033 影
リフェールはアーチ状の身廊――聖堂中央を通る廊下を進んでいく。
空気が重い。外の肺まで染み渡る冷気と比べると、中は深海の底だ。
一息ごとに死を吸い込むようで、立っているだけで疲労感が圧し掛かる。
異形もうろついている。だがこれまで見てきた異形とは趣が違う。
側廊から襲い掛かってきたのは、鎧の騎士と天使のような羽根を生やした乙女だった。
鎧騎士は中身がガスのように揺らめいており、剣を振るってくる。
乙女は瞳のない赤い目を向け、甲高く嘲笑いながら槍を振り回してくる。
初めて目にする人型の敵に、リフェールは目を瞠りつつ身をかわす。
彼らはスロール教団や魔術協会が作り上げた、神性を得た器のひとつの成果であり、神域を守る役目を持った尖兵だ。
もっとも人としての理性の消失という特徴は変わらない。
より上位者の命のみ聞く生きた人形でしかない。
そんな素性など知らぬリフェールは、行く手を阻む彼ら異形の兵を打ち倒し、奥の祭壇へと足を踏み入れる。
胸騒ぎはどんどん増していく。
「……ほう。お前も追いついてきたか」
感心したような声。ステインがいた。
彼は銃をこちらへ向けて牽制しつつ、祭壇の中心にうずくまる異形を魔術で押さえ込んでいる。
「エフリールと言ったか。ここに至れるということは、お前には器としてそれなりに資格があったらしい。存外、スロール教団も魔術協会も無能ではなかったようだ。だがそれもここまで。お前自身に意図があるにせよないにせよ、これ以上の立ち入りは無用だぞ」
ステインがしたり顔で何やら語っているが、リフェールの耳には一切入ってこなかった。
リフェールの視線はただ異形の方へ一心に注がれている。
そこにいたのは漆黒の狼だった。
初めに遭遇した人狼に近い形だが、その身はあらゆる部分が光を吸収するような闇に染まり、もはや黒狼というより影に等しい。
目を引くのは大きな槍が左胸に突き刺さっている点だ。
背中側から貫かれた傷口には、影の色と同化した茨が生え、絡み付いている。
傷はステインの手によるものではない。施されている魔術の拘束は鎖の形をしている。
この異形は元々こういう形なのだ。それがなんとなく察せられた。
視線が外せない。狼と息づかいが同調する。魂の深い部分が、もぎ取られるように惹かれ合う。
「……どうするつもりなの?」
当惑しながらリフェールはそんな言葉を口にしていた。
考えがあったわけではない。落ち着く時間を稼ごうと咄嗟に出た行動がそれだっただけだ。
「全てを終わらせる。あの時はグレースに邪魔をされたが、ようやくこれで私の悲願が結実する。神秘を理解しない愚かな民は駆逐され、我々神があらゆるものを飲み込み支配する」
「……我々?」
「私と息子だ。おっと、お前には異形にしか映らんか? これだよ」
ステインは顎でしゃくって影の狼を示す。
「理解できたか? いや、しなくても構わん。いずれにしろこれは我々親子の問題。他の人間が介入する余地などない。この街も全て私が用意したもの。息子を頂きへ至らせるために作り上げたのだ」
愉快そうに顔を歪ませながらステインが銃を撃ってきた。
リフェールは反射的に〈鎧〉で防ぐ。
弾丸が体の表面を掠め、軽くはない衝撃が走った。
「……惜しいな。それだけの力があるのは。どうだ? お前も一緒に私と息子が作り上げる新世界の民にならないか? 才覚のある人間は力を振るう義務がある。そうした機会がただ失われるのを見るのは忍びない」
ステインが大仰に手を広げ、語りかけてくる。
ただでさえ困惑している所に話を持ち掛けられ、リフェールは理解が追い付かず、唖然となるしかない。
「以前、街で見かけた魔術師にも声をかけたことがあった。そやつは『金稼ぎにしか力を使う気はない』などと下らんことを言っていたがな。お前はどうだ? よく考えるがいい。世界をより良く変革するために自らの力を使う。これほど正しい行いは他にない」
よどみなく告げるステインの言葉は、意味をほとんど分かっていないリフェールにとっても無条件で信じてしまいそうな力強さが秘められている。
内容の正しさではなく、そこに付随する他者の心を震動させるものが無類の説得力を持たせる。
それは作為的な誘導であり、魔術による手管でもあった。
だが――
「グウウウウウウ……! グオオオオオオオオ!」
突如、狼が咆哮し、拘束を打ち破った。
「何っ!? 馬鹿な、グレイプニルを……!?」
驚愕するステインを狼が襲撃する。
大きく跳躍してステインはその場を逃れる。
狼は歯噛みするステインを差し置いて急転、リフェール目掛け突進してきた。
「うあっ!?」
避けきれずまともにぶつかり、壁を破壊しながら奥の礼拝室へと雪崩れ込む。




