オスカルの置き土産はミステリーの香り?
今回はベルナドットパパが登場。オスカルのため、ナポレオンと謎解き(?)に挑む?
オスカルがチュイルリー宮殿を去ってから数日後、ボナパルト家はやっとのことで平穏を取り戻した。
ジョゼフィーヌのティアラやアクセサリー類は無事に修復され、オルタンスの部屋の壁紙も新しくなり、宮殿は元の輝きを取り戻した。ナポレオンもようやくベッドから起き上がり、第一執政としての威厳を取り戻しつつあった。
そんなある日の午後、休暇を終えたジャン=バティスト・ベルナドットが、マインツ県での出張成果をまとめた報告書を携えて第一執政の執務室を訪れた。
「――以上が、マインツにおける関税交渉および領土割譲に関する最終報告であります、閣下。」
ベルナドットは理路整然と、かつ完璧な内容の報告を締めくくった。
デスクでそれを聞き終えたナポレオンは、内心で激しい感情の嵐に見舞われていた。実に見事な手腕だ。これほど複雑な交渉を、こちらの要求通り、いやそれ以上の好条件でまとめ上げてくるとは。
(相変わらず優秀な男だ。これだからライバルとして油断がならん……!)
ナポレオンは感嘆と、そして軍人としての激しい嫉妬が入り混じった複雑な表情を隠し、大物らしく鷹揚に頷いてみせた。
「……うむ。ご苦労だった、ベルナドット。お前の働きには満足している。フランス共和国を代表して感謝する。」
「はっ。過分なお言葉、光栄に存じます。」
ベルナドットは一礼し、書類を片付け始めた。これで面会は終了――のはずだったが、彼はなぜかその場に留まり、少し言いにくそうな顔でナポレオンを見つめ、「ところで閣下、一つお伺いしたいことがあるのですが」と切り出した。
「なんだ?公務に関することなら答えるが?」
「いえ、我が息子のことでして……」
ベルナドットが語り始めたのは、昨日の午後の出来事だった。 昼食を終えて家族でのんびりくつろいでいたところ、オスカルが突然、何かを思い出したかのように部屋中をキョロキョロと見回し、こう言い出したという。
「ふわふわ! ふわふわ!」
「何のことかさっぱり分からず、妻のデジレが愛用の絵本や新しいおもちゃ、ベッドの枕やクッションまで次々と差し出したのですが、息子は『うーー』と言って首を横に振るばかりで。
次に庭を指差したので外に連れ出し、庭の花や木の実、落ち葉に触れさせてもまったく違うとばかりに首を振るのです。」
困り果てたベルナドット夫妻の前で、オスカルはついに「うえーーん!ふわふわーー!」と泣き出してしまったという。
「妻と二人で頭を悩ませたのですが、息子が言う『ふわふわ』が一体何のことなのか、全く見当がつかないのです。……そこで考えたのですが、息子は二ヶ月もの間、この豪華絢爛なチュイルリー宮殿で過ごしておりました。もしかしたら、宮殿にある『何か』をひどく気に入り、それを思い出して欲しがっているのではないかと。」
ベルナドットは真剣な眼差しで、ナポレオンを真っ直ぐに見つめた。
「閣下。息子がボナパルト家でお世話になっていた間、何か『ふわふわ』としたもので、彼が異様に執着していたおもちゃや調度品に、心当たりはございませんでしょうか?」
「心当たり、だと……?」
ナポレオンは椅子の背もたれに深く寄りかかり、腕を組んで考え込んだ。宮殿にある、二歳児が泣いて欲しがるほどの「ふわふわ」とした何か。
そういえばオスカルがどこかを指さして「ふわふわ!」と言っていたことがあったな・・・
記憶の断片を必死に繋ぎ合わせ、ナポレオンはある「衝撃的な光景」をふと思い出した。
ナポレオンが思い出したのはポカポカ陽気が心地よい、平和な午後の出来事だった。
オスカルがプレヴォテ城に帰り、静けさを取り戻したはずのチュイルリー宮殿の大広間に、突如として女性たちの地鳴りのような悲鳴が響き渡った。
「キャーーーッ!!」
「何これ、嘘でしょ!?」
「誰か来て!!早く!!」
「何事だ!もうあの破壊神はいないはずだぞ!」
ナポレオンが血相を変えて大広間に駆けつけると、そこには驚天動地の光景が広がっていた。
「いやああああ!早く窓を開けて!早く!!」
ジョゼフィーヌや女官たちがドレスの裾を振り乱して椅子の上で叫び、数十人の使用人たちが、冷や汗を流しながら巨大な板を掲げ、必死に「壁」を作っている。
それもそのはず、豪華な大理石の床を端から端まで一直線に大量の虫たちが大行進を行っていたのだ。虫たちは、使用人が作った板の壁に誘導されながら、開け放たれた窓からゾロゾロと庭へ出ていく最中だった。
「一体どこから湧き出たんだ、これは!」
ナポレオンが目を剥いて行列の「起点」を探すと、それは大広間の一番端に飾られた、由緒ある最高級の花瓶だった。その花瓶の口から無数の小さな虫たちが、まるで泉のようにゾロゾロと這い出していたのである。
真相はこうだった。
オスカルが初めて宮殿の庭に出た日のこと。ウジェーヌの目を盗んで庭の奥へと猛ダッシュしたオスカルは一本の細く長い木の枝の先に、不思議な「ふわふわ」したものを見つけたのだ。幸いにも二歳児の手が届く高さだったため、オスカルはその木の枝を「ポキン!」と折った。
(これ、おみやげ!)
