新たな再会
翌朝、俺が目を覚ますと、そこはやはり見慣れた現実世界の自分の部屋だった。
「……ん」
体を起こした瞬間、昨日まであった魔力が、綺麗さっぱり消え失せていることに気づいた。
試しに、右手を前に突き出して魔法を出すイメージをしてみる。……だが、当然のように何も起こらない。
「やっぱり、もう完全に使えなくなったんだな……」
俺の異世界での力は全て消え去った。異世界での大冒険も、ダイチとしての超人的な強さも、本当に終わったんだと実感する。
でも、不思議とショックはなかった。それよりも、ベッドから立ち上がったときの自分の体の軽い感覚に驚いた。
「お、軽い……!体がめちゃくちゃスッキリしてるぞ」
手首に着けたパワーストーンのブレスレットに目をやる。疲労回復の付与効果が、しっかりと発動しているみたいだ。
「よし、思った通りだ!付与スキルで作ったアイテムの効果は、現実世界でもちゃんと残ってる!」
俺は思わず小さくガッツポーズをした。これだけでも、これからの現実の生活がかなり楽になるはずだ。
部屋を出ると、いつもの我が家の朝が待っていた。娘の陽葵も起きてきて、眠そうに目をこすりながら学校へ行く準備をしている。
「お父さん、おはよう」
「ああ、おはよう、陽葵。朝食できているぞ」
そんな普通の会話を交わし、俺も自分の支度をして会社へと向かった。
もちろん、昨日みたいに一瞬で移動できる転移魔法なんて裏技はもう使えない。俺はサラリーマンの現実に戻り、いつも通りの満員電車にガタゴトと揺られ、駅からトボトボと徒歩で会社へと向かった。
ところが、いざ会社に着いて仕事を始めてみると、ここでも嬉しい誤算があった。
「なんか、めちゃくちゃ集中できるし、書類を作る手が止まらないぞ」
このブレスレットには、確か全能力向上の付与スキルもつけておいた。異世界にいた頃の『才能開花』スキルによる能力アップに比べれば微々たるものだが、それでも仕事が効率よく片付いていく。
そういえば、以前ユイが言っていたっけ。
『現実世界の人には魔力耐性がないから、魔法やスキルの効果が大きく作用しやすいのよね』って。
魔力が完全に無くなった今の俺の体だからこそ、このブレスレットの恩恵をダイレクトに受けて、効果が大きく引き出されているのかもしれない。おかげで、いつもならドッと押し寄せる夕方の疲れも全く感じなかった。
夜、すべての仕事をスムーズに終えた俺は、会社を出て駅へと向かって歩いていた。
夜風が心地よく通りを吹き抜けていく。
(そういえば今朝、陽葵が『シャンプーが無くなりそう』って言ってたな。駅前のドラッグストアで買い物でもして帰るか)
そんな他愛のない家庭の考え事をしながら、ぼんやりと歩道を進んでいた、そのときだった。
ドンッ!
「キャッ!?」
短い悲鳴と共に、何かが俺の肩に強くぶつかった。
ハッと我に返ると、目の前のコンクリートの地面に、一人の女性がペタンとへたり込んでいた。
「しまった……!考え事をしていて全然気づかなかった!」
俺は慌てて、彼女の前にしゃがみ込んだ。
「すみません!大丈夫ですか!?」
女性はかなり高いヒールの靴を履いていて、ぶつかった衝撃で足をグキッと捻ってしまったようだ。痛そうに顔をしかめ、手で足首を押さえながらうつむいている。
「あちゃあ、どうしよう……」
仕事帰りのサラリーマンとOLがひしめく駅前の通りだ。道の真ん中でこんな風にうずくまっていると、周囲の通行人から変に注目を集めてしまう。早くここから移動させないと。
「本当にすみません。とりあえず、どこかに座りましょう」
俺が声をかけると、女性は少し辛そうに顔をしかめながらも、「……はい」と小さく頷いて立ち上がった。
幸い、すぐ目の前にオープンテラスのあるお洒落なカフェがあったので、俺は彼女を支えながら、外のテラス席の椅子へと座らせた。
お店の席を勝手に借りるわけにもいかないし、何か注文しないとな。
「少しここで待っていてくださいね」
俺は女性にそう告げて、急ぎ足で店の中に入った。カウンターで「とりあえずコーヒーでいいか」と二人分のホットコーヒーを注文し、トレイを持って彼女が待つテラス席へと戻った。
改めて女性の姿を見る。ピシッとしたビジネススーツを着こなしているから、やっぱりどこかのOLさんだろう。
