036 灰の花
私の両親は人間の見る夢について研究をしている変人だった。
町の人間からは煙たがられていて、手酷い扱いや不便を強いられた場面をよく記憶している。
もっとも両親は周りの反応など一切気にしなかった。
ただひたすら己の研究に没頭していた。実の娘のことすら顧みずに。
町の疎外は子供の私にも容赦なく降り注いだ。
両親を恨み、同時に徐々に関心を失くしていったのは必然と言える。
そんなある日、買い物のために家を離れていたわずかな時間。
実験の爆発事故が起き、両親は私を残してあっさり死んでしまった。
あまりに唐突すぎて私はその時の自分の気持ちをうまくつかめなかった。
悲しみは湧かなかった。だが嬉しいと思うほど薄情にもなれなかった。
壊れ燃え尽きた家を見ながら私は途方に暮れていた。
明日からどうやって生きていけばいいのだろうか。
元々厄介者扱いされていた自分を助けてくれる相手など、この町にはいない。
だが救いの手は突然に差し伸べられた。
男はロデュルと名乗った。
昔、両親の研究に大いに関心を寄せ、知り合いとなった学者だという。
ロデュルはひとしきり両親の死について痛ましく感想を述べた。
両親と心を通わせることのなかった私は彼の話を半ば聞き流していたが、提案については聞き漏らさなかった。
「実はちょうど、うちの屋敷で働ける人間がいないかと探していてね。それにご両親の忘れ形見である君をこのまま見捨てるのも心苦しい。どうだろうか?」
私は一も二もなく頷いた。
後から考えれば胡散臭いことこの上ない話だ。
彼が両親と知り合いでなく、ただ単に私を囲い込もうとしている可能性だってあった。
だとしても行く当てのない以上、私に他の選択肢はなかった。
そしてあの屋敷で、私は私の主と初めて出会った。
「リフェール、新しくお前の世話をするメイドのグレースだ。これからは彼女の言うことを聞くように。いいか、余計なことは、するな」
ロデュルは私に話しかけてきた時とは別人のように厳しい声音で告げた。
通された部屋にいたのは青年だった。
窓際で椅子に腰かけ、何が楽しいのかぷらぷらと足を揺らしながら、茫洋とこちらを振り返る。
黒い髪と、褐色とはいかないが白人種より色濃い肌。
宝玉のような赤い瞳が関心と倦怠を同居させて無遠慮に私を眺めてくる。
「分かったよ、父さん」
ロデュルは返事を聞き届けると、後を任せてさっさと出かけてしまう。
いきなり二人きりにされ、何を言うべきか私が戸惑っていると、先にリフェールが口を開いた。
「ねえ――君はいついなくなるの?」
面白がるように、からかうように、尋ねてきた。
(何だ、こいつは)
第一印象はそれに尽きた。
だが日々の暮らしで彼にまつわる事情に触れていくと、そんな言葉が出るのも無理はないと察した。
リフェールは見かけとはかけ離れてとにかく無知だった。
掃除や明かりなど日常的に使う道具、料理やその素材、屋敷の部屋や構造の目的、庭に生える草花、天候や天体、おおよそ毎日関わっているはずの出来事に対してすらまるで知識がない。
仕方なしに私が教えると、リフェールは大いに喜び、次からあらゆる物事について毎回尋ねてくるようになった。
時折、私自身も詳しく知らない物にぶち当たることがあり、その場合は答えが得られるまでしつこく付きまとい、こちらの仕事を邪魔してきた。
まるで子供だ、と私は思った。
それもそのはずで、リフェールはこの屋敷から出たことがない。
「本当は物を教わったりしちゃいけないんだ」
ロデュルからも余計なことを覚える必要はないと釘を刺されているようで、絵や歌など多少知っていることはあるものの、それを練習することすら禁じられていた。
ちなみに母親は死別している。高貴な血筋の姫巫女だったらしい。
はっきり言って異常だ。
いくらロデュル一人で面倒を見切れないとはいえ、こんな育て方があるものだろうか。
自分のところが悪かっただけに、世の中の親とは皆こういうものなのかと錯覚しそうになる。
厄介なところで働くことになったぞ、と当時は思ったものだ。
悪い予感は的中する。
ある時、大勢の客が屋敷を訪れた。
ロデュルの知り合いの学徒や宗教関係者が来たとしかその時は思っていなかったが、訪ねてきたのはスロール教団と魔術協会の人間だった。
そして私は深夜、屋敷の地下であの儀式を目の当たりにする。
それは狂宴であり冒涜的な交合であり人の形をしただけの獣の集まりだった。
意味があるかも分からない享楽を誰も彼もが貪り、互いに汚し合う。
何もかもが恐ろしかった。
目に映る光景も、自分自身がいつ見つかるかという窮状も。
だがもっとも恐ろしかったのはその中心にリフェールがいたことだ。
彼はロデュルの言葉に従い、周りの人間に蹂躙されていく。
正悪の区別すら付きそうにない無知な青年が役割を与えられ、それをひたすら果たす。
くずおれても誰も容赦しない。
汚辱と鮮血にリフェールを染め上げ、皆暴虐に顔を歪ませる。
リフェールと目が合った。
心臓が凍り付いた。
リフェールは告げ口することもなく、笑いかけることもなく、ただ諦観に満ちた表情で静かに首を横に振った。
見て欲しくないのか、あるいはここにいてはいけないと警告したのか。
いずれにせよ私には最後まで見続けることは出来ず、無我夢中で自室まで戻って鍵をかけた。
身を守るように頭から毛布に包まり、一晩中震えていた。
翌朝、私は内心の怯えをひた隠しながら、ロデュルが出かけるのを玄関で見送った。
誰も目撃されたことには気付かなかったらしい。
