前衛芸術家オスカルとパパからのお知らせ!
オスカルの冒険第二弾!今度はどこへ行くのかな?
色とりどりの世界が待ってるよ!
宝石箱の惨劇からわずか数日後。チュイルリー宮殿の大人たちは、二万フランの衝撃からまだ完全には立ち直っていなかった。ナポレオンは胃薬を水なしで煽り、ジョゼフィーヌは寝室で額に冷たいタオルを当てて伏せっている。だが、破壊神オスカルの辞書に「休息」の二文字はなかった。
「あうー、トコトコ♪」
ナポレオンの部下たちがティアラやアクセサリーを修復する職人探しに追われ、ほんの一瞬、監視の目が緩んだその隙だった。オスカルは再び、短い足をフル回転させて広大な邸宅の探検へと出発した。
フランス第一執政、ナポレオン・ボナパルトの公邸のセキュリティは、一人の二歳児の飽くなき探求心の前に、再びあっけなく突破された。
「あーうー、ぶーぶー♪」
クジャクの羽根をマントのようになびかせ、宮殿を進む小さな影。オスカルが目をつけたのは、ジョゼフィーヌの連れ子であり、宮廷一の美少女と名高いオルタンス・ド・ボアルネの部屋であった。いつも通り「トトト……」と音を立てずに侵入したオスカルは、パッと目を輝かせた。
「うあー! きゃっきゃっ!」
お年頃の彼女の部屋は真っ白でシミひとつない美しい壁紙。そしてドレッサーの上には、初めて目にする色とりどりのガラス瓶や、綺麗な装飾が施された小さな箱がずらりと並んでいた。それはフランス中から集められた最高級の化粧品や香水だったが二歳児にとって、そこは「色と光のパラダイス」に他ならなかった。
(おもちゃ……いっぱい!)
オスカルは一番大きな上品な箱に手を伸ばした。蓋を開けると中にはさらさらとした白い粉が詰まっている。
「すなー!」
二歳児の脳内変換により、それはただの「白い砂」となった。オスカルは躊躇なくその箱をひっくり返し、床へ豪快にぶちまけた。空になった高級な箱は背後へポイッと投げ捨てる。
次に目をつけたのは、細長い筒状の物体。蓋を外してひねると、鮮やかな赤い固形物が飛び出してきた。
「おえかき!」
お絵描き道具(口紅)を手に入れたオスカルは、床一面に広がった白い粉のキャンバスに向かって、力強いタッチで殴り書きを始めた。
さらに、別の箱を発見する。今度は赤い粉(水に溶かして使うチーク)が入っていた。
「うわぁ!」
オスカルの瞳が大きくなる。彼はその赤い粉を、床にぶちまけた白い粉の上へと容赦なくぶちまけ、混ぜ合わせ始めた。
「んむー、ねるねる……」
しかし、これだけでは水分が足りない。オスカルはドレッサーから、最も高価な薔薇の香水瓶を掴み取ると、粉の上から『ドボドボドボ!』と一気に注ぎ込んだ。
部屋中に充満する、むせるような最高級の香り。しかしオスカルは物ともせず、満面の笑みで、香水入りの赤白い粉を両手で粘土のようにコネコネとこね上げた。
オスカルの手はいまや完璧な「ショッキングピンク」に染まっていた。
「あうー! ぺたぺた!」
オスカルは、そのピンク色に染まった両手を、オルタンスの部屋の真っ白で上品な壁紙に、楽しそうに次々と押し当てる。壁の上には、二歳児の可愛らしい「ピンクの手形」が、等間隔で美しくデザインされていく。
ペタッ! ペタペタペタペタ!!!
