035 真実の罪科
襲い来る漆黒の狼。自らの半身。
離れた位置から影を操り、その奔流がリフェールを吹き飛ばす。
「ぐうっ!」
力や速さだけではなく、魔術による攻勢も凄まじい。
間違いなくこれまで戦ってきたどの異形よりも強い。
だが問題なのは別の部分だ。
――出セ!
頭に届く声。近付かれる度に喚き響く。
呼応するようにどくどくと心臓が脈打つ。
――思イ出セ!
影の爪が〈鎧〉ごとリフェールを薙ぎ払う。
かろうじて立ち上がりながら、狭い礼拝室を抜け出す。
(思い出せ? これ以上何を?)
自分の名も存在も既に思い出している。
だがそれでは足りないというように、狼は更に加速して迫る。
――思イ出セ! オ前ノ罪ト罰ヲ!
迎撃する間もなく突進を受け、激しく地面を引きずられていく。
罪、罰。一体何に対するものか。
――オ前ハ、ドウヤッテ街ヘ来タ!
もどかしい苛立ちをぶつけるかの如く、声は響き続ける。
牙と爪がリフェールの頭をもぎ取ろうと凄まじい膂力で迫る。
必死で抵抗する最中、ふと狼の顔に目が留まる。
(泣いている……?)
涙を流しているわけではない。
だが怒りのまま、狂うまま襲い掛かってきているのとは違う。
咆哮は嘆きであり苛烈な攻勢は苦しみだった。
突き刺さった槍の傷、そこから生えた茨の疼き。
誰が貫き、蝕んだのか。
感情の波が伝わってくる。
傷は象徴であり、罪と罰の証だ。
槍を突き刺し縛り付けているのは半身それ自体だ。
――誰ガ殺シタノダ――
ずくん、とひと際強くリフェールの胸が脈打った。
(殺した……?)
ベロニカの花の加護はもう無い。
呼びかける半身が記憶を揺り起こす。
(僕がここへ、この街で目を覚ます前の記憶は)
囚われていた。
あの懐かしき屋敷に。
だが彼女は言ったのだ。
「ここから一緒に逃げましょう」
二人で逃げ出して。
逃げて逃げて、ひたすら遠くへ行き。
それでも父の手は追いついて。
眼前で蹂躙される彼女。初めて湧く衝動、周囲に対する憎悪と殺意。
視界が赤く染まる。右手に肉を貫く感触が甦る。
漂う花の香り、それに層倍する血の香り。
悲しみに包まれた彼女の顔――
「――リフェール様!」
呼びかける声。彼女がいた。
息を切らせ、今にも消え入りそうな姿のまま聖堂へ辿り着いていた。
どうやって、と疑問に思う間さえなかった。
自失したリフェールの暴走を止めようと割って入ってきた、あの時の情景と今が重なる。
――思い出した/自分ノ罪ヲ/そうだ、僕が/彼女ヲ/殺したのだ
「っ――あああああああ! うあああああああああ!?」
背くことの出来ない真実を呼び覚まし、リフェールは叫ぶ。
罪悪感と己への憎しみが自我を溶かしていく。
自分が消えていく。同時に半身が混ざり合う。
それは悪夢の再来であった。
忘我の果てに生まれた獣があらゆるものを飲み込み閉じ込める。
悪夢の始まり、その再現が行なわれようとしていた。