(逃げよう)
夜の内は恐怖で動けなかった。
今なら問題ない。
こんな屋敷に一秒だって長くいられるものか。
急いで荷物をまとめようと自室へ向かい。
「あ」
リフェールと出くわした。
血の気が引いて我を忘れかけたが、私はすぐに駆け出した。
「待っ――」
リフェールが声をかけてくるが当然無視だ。
自室に飛び込むと邪魔されないよう鍵をかけ、即座に荷造りを始める。
「……グレース。やっぱり行くんだね」
扉の外から声がする。
煩わしい。消えて欲しい。
こっちはもう、関わり合いになどなりたくない。
「うん、きっとその方がいい。……僕は、何も知らないから、何も分からないから、父さんの言うことには従わないといけないと思ってる。でも、やっぱりそれは他の誰かから見たら、間違ってるんだね」
独白が届く。
知らない。知ったことじゃない。
「前もそうだったんだ。でもこれが間違ってると言った人はみんな消えてしまった。いなくなってしまった。君にはそうなって欲しくない」
気遣うような言葉。
一瞬手が止まりかける。
惑わされるな。耳を貸すな。
「無事に逃げて。それと……勝手な願いだけど、僕の代わりに君は世界を見てきて。どこまでも、遠くへ。僕はもう、ここから抜け出せないから」
その台詞を最後に、扉の前から気配が離れた。
……本当に逃げるのを見逃すつもりらしい。
どういう意図だろうか。
何故あんな目に遭った後、他人の心配など口に出来るのだろう。
知るものか。構うものか。
もう誰かに関わるなどごめんだ。
誰かの都合に振り回されるなど願い下げだ。
これからは自分のためだけに生きる。
そうだ、他人なんて知ったことか――
(私の両親のように?)
つと浮かんだ考えにぎくりと身が強張る。
心の奥底で、鏡の私が卑しい笑みで見返していた。
やめて。やめて。
逃げなければ、いけないのよ。
どうだっていいでしょう。
不幸に見えても勝手に私が思っているだけ。
同情する必要なんてない。
(僕の代わりに、と言ったわ。何もかも諦めてるつもりでも、本当は願っている思いがある)
見捨てたって誰も責めないでしょう。
バレれば、失敗すれば、死ぬのよ。
自分だけでも助かるべきだと、彼もきっとそう思っているはず。
だから逃げなければ。
遠くへ、誰にも見つからない場所へ。
私は自室を抜け、一直線に走った。
「ここから一緒に逃げましょう」
手を差し伸べる。
私はリフェール様と逃げることに決めた。
眼前の主は、ダメだと言うように諦めの色と、今にも泣き出しそうな表情とを浮かべている。
それでも私は頑なに彼の手を取った。
これは憐みだろうか。単なる両親への反発という呪いだろうか。
だがどちらでもよかった。
いずれにせよ私は、私の命を懸けて彼を守ると誓った。
そうして逃げて逃げて。遠くへ逃げて。
……それでもなお、ロデュルの手は追ってきた。
「残念だよ、グレース。君のご両親は立派な研究者だった。彼らは最後まで我々に協力し、新たな世界を作るための礎となってくれたというのに」
スロール教団と魔術協会、ロデュルの意に従うそれぞれの手勢が私とリフェール様を取り押さえる。
ロデュルは平静に語ったものの、凄まじい怒りに打ち震えている。
息子が自分の意に添わないなどという話は、彼の中ではあってはならない事態なのだろう。
それを内外に示すかのように、ロデュルは持っている杖でひたすらリフェール様を殴りつけた。
ロデュルにとっては折檻のつもりなのだろうが、私の目には虐げているようにしか映らない。
何故、血の繋がった子供にそんな真似が出来るのか。
だが地獄はその後だった。
「君には新世界が生まれた後、リフェールの子を産む母体となってもらう予定だった。だがこんな逃亡までしておいて、五体満足で生かしてやるつもりはない。せっかくだ。その命、神域の形成に使わせてもらおう」
そう言って彼らは私を、狼獄の街を作り上げる贄として捧げようとした。
無論、私一人の命で広大な領域など生まれるはずもない。
これまでに彼らが集めた多数の犠牲者、その中に私が組み込まれるというだけの話だ。
短剣で貫かれ、床に縫い止められる。
最終的に魂さえ無事であればよいというおぞましい発想で、体の方は容赦なく傷つけられる。
「逃げて……」
私はせめて主にだけでも逃げて欲しいと呟いた。
リフェール様は泣きながら私の方を見ていた。
そして――
「ああああああああ……! うあああああああ!?」
それまで自身の境遇や状況を恨むことのなかった青年が、自らの身を獣と変えてまで初めて怒りと憎悪に猛り狂った。
ロデュルを、教徒を、魔術師を、片っ端から吹き飛ばし、引き千切り、闇へ飲み込んだ。
これは誰のせいだ。
私が止めなくてはならない。
この場にいるのがいかに報いを受けるべき者ばかりであったとしても、リフェール様にそれを続けさせたくはなかった。
突き刺さっていた短剣を抜いて起き上がり、駆ける。
暴走する主の前へ身をさらす。
閃く爪、止める間もなく私の体を貫き。
「……あ」
主の瞳に光が戻る。
私はただ痛みも忘れて呼びかけた。
「リフェール様、どうか自分を見失わないで……」
そっと顔をなでる。
だがすぐに私の手からは力が抜けていく。
嘆きと悲しみの咆哮が上がる。
繋がりかけの儀式が、ロデュルたちの意図ではなくリフェール様の意志を反映して閉じていく。
――彼を、守らなければ。
薄れゆく意識の中、そんなことを思った。
そして次に目が覚めた時、私は眠り続ける主と共に、悪夢の中にいた。