オスカルは先端に「ふわふわ」のついた枝を大事に握りしめ、ウジェーヌが必死に自分を探している間に大広間へ帰還し、キョロキョロとあたりを見回すと大きな花瓶を見つけた。そして思い出したのだ。
(ママ、これに いつもお花いれてた!)
シンプルな発想だった。母のデジレが花瓶にお花を入れていたのを思い出し、オスカルは誰も見ていない隙に、大広間の端の花瓶へ、その「ふわふわのついた枝」をすぽっと差し込んだのである。オスカルがときどき大広間の端を指さして「ふわふわ!」と言っていたのは、このことだったのだ。大人たちは「ああ、お花のことを言っているんだな。」と勝手に勘違いし、誰も気に留めなかった。
オスカルは「ふわふわ」を持ち帰るつもりだったのだが、当日、大好きなパパとママに再会できた嬉しさで胸がいっぱいになり、そのお土産のことをすっかり忘れて帰宅してしまったのだ。
「……ッ!!!」
ナポレオンは絶句した。あまりの衝撃に顔が青を通り越して土気色になる。
「オスカルウウウウウウ!!! なんでこんなところに、『カマキリの卵』のついた枝を入れたんだあああああああああ!!!」
そう、二歳児が「ふわふわ」と呼んで愛でていたものの正体は、春の暖かさで一斉に孵化を始めたカマキリの卵だったのだ。宝石やティアラの破壊、壁紙の汚損、挙句の果てに国家機密の持ち出し。それだけに留まらず、あの小さな侵略者は、宮殿のど真ん中に「生物兵器」という最悪の置き土産まで残していったのである。
「なるほど。合点がいきました。」
ナポレオンが頭を抱えてプルプルと震えている前で、ベルナドットは実にあっさりと、そして爽やかに納得した表情を浮かべた。
「『ふわふわ』とはカマキリの卵でしたか。確かに、カマキリの卵の表面はふわふわと泡立っていますからね。いやあ、息子の謎が解けてスッキリしました。これで自宅の庭を探してやることができます。閣下、お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。では、失礼いたします。」
「……きっ、貴様ァァァ!!!詫びの一言くらいないのか!待たんかベルナドットーーっ!!」
ベルナドットは完璧な礼儀正しさで一礼すると、回れ右をして、そのまま軽やかな足取りで退室していってしまった。
静まり返った執務室で、ナポレオンは消えていったライバルの背中に向かって、激しく歯ぎしりをした。我が家をカマキリの保育園にされ、宮殿をひっくり返されたというのに、申し訳なさそうな素振りすらなく帰っていったベルナドット。
「あの親にして、あのガキありだ……! ベルナドットめええええ、絶対に許さんぞ……!」
第一執政ナポレオン・ボナパルトの心に、新たなる、そしてこの上なくスケールの小さい復讐の炎がメラメラと燃え上がるのだった。
(続く)
カマキリは産まれると本当に一直線に大行進しますよね!
男の子にとって虫は宝物であり、お友達なのでしょうね。




