滑り台と馬車とフォルチュネの受難。
お茶会もいよいよ終盤。無事にお茶会を終えられるのか?
フォルチュネの受難とは?
デジレが自分の影を見てハッとしたように空を見上げた。
「日が傾いてきましたわね。リビングにご案内しますわ。庭の子供たちも城の中に呼びましょうか。メイドに言っておきますわ。」
デジレは立ち上がると、近くにいた若手のメイドに声をかけた。
「あなた、オスカルとフォルチュネちゃんを中に入れて足を拭いてあげてちょうだい。夕方近いからお部屋で遊ばせましょう。」
「かしこまりました、奥様。」
メイドが泥だらけのオスカルとフォルチュネを連れて城の中に入り、デジレはジョゼフィーヌとオルタンスをリビングへと案内する。
嵐の前の静けさ。破壊神が城の中へと移動したことで、ファーストレディのプライドを懸けたお茶会は、リビングに場所を移した。
顔や手足を綺麗に拭いてもらったオスカルは「こっちー!」とばかりにフォルチュネをどこかへ手招きして案内し始めた。
ジョゼフィーヌもついていくと、案内された先には、階段の一段目から五段目にかけて頑丈な木製の板が斜めにしっかりと打ち付けられた階段があった。
「あら、デジレさん。あの階段の板は一体何かしら?」
ジョゼフィーヌが不思議そうに尋ねると、デジレがリビングから出てきて微笑んだ。
「ああ、あれですか。オスカルはまだ二歳ですし、階段からの転落事故が起きると危ないので、我が家では普段は二階を使わないようにしているんです。あの板は、この子が勝手に階段を登らないための防護壁なんですよ。」
「なるほど、素晴らしい危機管理だわ。我が宮殿も見習うべきね……」
ジョゼフィーヌが深く感心した、その直後だった。
「フォネ、ズザーーー!」
オスカルはフォルチュネの巨体をむんずと抱き上げると、その斜めに設置された板の上にぽんと置いた。重力に従い、板の上を綺麗に滑り落ちていくフォルチュネ。
「キャン……!?(ズザーーーッ)」
「きゃはははは!」
オスカルは大喜びで手を叩いた。
子供の柔軟な発想力は、大人の想定を軽々と飛び越える。どうやら彼にとって、あの防護壁は最高のスリルを味わえる「滑り台」として認識されているようだった。
「あう! ズザーーー!」
今度は自分も滑りたいと、オスカルはデジレのスカートを引っ張ってアピールした。しかし、デジレは毅然とした態度で首を横に振る。
「だめよ、オスカル。『ズザー』はパパがいるときだけって言ってるでしょ。」
「……うー」
すると、さっきまで破壊神として君臨していたはずのオスカルが、実にあっさりと引き下がり、しゅんと大人しくなってしまったのだ。
(まあ……確かに二歳児ってイヤイヤ期で大変だけど、基本的にママの言うことはちゃんと聞くのよね……)
その時、ジョゼフィーヌの中で何かが確信に変わった。
時計の針が夕方を指す頃、お茶会はかつてないほどの平和と安全を保ったまま、無事に終了を迎えようとしていた。
「本当に楽しいお時間でしたわ、ジョゼフィーヌ様。」
「こちらこそ、デジレさん。素敵なおもてなしをありがとう。」
デジレが見送りのために玄関の扉を開けた、その時である。
トコトコトコ……。
子供部屋から、オスカルが何やら誇らしげな顔で歩いてきた。その小さな手には、毛先が怪しく黒く染まった筆が握られている。
「コラ、オスカル!壁にカキカキしようとしたでしょう!」
デジレは素早くオスカルの手から筆を取り上げると、ヒョイと我が子を片手で抱っこした。
「すみませんジョゼフィーヌ様、うちの子が変なことを。さあ、馬車の準備が整いましたわ。」
「あら? そういえばフォルチュネはどこへ行ったかしら?」
ジョゼフィーヌが辺りを見回すと、すでに門の前に停まっている馬車の窓から、「クーン、クーン……」と微かな鳴き声が聞こえてきた。
「あらあらお利口さんね。オスカルちゃんとかくれんぼうでもしていたのかしら。」
ジョゼフィーヌはクスリと笑い、オルタンスとともに馬車へと乗り込んだ。
「ありがとう、デジレさん。おかげさまで、ここ数日ボナパルト家を包んでいた『ある違和感』が、すっきりと拭えましたわ!」
ジョゼフィーヌは馬車の窓から、ベージュのドレスを揺らしながら優雅に挨拶をした。
「違和感……?ですか??」
デジレは不思議そうに首を傾げたが、腕の中のオスカルと一緒に馬車を見送った。オスカルはパタパタと小さな手を振って
「バイバーーイ! あーうー!」
遠ざかっていくプレヴォテ城。ジョゼフィーヌは馬車のふかふかの座席に深く腰掛け、勝利の美酒に酔いしれるような笑みを浮かべた。
「やったわ、オルタンス! 私たちの勝ちよ! ドレスも無傷、アクセサリーも無事! 完璧に平和で、幸せにお茶会を乗り切ったわ!!」
「本当ね、お母さま!私たちの作戦勝ちよ!」
二人が手を取り合って喜んだ、その瞬間だった。馬車の座席の足元、暗がりからモゾモゾと何かが這い出てきた。フォルチュネだった。
「……そうでもないよ、と言いたいワン……」
その姿を見た瞬間、ジョゼフィーヌとオルタンスの歓声が、凍りついた悲鳴へと変わった。
「……な、何なのこれは……ッ!?」
フォルチュネのチャームポイントである黄金色の丸い体に、ドロッとした漆黒のインクで、これでもかと奇怪な幾何学模様が描き殴られていたのだ。
しかも、そのインクはすでに完全にカピカピに乾ききっており、毛根の奥深くまでしっかりと染み渡っている。
そう、オスカルが子供部屋でフォルチュネと「遊んでいた」時、彼はパパの書斎から盗み出した最高級の黒インクを使い、大親友の体に『カッコイイお化粧』をしたのだ。
フォルチュネはインクの強烈な激臭に耐えかね、お茶会が終わるよりもひと足先に、命からがら馬車の中へと逃げ込んで息を潜めていたのである。
「乾いていて……落ちないわこれ……」
オルタンスが震える手でフォルチュネの背中に触れ、絶望的な声を出す。
美しいパリの夕焼けに照らされる馬車の中。一瞬でも「平和に終わった」と信じた自分を呪いながら、ファーストレディ、ジョゼフィーヌは、声にならない怒号を心の底から解き放った。
(あんのクソガキャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!)
ボナパルト家の完全なる敗北。そして、オスカルの魔の手は、大人がどれほど防護壁を築こうとも、決して防ぐことはできないのだった。
(続く)
最後にお化粧されたフォルチュネ。大親友のお化粧なので我慢してくれたのですね。良いお兄ちゃん犬です。
パグは本当に可愛い犬種で私も大好きです!
オスカルとフォルチュネの友情は永遠に不滅です!