「あうー! じゅー!」
美しい白壁に次々と刻まれていく手形。それはまるで古代遺跡の壁画のようであった。その時、オスカルを探していたオルタンスが部屋の扉を開けた。
「オスカルくん、どこに行っちゃったの……って、ひっ!?」
オルタンスの動きがピタリと止まる。自身の部屋は真っ白な粉で砂漠化し、お気に入りの口紅と香水は全滅。そして極めつけは真っ白だった壁紙を埋め尽くす薔薇の香りを放つ大量の赤い手形。
「いやあああああああああ!私のお部屋があ!お化粧品があ!香水があ!壁紙が・・・壁紙がめちゃめちゃにいいいいい!!!」
パリ中の社交界を魅了する美少女の、喉が裂けんばかりの悲鳴が屋敷に響き渡った。そしてオルタンスはショックのあまり白目を剥いてその場にバタリと気絶した。
悲鳴を聞きつけた大人たちが、またしてもドタドタと部屋に雪崩れ込んできた。
「まあまあ、オスカルちゃん、手形を上手に押すなんてすごいねえ!ダイナミックなお絵描きをするなんて芸術家肌だこと!でも、お手てがピンク色で大変。さあ、お風呂へ行きましょうね。」
レティツィアだけは相変わらずの超ポジティブ育児で、全身粉まみれのオスカルをひょいと抱き上げると、鼻歌交じりで浴室へと連れて行ってしまった。
残されたジョゼフィーヌは、気絶した娘オルタンスを抱き起こしながら、今度は怒りで全身をわなわなと震わせ、ナポレオンをキッと睨みつけた。
「あなた……っ!今から大掃除よ!それが終わったら今すぐパリ一番の職人を叩き起こして朝までにあの壁紙を完璧に貼り替えなさい!!さもないと、あなたの寝室を私の化粧品まみれにしますからね!!!」
「あ、ああ、分かった、分かったから落ち着いてくれ、ジョゼフィーヌ……」
二万フランのティアラを失ったばかりの妻の、怒り狂った形相は、激怒したフランス議員たちよりも恐ろしかった。ナポレオンはタジタジになりながら、夜中にもかかわらず職人を手配するため、執務室へと逃げ帰るのだった。
翌朝、宮殿内は徹夜で行われた大掃除と、早朝から呼び出された職人たちによる壁紙の張り替え作業の音で、どんよりとした空気に包まれていた。
ナポレオンは、睡眠不足と限界突破した胃痛のせいで、机に突っ伏してピクリとも動かない。そこへ秘書官が実に申し訳なさそうな、そして怯えきった面持ちで書類を持って現れた。
「……第一執政閣下。マインツのベルナドット将軍より、緊急の報告書が届いております。」
「おお!ベルナドットか!」
ナポレオンはガタッと椅子を蹴立てて立ち上がった。
「ついに二ヶ月が経った!あの破壊神を迎えに来るのだな!到着したら真夜中でも構わん!オスカルを引き渡すんだ!」
しかし、秘書官の顔は引きつっていた。
「それが……その、マインツ側との関税および領土交渉が予想以上に難航しておりまして……。ベルナドット将軍のパリ帰還は――あと一週間、延長になりました。」
「………………………………え?」
ナポレオンの思考が停止した。
あと、一週間。あと七日。百六十八時間。一万八十分。これ以上、あのオスカルがこの宮殿に滞在し続けたら、今度は宮殿の天井が崩落するか、フランスの国家財政が完全に破産するか、どちらかだ。
ミュラをハゲ散らかさせ、ランヌの首をグキッとやり、二万フランのティアラをひしゃげさせ、オルタンスの部屋をピンクの手形だらけにした、あの破壊神オスカルとの同居生活が、あと七日間も延長される。
「ふ、ふざけるなあああああ!!! あいつ、わざとやってるだろ!! 話し合いを止めてるって、絶対にパリに帰りたくないだけだろ!! 自分の息子がここで何をやっているか知っていて、わざと私を破滅させるために一週間延ばしたんだ!!!」
ナポレオンは狂ったように机を叩いて絶望を叫んだ。同時に執務室の扉がバァン!! と凄まじい音を立てて開いた。そこには、目の下に深いクマを浮かべ、般若のような笑みを浮かべたジョゼフィーヌが立っていた。彼女の手には、職人への支払い用の、目の飛び出るような金額が書かれた「壁紙の請求書」が握られている。
「あなた……。今、一週間延びたって聞こえたのだけれど……。私の耳がおかしいのかしら?」
「ジョ、ジョゼフィーヌ、落ち着くんだ、これはライン方面の軍務の都合で……」
「一週間……あと一週間もあの『可愛い悪魔ちゃん』がここにいたら、次は私の命が変形させられるわ。あなた第一執政でしょう? 今すぐ軍隊を動かして、ベルナドットをマインツから引きずり戻しなさい!!!」
激怒寸前、というか既に限界を迎えている妻の咆哮に、ナポレオンはただただ頭を抱えて震えるしかなかった。
「う~~、ぶーぶー!」
その時、廊下から元気いっぱいの足音が響いてきた。昨晩、お風呂に入ってピカピカになったオスカルが疲れなど微塵も見せず、レティツィアに手を引かれて入ってきた。その手には、すっかりおなじみとなった「クジャクの羽根」がしっかりと握られている。
オスカルはナポレオンのデスクに歩み寄ると、恐怖と疲労で真っ白になったナポレオンの顔を見上げ、満面の笑みでクジャクの羽根の先端を、彼の鼻の穴に突っ込んだ。
「あーうー!(おはよー!)」
「フ、フブシッ……!!! ベルナドットのバカ野郎ォォォーーーーッッ!!!」
第一執政の絶叫が、朝のパリの空へと虚しく響き渡る。ベルナドットの帰還が引き延ばされた地獄の一週間が幕を開けたのだ。
(続く)
1800年代の化粧品は現代のように白粉やチークには身体に安全な材料が使われるようになりました。
また派手にしないナチュラルメイクが主流で、チークや少し赤めの口紅をさして明るく見せるのがトレンドでした。
パパのベルナドットがいるマインツ県は現在のドイツで、当時はフランス領でした。マインツへの出張はフィクションですが、史実でもベルナドットにとってマインツは激しい戦いを繰り広げた因縁の地でもありました。




