剣な眼差しを返すグレースに対し、ロデュルが鬱陶しげに鼻を鳴らす。
「出来るものならやってみるがいい。既に儀式は整っている。リフェールが元に戻れば全ては終わる」
獣と融け合うリフェールを示し、ロデュルは不敵な笑みを浮かべる。
「所詮お前ごときが抗える定めではないぞ」
「っ、リフェール様!」
自己を見失っていく主を呼び戻そうと、グレースは必死に叫び、老魔術師に立ち向かう。
◆◆◆◆◆◆◆◆
リフェールは闇に落ちていく意識の端で、決死の覚悟で立ち向かうグレースと、それを迎え撃つ父ロデュルの姿を捉える。
ロデュルの対応は苛烈だった。
逃亡した自分たちを見つけた時のように、容赦なく力を振るう。
あの時は痛めつける目的で加減されていたが、今は違う。
剪刀から蔓を出すグレースの拙い魔術では、ロデュルの莫大な魔力には抗しきれない。
炸裂する魔術を前に、彼女は何度も吹き飛び、傷付いていく。
その度にリフェールは血を吐くような思いを味わった。
(もう、もう守らなくていいから……僕が君を、殺してしまったのに……!)
これは報いだ。
自分が外の世界なんか求めたりしたから。
罰せられるべきは自分なのだ。
だというのに彼女はまた傷付いている。
守られる必要などない。
このまま闇に委ねて消えてしまえばいい。
そうすれば何もかも終わるのだ。
――本当にそれでいいのか。
誰かの声。一人ではない。聞き覚えがある。
――本当に終わってしまっていいのか。お前の身に起きた、全てを失くしてでも。
それは今まで出会った人々の声だった。
悪夢から助け出した男の声。カイルの声。執事や歌を教えてくれた女性の声。リルや父の声もする。
グレースの笑顔がよぎる。
そして自分の声がする。
「本当に、それで、いいのか」
闇に包まれ地に伏したリフェールを、半身が冷たい表情で見下ろしている。
「……だって、だってどうしたらいいんだ! グレースはずっとずっと僕を守ってくれていた……なのに僕は、彼女を殺してしまったんだ! 自分がどうすればいいのか分からない、分からないんだ!」
リフェールは泣きながら訴える。
殺してしまったグレースの思いを、自分はずっと何も知らずに受け取っていた。
一体何をすれば贖えるのだろう。
自分には何もない。出来ることも、知っていることも、与えられるものも何一つとしてない。
それでも報いなければならないなら、どうすればいいのだろう。
もう自分の命を絶やす以外、思い付かない。
半身が指を差す。
闇の外、戦うグレースの様子。
「リフェール様!」
呼びかける声が、痛みを伴ってリフェールの意識を覚まさせた。
グレースは一切怯むことなく、ロデュルへ挑み続ける。
何故? 自分を救うため。
何故? それが彼女の使命だからだ。
自分に救われる価値などあるだろうか。
助かったとして、この先何を為せることがあるのだろうか。
だがそんなことは関係ない。
大事なのはただ、グレースが自分を助けようとして戦っていることだ。
だから――本当にこのまま消えてしまっていいのか。
(――そうだ。なかったことになんて、しちゃいけない)
向き合わなくてはならない。自分の罪と。
立ち上がらなくてはならない。彼女の思いに応えるために。
まとわりつく闇の中から、リフェールは這い上がる。
半身はまだ冷たく見下ろしている。
何故、自分は自分を無意識に二つに分けたのか、その意味をはっきりと悟った。
「ずっと君が……代わりに憎んでいたんだ。泣いてくれていたんだ」
記憶の欠如、情緒の放棄。
そのどちらもが、自らの罪に耐えかね逃避を選んだ結果だった。
悪夢とはすなわち自分自身だった。
「なら、今度は僕がそれを背負わなくちゃ」
立ち上がる。
半身は、もうこれで泣かなくていいのだというように、目を伏せてリフェールの方へ近づき、ふっと重なり融け合った。
全てを取り戻した。記憶も、罪も、痛みも、何もかも。
行かなくては。自分はここを出ると、約束したのだ。
「悪夢を、終わらせるんだ……!」




