021 重ね上げるもの
湖での戦いは熾烈を極めた。
際限なく異形が湧き出てくることもそうだが、敵が自在に水へ潜れる点が大きな障害だった。
湖は、エフリールたちにとってはただの浅い水たまりと地面に過ぎない。
だが異形たちはこの中へ深く潜行し、姿を消しながら移動してくる。
近場の敵はもちろん、遠くの敵も、一度で倒しきれなければすぐに水中へ引っ込んでいく。非常に厄介だった。
それでも二人は力を合わせて異形を駆逐していく。
エフリールは敵の臭いと、祭壇の魔術を見破った右目によって敵の動きを感知し、カイルに知らせる。
カイルは無闇に風を広げるのではなく、一匹一匹を確実に仕留められるよう束ねて放った。
数十分も戦い続けると、敵影は見かけなくなり、臭いも漂わなくなった。
「いなくなったのかな?」
「分からん。まだ油断するな」
厳しい表情でカイルは告げる。
気を抜くのは、この湖を渡り切ってからだ。
二人は急ぐ気持ちを押さえながら歩いていく。
ふと、カイルは思い至って、小さく呟いた。
「……助かった」
「え?」
エフリールが目を瞬かせていると、カイルは横目で見る。
「さっきの奇襲、お前が気付かなかったらやられてたかもしれん」
いくら魔術が強力とはいえ、カイルの体は常人並だ。
足を握り潰されるか、あるいは地面に引きずり込まれれば、助からない可能性は高かった。
なまじ街での戦いに慣れていたせいもあって、負けるはずがないと思い込んでいた。ここでは何が起きてもおかしくないというのに。
散々エフリールに高説を言い渡しておいてこの様とは情けない。
「そんなのいいよ。僕の方がカイルに助けてもらってるもの」
「ああ、それはもちろんそうだ。だが助けてもらったら礼は言うもんだろう。どっかのメイドみたいに」
教会でのグレースとの会話を思い返しながら、カイルは肩をすくめる。
揶揄する意図はない。親しみを込めるつもりで引き合いに出した。
「そっか、そうだね。うん、どういたしまして」
エフリールも素直に言葉を受け取り、笑顔を向けてくる。
カイルは、エフリールの存在価値を、鍵としか見ていなかった自分を恥じた。
「エフリール、お前には強い魔術の才能が眠っている。今はまだ上手く発揮できていないが、必ず強くなれる」
カイルは助言を施すことに決めた。
自分は聖人ではない。わざわざ力を貸してやるなど本来ならおこがましい。
だが失った記憶がどうあれ、今のエフリールはひたむきに悪夢へ立ち向かっている。
従者とのいずれ再会しようという誓い、見知らぬ誰かとの悪夢を終わらせるという約束、カイルを危機から救ってみせた蛮勇だが果敢な精神。
自分を取り戻す手掛かりと道がそれしかないと知っていながら、エフリールは単に悪夢へ挑むだけではなく、他人を気にかけている。
弱さを自覚せず死地へ向かうのは愚かな所業だ。
だが――正しきを為そうとする者を見捨てるのも、また愚かな行為だ。
「本当? ……でも、さっきだってカイルに頼ってばっかりだったよ?」
「自信を持て。見てる限り、お前の魔術は自分自身の体を変化させるものだ。もっと他の部分も変質させることが出来るかもしれん。魔術ってのは直感と想像が物を言うからな。お前のイメージにしっくりくるものを思い浮かべれば、強くなるきっかけになる」
「イメージ……イメージかあ」
ぼんやりと呟くエフリールに、カイルは警告を付け加える。
「ただ気を付けておけ。魔術があろうが、普通の人間と比べてそこまで出来ることが増えるわけじゃない。どんなに強大に見えても、それは力のひとつにしか過ぎない。どう使うべきか、力を振るう自分がどう在るべきかが最も大事なんだ。それを忘れると、ここの連中みたく獣に成り下がる」
エフリールが神妙な顔つきになってカイルを見た。
「……ねえ、カイル。どうしてここの異形は、人間の姿をした者がいないんだろう?」
「急にどうした? ……だが言われてみればそうだな」
水面への警戒を怠らずに歩き、カイルも考えを巡らせる。
今まで狼獄の街で遭遇した怪物は、何かしらの生物を元としている手合いばかりだった。
代わりに理性や知性のようなものは存在していない。
そして人間の姿をした者も混じっていない。
まるで理性そのものを意図的に排除したかのような、そんな作為を感じる。
だが魔術師が理性のない生き物など目指すだろうか?
仮に何かの深奥に辿り着こうと模索したとして、力を真っ当に操る方法を失う獣になりたいと願うだろうか?
もしも異形になることがただの途中経過、あるいは目指そうとして失敗した退化の表れなのだとしたら、彼らが見ているのはそれより別のもの、先の部分にあるのではないか?
街に関わっている組織は魔術協会ともう一つ、スロール教団。
スロールとは、ある神の別称であり、意味は促進者を指す。
人より優れた存在になることを促し、人とは異なる理性を持った存在へ進もうとする。
だとするとそれはもしや――神を目指しているのではないのか。
「――カイル!」
突如エフリールが叫んだ。
カイルも異常には気が付いている。地面が揺れていた。
湖面に巨大な影が浮かぶ。何かが地上へせり上がろうとしている。
今までの敵よりも特別濃い魔力を感じる。
遂に周辺へ波を引き起こしながら、巨大な軟体生物が水中から姿を現した。
蛞蝓のような胴体と無数の触手、しかしその体色は毒々しい紫色に染まっている。
口から剥きだしている歯舌は鮫の歯に似た凶悪な形をしており、それが螺旋のように何層にも重なっている。
「この領域の支配者か……!」
「あ、う……ああああああ!」
呻くカイルの横で、エフリールがまた衝動に襲われていた。
記憶の混濁によって後退りかけるその背中を、カイルは強く支える。
「気をしっかり持て! お前に何があろうと、今ここに立っている場所が現実だ!」
声に意識を引き戻されたエフリールは、苦しげに胸へ手を当てながらも、怪物を見据える。
手の中には、グレースから渡されたお守りと約束が詰まっている。
その感触で、かろうじて正気を保っているようだった。
カイルは、まだ折れることはないと見做して、エフリールと共に怪物へ立ち向かう。