(俺みたいなおっさんにぶつかられて、足まで痛めて……。絶対に今、内心めちゃくちゃ怒ってるだろうなぁ……)
そんな風に戦々恐々としながら、俺は女性の向かいの椅子に腰を下ろした。
「あの、これ、コーヒーどうぞ。……足、やっぱりかなり痛みますか?」
俺が恐る恐るコーヒーを差し出すと、それまでうつむいていた彼女が、ゆっくりと顔を上げた。
「あっ……」
俺は思わず、言葉を失って一瞬だけ見とれてしまった。
年齢は20代後半くらいだろうか。よく分からなかったが、驚くほど整った、綺麗な顔立ちをしていたからだ。
「あ、コーヒーありがとうございます。足は、ここで少し休ませてもらえば大丈夫です。……こちらこそ、ぶつかってしまってすみませんでした。私も、ちょっと考え事をしていて……」
女性はそう言って、申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。
「いえいえ!こちらが前をよく見ていなかったのが悪いですから!怪我までさせてしまって、本当にすみません」
俺が必死に頭を下げると、女性はフフッと小さく笑い、運ばれてきたコーヒーを一口啜った。温かい飲み物のおかげか、彼女の張り詰めていた表情が、少しだけパッと明るくなった気がした。
(良かった……。とりあえず、怒鳴られるような事態にはならなそうだ)
俺は心の底からホッと一安心し、自分の分のコーヒーに口をつけた。
だが、怪我をさせてしまったのは事実だ。このままバイバイというわけにはいかない。
俺はスーツの内ポケットから財布を取り出し、中から一万円札を一枚抜き取って、机の上にそっと差し出した。
「これ、足りるかどうか分かりませんが、病院の治療代です。受け取ってください」
女性は目を丸くして驚き、慌てて両手をブンブンと振った。
「ええっ!?いえ、いらないです!そんなの受け取れません!」
「いや、もし後から腫れてきたりしたら大変ですから。お仕事に行くのも大変になっちゃいますし、これくらいは当然です」
俺が真面目な顔でそう言うと、女性はなぜか、おかしくてたまらないといった様子で「フフッ、あはは!」と声を立てて笑い出した。
「な、何がおかしいんですか……?」
困惑する俺を真っ直ぐに見つめ、彼女は口元を緩めた。
「相変わらず優しいね。――大地さん」
「えっ……?」
俺は一瞬、心臓が跳ね上がるのを感じた。
なんで、今初めて会ったはずのこの女性が、俺の名前を知っているんだ?名刺だって渡していないし、名札だってつけていないのに。
戸惑って固まる俺をよそに、女性は楽しそうにバッグから自分のスマホを取り出した。
その瞬間、俺の視線がそのスマホのケースに釘付けになる。見覚えがある。いや、見覚えがあるどころじゃない。
それは、5年前に交通事故で亡くなった俺の妻、結衣が使っていたスマホで、異世界に転生した際、俺がアイテムボックスに入れて、あっちの世界でユイに手渡した物だ。当然、ケースもそのまま。
「それって……」
俺が言いかけたとき、彼女は「ほら」とスマホの画面をこちらに向けて見せてきた。
液晶画面に表示されていたのは、一枚の写真。
そこには、異世界の街並みをバックに、仲良く肩を並べて満面の笑みを浮かべている『ダイチ』と『ユイ』の姿が写し出されていた。あの世界の王都で一緒に撮った、ツーショット写真だ。
「嘘だろ……!?お前、まさか……ユイ、なのか!?」
俺は椅子から転げ落ちそうになりながら、周囲の目を忘れて驚愕の声を上げた。
「正解!」
彼女はいたずらっぽくウインクをして見せた。
外見の顔立ちやスタイルは、異世界にいた『ユイ』とも、5年前に亡くなった妻の『結衣』とも全然違う。だけど、その悪戯の成功を確信してニカッと笑う表情の癖や面影は、間違いなく俺の愛した結衣そのものだった。
「な、なんでだよ……!?現実世界にはもう転生できないって言ってなかったか?」
頭が大混乱に陥った俺は、声をひそめながら問い詰めた。
「もう、落ち着いてよ大地さん。私が神様の権能でまともに『転生』する場合は、魂の因果の関係で0歳の赤ちゃんから生まれ直さなきゃいけないから、もう大地さんと同じ時間を生きられないって意味だよ。だから、この体は別の人のものなの」
