オスカルと冒険という名の音楽会!
すっかり宮殿生活に慣れたオスカル。
二歳児の好奇心は新しい扉を開きます。
さらに数週間が経ち、オスカルは完全にチュイルリー宮殿の主のようになっていた。
マルセイユからオスカルの祖母や伯父夫婦が宮殿を訪ねてきた日、オスカルは「ばあば!」と大喜びで駆け寄り、レティツィアも「お母様、具合はいかがです?」と質素堅実な者同士、妙に意気投合して茶をすする一幕もあった。
もちろん、その間もハプニングがゼロだったわけではない。ナポレオンを訪れた猛将ジャン=アンドシュ・ジュノーは、オスカルをあやそうと顔を近づけた瞬間、手加減なしの強烈な脳天頭突きを鼻頭にくらい鼻血を吹き放って悶絶した。
また、副官のオーギュスト・マルモンが「これからの戦術の参考になるぞ」と持参した、貴重な哲学者の肖像画入り古書は、オスカルの好奇心によって「ビリビリのクシャクシャ」に破かれ、ただの紙屑と化してしまった。
しかし、ミュラの帽子解体事件やランヌの頸椎捻挫事件に比べれば、鼻血や古書の破損など「かすり傷」のようなものである。ここ数日のボナパルト家には、奇跡的とも言える平和で穏やかな、幸せな時間が流れていた。
――だが、それは巨大な大津波が押し寄せる前の、不気味な引き潮に過ぎなかったのだ。
ある日の夕食後のこと。
ジョゼフィーヌの連れ子であり、ナポレオンを実の父のように尊敬する青年ウジェーヌ・ド・ボーアルネが、ふと辺りを見回して声をあげた。
「……あれ? オスカルくんはどこへ行ったのかな?」
いつもならレティツィアの側で絵本を見ているはずの小さな影が、どこにもいない。ウジェーヌが視線をやると、大広間の重厚な扉が、ほんの数センチだけ半開きになっていた。
プレヴォテ城の約百倍の広さを誇るチュイルリー宮殿。すっかりこの空間に恐怖心のなくなった二歳の冒険者は、ついに大広間の境界線を完全に越え、夜の宮殿探検へと旅立ってしまったのだ。
「大変だ! 建物が広すぎる。どこへ迷い込んだかわからんぞ!」
ナポレオンやウジェーヌ、そして妹のオルタンスまでが加わり、松明やランプを手にあわてて広大な宮殿を捜索し始めた時だった。二階の奥から、静寂を切り裂く不穏な音が響いてきた。
ガッシャーーーーン!!!
「……っ!?」
その音を聞いた瞬間、ジョゼフィーヌの顔から血の気がざっと引いた。
「あ、あの方向は……私のセッティングルーム(衣装部屋)だわ!」
『オスカルーーーッ!!』
大人たちは急いで階段を駆け上がり、部屋に飛び込むと、そこには歴史に残る大惨事が広がっていた。
「うあー! きゃっきゃっ!」
部屋の真ん中で、オスカルは満面の笑みを浮かべて座り込んでいた。
ジョゼフィーヌの部屋に入ったオスカルは、偶然見つけた最高級のマホガニー製の宝石箱を開けようとしたのだが、二歳児の指先では複雑な鍵が開かなかった。そこで彼は「開かないなら、壊せばいい」という、きわめてシンプルな解決策を実行。床に叩きつけられた宝石箱は見事に木っ端微塵となった。
オスカルは宝石箱の中から散らばったダイヤモンドの指輪や、エメラルドのネックレスなどの宝石類を床に広げ、お気に入りのおもちゃのように指で弾いて遊んだ。しかし、それだけでは飽き足らなかった。
オスカルの目は、ドレッサーの特等席に飾られていた、あの燦然と輝くティアラを捉えた。
「あーうー♪」
オスカルは小さな手で、フランス宮廷の夜会でジョゼフィーヌが頭に戴く、国家予算レベルの特注のティアラを両手に一つずつ、がっちりと掴み取ると、まるでシンバルを演奏するかのようにティアラ同士をガシャン!ガシャン!とぶつけあった。
「チーン♪ キン♪ カシャーーーン♪」
最高級の純金と宝石同士がぶつかり合い、部屋中にえも言われぬ綺麗な高音が響き渡る。
「きゃっきゃっ! う~~!!」
オスカルは、その奏でられる美しい音色に大興奮。リズミカルにティアラを太鼓のバチのように床に散らばる大粒の宝石たちにぶつけると、そこから鳴り響く様々な金属音やガラス音に大喜び。
「ガン♪ ガシャン♪ カチン♪」
「きゃうー! ぽんぽん!」
オスカルにとっては、世界一贅沢な「ガラガラ(幼児用楽器)」を手に入れた気分なのだろう。彼がティアラを打ち鳴らすたびに、まばゆい金細工がひしゃげ、埋め込まれた宝石や大粒の真珠がパタパタと剥がれ落ちていった。
「……あ、あ、あああ……」
ジョゼフィーヌは、その場でメデューサの呪いにかかったかのように硬直した。
「私の宝石箱がああ~~! 指輪がァ! ネックレスがああ!! ……買ったばかりの二万フランのティアラがあああああああ!!!」
二万フラン。日本円で約六千万円。当時のフランスの一般市民が一生かかっても拝めないほどの超巨額である。
オスカルの両手の中で、その二万フランの芸術品たちは、もはや誰の目から見ても修復不可能なほど、グニャリと奇妙な形に変形していた。
「あ……う……」
ジョゼフィーヌは限界を迎えた。完全に白眼を剥き、ウジェーヌとオルタンスの腕の中にバタリと倒れ込んで気絶した。
「お母さま! しっかりして!」「誰か気付け薬を!」
そこへ、騒ぎを聞きつけたレティツィアが悠然と現れた。変形した二万フランのティアラでなおも床を叩こうとするオスカルを見て、レティツィアは感心したように目を細めた。
「まあ。この子は色だけじゃなくて、音も気に入ったのかい? 感受性豊かな子だねえ。将来は立派な音楽家ねえ~~!」
レティツィアはオスカルをひょいと抱き上げると、「よしよし、もう寝る時間だよ」と、ティアラをオスカルの手から優しく回収し、そのまま平然と寝室へ連れて行ってしまった。
ナポレオンは、もはやツッコミを入れる気力すら残っていなかった。ミュラのコート、ランヌの首、そして今度は国家予算レベルの最高級ティアラの完全破壊。
「……ふっ、ふふふ。フランスの財政が……私の胃袋が……」
残されたのは、気絶した妻を抱えるウジェーヌとオルタンス、床一面に散らばる宝石類、そして母から渡された「かつてティアラだった金属の塊」を見つめるナポレオンだけだった。
(続く)
ティアラで宝石を叩くとどんな音が出るのか想像つきません!きっと綺麗な音なんでしょうね。
ジョゼフィーヌは国家予算レベルで宝石やドレス、宮殿を買いまくったことで有名です。
しかし、ジョゼフィーヌの浪費癖はフランス経済を潤していると市民たちからは好評だったそうです。




