034 終焉の玉座
ステインはあり得ない出来事に目を見開いていた。
「何故あの小僧に反応する……?」
大穴の空いた壁の向こう、礼拝室の中でエフリールと名乗った青年は狼に組みしだかれていた。
牙が迫り、今にも頭ごとかじり取られそうな状態だ。
ステインは咄嗟に助けるかどうか迷った。
才能ある器としては惜しい。自分の支配を受ける前提であるならば十分使い道のある駒になるだろう。
だが先に息子が反応した不可解さの答えを見つけるべきだ。
かろうじて牙と拮抗しているエフリールを、ステインはより深く観察する。
魔術による探査も駆使して内奥を調べ、そして覚える違和感。
微かな花の香りが紛れ込む。
「……まさか」
ぎろりと睨むステインの眼前では、エフリールが狼を跳ね飛ばして起き上がる。
手に骨の槍を生み出し、魔術による身体操作での強化を施すと、狼と本格的に対峙する構えに入る。
その瞬間、ステインは狙いを定めてエフリールの胸元を掠めるように魔力を込めて銃弾を放った。
「っ――」
不意打ちにたじろぐエフリールの体から、手の平に収まるような小さな包み袋が弾け飛んだ。
床に落ちた袋からは白色の花びらが無数に散らばった。ベロニカの花だ。
ステインは改めてエフリールに目をやり――そしてその正体と、何が起きていたのかを理解した。
「なるほど……偽装に偽名……グレース、私を謀ったかっ」
ステインにとっては大きな邪魔はこれで三度目だ。怒りで頭に血が上る。
しかしその怒りもすぐさま息子を見つけた喜びに打ち消された。
人の姿を保った息子と、狼の姿をした息子とをそれぞれ見やる。
「リフェール! お前はあの時、自分を二つに割ったのだな!? 私がこの街でお前の後を追えなくするために!」
ステインは叫び、自らも偽装を解いた。
壮年の紳士の顔が、狂気と狡猾さをにじませた老人へと変わる。
「父、さん……」
それはリフェールの記憶の中で、靄をかけられたように曖昧だった、父ロデュルの姿であった。
動揺する息子に、ステイン――ロデュルは歪んだ笑みを向ける。
本来、リフェールには位置を報せる信号が、ロデュルの施した魔術によって発せられている。
予定外の街への混入の後、その信号はかなりおぼろげな反応に変わってしまっていた。
それゆえロデュルは一息にリフェールの足跡を辿ることが出来なかった。
「間の抜けたお前にもそんな悪知恵を働かせる頭があったとは……それともこれもお前のメイドの入れ知恵か? だが結局のところ、こうして見つかってしまえば意味はない」
ロデュルは銃と魔術を構える。
多少傷つけてでもリフェールを厳重に取り押さえようとして、直前で手を止める。
慈悲ではない。先に狼の形をしたリフェールが、人の姿をしたリフェールへ再び圧し掛かったからだ。
「ぐっ!?」
「自らの半身であればお前に反応するのは自明の理だな。形からすれば獣性と理性……面白いではないか。せっかくだ。自分自身と殺し合うがいい。どちらが生き延びようと結果に変わりはない。一つに戻ったその時、お前は終焉を喰らう御子となる! そして世界の変革が始まるのだ!」
ロデュルの哄笑が聖堂に響き渡る。
御子の半身が近付き合ったことで、空が、星が、月が、太陽が、動き始める。暗澹とした雲が黄昏を迎えていく。
街は囚われた人間を、そして外にある現実をも侵蝕しようと時を刻み出していく。
大いなる神性が、それに触れられぬ人間を駆逐し、魔術の深淵を知る者だけを引き上げようと促していく。
終焉が迫る。
◆◆◆◆◆◆◆◆
庭園の花を世話しようと外に出たグレースは、突如胸を刺すような動悸を感じ、水差しを取り落として顔を上げた。
街が、空が、蠢いている。
前にリフェールが戻ってきた時の異変とは動きの大きさがまるで違う。
外へ向けて溢れ出そうとしている。
「っ――リフェール様!」
主の身にかつてないほどの危機が訪れている。
心当たりがひとつあった。
リフェールの父、ロデュルの存在。彼にリフェールが見つかった。
グレースは思わず駆け出していた。
自分に何が出来るわけでもない。今から行っても追いつかない。そもそも辿り着けもしない。
分かっている。それでも止まらなかった。
「リフェール様!」
名前を叫ぶ。届くはずがなくとも声を振り絞る。
虚ろに消えかけていく街の人々を、進化を促され悶える異形を顧みず、ただひた走る。
だがやがて限界が来る。
進めない。領域を隔絶されたように体は重く拒否を示し、消失を警告する。
「……どうして? どうしてあの人の元へ辿り着けないの?」
膝をつく。涙がこぼれた。
「どうして助けに行けないの? 祈るだけしか出来ないなら、どうしてこの体は残っているの!? 何の力にもなれないなら、私がここにいる意味は一体何だと言うの!?」
懇願して手を伸ばす。
掲げた端から自分の手が光となって散っていく。
痛みはない。だが続ければ完全な消失に至るのは明白だ。
「お願いよ……私はあの人を助けなくてはいけない。あの人は言ったわ、『僕の代わりに君は世界を見てきて』って。なのに私にはもうそれが出来ない。だからせめて、あの人をここから助け出さなければ……」
グレースは消えるのも厭わず腕を押し出そうとする。
しかし街は無慈悲に拒絶し、形を保てない。
生者でないグレースには奥へ入る資格がない。
主を信じてただ待つか、消失しようとも前へ進むか、葛藤する。
不意にぽとり、と何かがグレースの脇に落ちた。
「これは……カイルの弟さんの……」
リフェールから預かった、カイルの弟のハンチング帽だ。
グレースが取り出した覚えはない。まるで何かに応えるように自然とこぼれ出てきた。
風が吹いた。グレースの周りを包むように。
力の入らぬ足を浮かせ、拒絶しようとする街から守る鎧となって、風が走る。
「この風は……カイル! あなたなの!?」
返事はない。
代わりに風はグレースの身を街の奥へと運ぶ。愛しき主の元へ。