「別人って……じゃあ、元のこの体の持ち主はどうしたんだよ?」
俺が身を乗り出して聞くと、ユイ――いや、彼女はコーヒーを一口飲んで説明を始めた。
「この体の持ち主はね、名前を結奈って言うの。ちょっと私の元の名前と似てるでしょ?彼女、ブラック企業で働きすぎて、実は昨日の夜、過労死しちゃったのよ」
結奈と名乗った彼女の口から出た「過労死」というヘビーな単語に、俺は思わず息を呑んだ。
「過労死って……じゃあ、この結奈って人は死んじゃったのか?そんなの……」
「あっ、大丈夫大丈夫!安心して。彼女の魂が天界にやってきたとき、私が『その体を私に譲ってくれるなら、代わりにあなたの望む異世界へ転生させてあげるわ』って交渉したの。彼女、ファンタジー世界にすっごく憧れてたみたいで、大喜びで契約してくれたわよ。多分今頃は、向こうの世界で可愛い赤ちゃんとして生まれ変わってるんじゃないかな」
「そうなのか……」
転生のシステムってそんなにあっさりと交渉で成り立つものなのかと、俺は変なところで感心してしまった。
「それで、これからはお前のことを『結奈』って呼べばいいのか?」
「うん、結奈でいいわよ。戸籍も身分証も全部そうなってるしね」
「でもさ、過労死した体なんて大丈夫なのかよ?その割には、ずいぶん顔色も良さそうだけど……」
俺が心配そうに見つめると、結奈は胸を張った。
「そこは転生する前にこの体は完全に健康体にリセットしておいたから、病気一つない健康そのものよ!」
「なるほどな……」
「それでね、体が元気になったから、今日早速そのブラック企業に行って『退職届』を叩きつけてきたの!最初は上司がグチグチしぶってたんだけど、こっちがノートにまとめた残業履歴を見せて『労基に訴えますよ?』って笑顔で言ったら、一瞬ですんなり通ったわ。同僚の人たちからは『なんか急に別人みたいになったね』って驚かれちゃった。まぁ、本当に中身は別人なんだけどね!」
結奈はケラケラと愉快そうに笑う。
その容赦ない行動力と小気味いい性格を見て、俺は「はは、さすが結衣らしいな」と、ようやく緊張の糸を解いて笑うことができた。
それにしても、まさか天界へ帰るはずだった彼女が、こんな形で現実世界に転生してくるなんて、夢にも思わなかった。
「実はね、元々この結奈さんの命が危ないのは天界でも分かってたから、救済として転生させるかずっと迷ってたの。でも、ゲートの件が解決して、ダイチさんとお別れってなったときに……せっかくなら、私も人間として現実世界に転生しちゃおっかな!って思いついちゃって」
結奈は嬉そうに語る。
「それで、今日無事に退職届を出して、労基に訴えるためにハローワークに寄った帰りに、そこで歩いてる大地さんを見つけたの。びっくりして、駆け寄ろうとしたら、久しぶりの高いヒールに慣れてなくて盛大にぶつかっちゃったわけ」
「だったら、ぶつかった瞬間に早く正体を言ってくれよ!こっちは大怪我させたかと思って、めちゃくちゃヒヤヒヤしたんだぞ!」
俺が顔を伏せてため息をつくと、結奈は「ゴメンね」と可愛く舌を出した。
「でも、大地さんがオロオロして、心配してくれる反応が面白くて、つい意地悪しちゃった」
本当に、中身はあのわがままでお茶目な結衣のままだ。
「ん、よし。捻った足も、だいぶ良くなってきたわ」
結奈はコーヒーを綺麗に飲み干すと、ふと手首の時計に目を落とした。
「あ、ちょっと時間が遅くなっちゃったね。お家で陽葵が待ってるんでしょ?私も今日は、大人しく自分のアパートに帰るわね」
「あ、ああ、そうだな。わかった」
俺は立ち上がり、すかさずスマホを取り出した。
「結奈、一応、こっちの世界での連絡先を教えてくれ」
「もちろん!」
俺たちは手際よくLINEの連絡先を交換した。
「それじゃあ大地さん、また連絡するね。バイバイ!」
結奈はまだ少しおぼつかない歩き方だったが、夜の街の雑踏へと手を振りながら消えていった。
まさか、異世界での生活が終わった途端、今度は現実世界でまた結衣…結奈とこうして会えることになるなんて。
俺は胸の中に広がる大きな驚きと、それ以上の抑えきれない喜びで戸惑いながらも、自然と緩んでしまう口元を押さえ、陽葵の待つ我が家へと帰った。




