029 狂い咲く器
長い通路を進み切ると、エフリールはそびえ立つ塔に出くわした。
重い鉄の扉を開け、中へと足を踏み入れる。
外の不規則な曲線を描く回廊とは違い、螺旋状の階段がぴったりと壁についてどこまでも続いていた。
階段も壁も重厚で崩れ落ちてしまう心配はなさそうだが、外気を遮る役目は果たしておらず、相変わらず肺の奥まで冷気が染み込む。
「魔法陣があるって言ってたけど……上の方かな?」
ステインの説明を思い出しながら、階段を上っていく。
ここでも異形の邪魔は入った。
狭い地形、外と同じくバランスを失えば階段から落下は免れない。
エフリールは相手を倒すことより自身が引きずり下ろされないことに注意しながら進んでいく。
見上げる先の風景は変わらない。
階段がどこまでも続き、少しずつ足に疲労が圧し掛かっていく。
塔の上部まで辿り着くと窓から星明かりが射し込んできた。
青ざめた月に呼応するかのような温かみのない光だ。
光を浴びながら吸い込む空気に重さが増す。息苦しい。
ふと気を抜くと真っ逆さまに落ちていく幻視が走る。
静かな狂気の侵蝕を、エフリールはかぶりを振って追い出そうとする。
だが狂気とは何だろう。
記憶の戻っていない自分に正気の部分などあるのだろうか。
疑惑と疲労と狂気が歩む意志を奪おうと毒を振りまいてくる。
(……分からない。でも、だから取り戻さなくちゃいけないんだ)
自答しながら足を動かす。
乱れた息を整えて顔を上げるといつの間にか外へと続く上口部があった。
エフリールは手をかけ身を乗り出す。
塔の頂上へ辿り着く。外が見える。
四方は柱があるのみで剥き出しの星空が間近に迫っている。
天井には大きな銀色の鐘があり、今は鳴ることもなく静かにたたずんでいる。
一見してそこは異形のいない鐘室に思えた。
だがエフリールは身構えた。
いる。気配がある。
「キャハハハハハ! 匂う、匂うわ! お父様の匂い! 出来損ないの人形の匂い! キャハハハ!」
鐘の影に巨大な何かがいた。
哄笑と共に床に降ってくる。腐ったような臭いが辺りに広がった。
それは巨大な異形のように見えた。
ように、と称したのはエフリールの目には完全な異形なのかどうか区別が付かなかったからだ。
青黒い肉塊のような巨大な胴部、その下方からぬらついた太い蔓が絡み合って生えている。
色合いと相まって水辺に生息する植物に近い構造に映る。
だが目を引くのは上部、人間で言えばちょうど額に相当する位置に、裸の少女の上半身があった。
漆黒の髪と宝石のように赤い両の眼。細くしなやかな体つきは異形の胴体とつながった不気味さを差し引いても淫蕩な雰囲気を醸している。
獲物を見つけて喝采する獣のように、少女は歯を剥いて笑っている。
――似ている。
エフリールは何故か直感した。
初めて出会うはずなのに、異形の少女は自分にそっくりだった。
見かけや雰囲気だけの問題ではない。魂の色さえ似ていると、自分の内側が叫んでいる。
「君は、一体……」
「どこで会った!? 教えろ! 教えないならリルがお前を食ってやる!」
蔓の一本が激しくうねりながら迫る。
危うく身をかわしつつエフリールはもう一度叫ぶ。
「待って! お父様って誰だ!? 君は……僕は一体、何者なんだ!?」
「お前の玉座を寄こせ! 腑抜けの器!」
聞く耳持たず、リルという少女は襲い掛かってくる。
話し合う道も逃げる道もなかった。
ただ目の前の出来事に立ち向かうしかない。
それこそがまさに狂気であった。
エフリールは歯噛みしながら〈杭〉を構えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
エフリールが頂上で異形の少女と対峙していた頃、ステインは反対側の塔を登っていた。
こちらも構造はエフリールの側と同じでひたすら螺旋状の階段が続いている。
だがほとんどは歪んだ空間によって距離を引き伸ばされているだけで、見破ってしまえば大した高さではない。
「邪魔だ」
羽虫のように湧いて出る異形を、見もせずに銃で撃ち落とす。
傲岸な歩みは留まることを知らず、呪文のひとつも唱えずにステインは歪んだ距離の概算を踏み破る。
「変革について来られず獣に堕した者が私の道を塞ぐな。手順を違う結果になったとはいえ、たかだかこの程度の進化にすら耐えられんとは。教団も魔術協会も所詮は愚者の集まりに過ぎなかったな」
侮蔑に満ちた独白をこぼしながら頂上へと至る。
遥か広がる天空の煌めき。星と月と太陽が重なり合う時を待って静かに浮かんでいる。
「世界は矮小で醜い。変えるためには誰かがこの世界を支配せねばならない。そしてそれは優れた者でなくてはならない。私のように」
結界の起点へ近づく。
尊大な言葉を口に出しながら開封に取りかかる。
魔力の波長からエフリールの側がまだ解除されていないことを察し、ステインは一度手を離す。
「失敗作の妹に捕まったか。それとも姉か? ここまで到達出来る器は珍しい。生き延びれば面白いが、さて」
エフリールのいる塔の方角をちらりとうかがった後、ステインは聖堂へと視線を向ける。
「……奥にいるのは分かっているぞ、息子よ。案ずるな。余計なことを心配する必要はない。お前はただ世界を飲み込み支配するだけでいい。そして私がお前を支配する」
ぎらつく瞳。使命感じみた驕慢振りはある種純粋な輝きに満ちていた。




