027 独りの弱さ
たっぷりと休息を取り、エフリールの体は万全な調子に戻った。
破けていた衣装も変えた。
上は襟のないシャツにベストを重ね、下は動きやすいよう膝下までで裾がくくられた短ズボンを履いている。
忘れずにカイルのテンガロンハットを頭に被り、屋敷の外へ出る。
「行ってらっしゃいませ」
グレースの見送りを受けながら、エフリールは再び街の深部を目指した。
◆◆◆◆◆◆◆◆
城塞が見えてくる。
ひと眠りする前と変わらず、こちらを呼び込むように入り口が開いている。
エフリールは道中なるべく消耗を抑えて戻ってきた。
カイルのことを思うと異形に対して少なからず敵愾心が湧くようになったが、だからと言って無闇に戦っても意味はない。
すべてはこの先に、原因とそれを止める術がある。
ゆっくりと息を整え、逸る気持ちを静めながら内部へ乗り込んだ。
まずエフリールを出迎えたのは、薄靄の中で螺旋のように伸びた空中回廊だった。
外から見た城塞は決して地面から離れているということはなかった。
だが一転して内部の光景は高空へ切り替わっていた。
手すりの端から眼下を見れば雲海と蒼穹が広がっており、うすら寒い空気が流れてくる。
階段状の回廊は天を目指すように遥か高みまで続いていた。
鐘楼や尖塔が途中に連なり、手すりや建物の外壁には精巧な戦乙女の彫像や、勇猛な戦士の像が立っていた。
思わず目で追って見上げていくと、天空にはよどんだ雲が立ち込め、中心に青ざめた月が浮かんでいる。
月の周りには星々が溢れんばかりにちりばめられており、今にも落ちてきそうだ。
また蒼月の真上にはもう一つ巨大な丸い岩塊――火の絶えた太陽が存在していた。
美しくも奇怪な光景に見惚れていると、どこからか鐘の音が鳴り響いてきた。
その音に我に返り、夢心地の気分が霧散する。エフリールは息を呑んだ。
ここは今までの場所と全く雰囲気が違う。
ともすれば、あっという間に自分を見失ってしまいそうになる。
無意識に帽子と胸に手を触れる。
カイルの形見とグレースのお守りが、曖昧な自己を繋ぎ止めてくれるようだった。
「とりあえず……上がっていけばいいのかな?」
道はいくつも捻じくれて行き交っており、複雑だ。どれが正解かは分からない。
今は当てずっぽうに進んでいくしかない。
◆◆◆◆◆◆◆◆
異形と交戦しながら回廊を登っていく。
ここには蝙蝠に似た大きな翼を生やした漆黒の異形がいた。
幅の限られた通路で空中を飛び回る相手に立ち回るのは厳しい。
特に捕まれば致命的だ。
(下が全然見えない。落ちたらどこまで行くんだろう?)
うっかり踏み外すか放り出されでもすれば、戻って来られるかすら分からない。
自然、エフリールは慎重に敵を撃退せざるを得なくなる。
だがそれは力の消耗を強いられるということでもある。
宙に留まる一匹を〈鎖〉で捕らえ回廊に叩き落とす。
続けざまに〈杭〉で止めを刺す。
単体ならこの対応でいい。
問題は複数いることで、更に通路にも翼以外の異形が詰め寄ってくる。
(カイルやグレースがいてくれたら……)
つい弱気な考えが浮かぶ。
およそ敵を倒すという一点においてカイルのやり方はまさに理想だった。
敵が何かを仕掛けてくる前に遠距離から打ち倒す。
究極的に言えば、戦いにすらさせないことを体現していた。
初めて街へ乗り込んだ時も、傍にはグレースがいた。
彼女はエフリールの動きに合わせて常に的確な援護をしてくれていた。
独りではなかった。その違いが今は大きい。
エフリールには有無を言わせぬ圧倒的な力の発露というのは出来ない。
小器用に立ち回る知恵もない。
ただ地に足をつけて愚直に突き進む、それしか出来ない。
異形が挟み撃ちにするように通路へ雪崩れ込んでくる。
エフリールは急いで前方を抜けようとするが、当然道を塞がれる。
このままでは追いつかれてしまう。
〈鎖〉で一度距離を稼ごうと遠くの外壁に向けて手を構える。
その腕を、翼の異形が足でつかんだ。
「うわっ――」
体が持ち上がりかかる。
浮遊感と焦燥感が一挙に襲い、エフリールは無防備になった。
差し迫る異形の群れ、窮地に陥ったその時。
バァンッ! と、敵を怯ませるように大きな破裂音が辺りに響いた。
音に驚いていると、エフリールは異形の足に腕を引っ張られる形となって倒れかけた。
「うわっ!?」
手すりにつかまって難を逃れる。
翼の異形は何故か力尽きて足を外し、真っ逆さまに回廊の下の雲海へと姿を消していった。
何が起きたのか。
つんと焦げたような臭いが上から漂ってきた。
エフリールが視線を巡らすと回廊の上方に目付きの鋭い壮年の紳士が立っていた。
紳士の手には金属と木で作られた奇妙な円筒系の物が握られている。
円筒の先端からは煙が長くたなびいていた。
「人……?」
エフリールは思わずそう口にせずにはいられなかった。
あの紳士の姿を目にした途端、言語化できない妙な感覚が頭に走る。
およそ人と断定するには違和感を覚えるほど心がざわつく。
(余計なことは……いや、それはダメだ。何が起きてる? 味方なの?)
呪縛を避けて葛藤していると、男は円筒に付いたフックを引き、異形に対して先端を向ける。
再び破裂音が響く。
通路にいた異形の胸が貫かれ、仰け反って倒れた。
死体が白い灰へと変わる。
焦げ臭い煙が辺りに広がった。
「……どいつもこいつも自制に失敗しおって。醜くて見るに堪えん」
男は静かに、だが苛立ちの混じった物言いで回廊を下ってくる。
周囲の異形の反応がおかしくなった。
エフリールの前で幾度か見せたように恐怖に囚われていた。
「獣に成り果てて貪る夢などに意味は無かろう。永久に死んで眠れ。貴様らにはそれがお似合いだ」
傲慢に言い切り、男が死の舵を取った。




