最後の異世界
森からアルバの街へと戻った俺とユイは、その足で冒険者ギルドへと向かった。
重い木製の扉を開けて中に入ると、相変わらず荒くれ者たちの熱気が漂っている。受付を通り抜け、俺たちはギルドマスターであるフォルガの部屋へと通された。
「ほう、あの新種の魔物と森の石化現象を解決した、だと?」
机の向こうで、強面のフォルガが太い腕を組んで俺たちを凝視する。
「ああ、ひとまず森の異変は収まり、石化した場所も元通りに修復したぞ」
俺が余計な詳細は伏せて簡潔に報告すると、フォルガはしばらく沈黙したあと、ふっと息を吐いて笑った。
「新種の魔物がまだ森の奥に潜んでいる可能性は否定できんが……お前たちがそこまで言うなら、ひとまずは安心だろう。街を救ってくれたことに感謝する。当然、特別報酬とランクアップを用意させてもらうぞ」
(もうこの世界に来ることはないから、ランクなんていらないんだけどな……)
そうは思ったけれど、ここで「いりません」なんて断るのも変に怪しまれてしまう。俺とユイは素直に差し出された報酬の金貨を受け取り、ギルドプレートを更新した。
手元に戻ってきたプレートには、しっかりと『Dランク』の文字が刻まれていた。いらないとは思ったが、この体はこれからはバンが使うからランクが高いほうが何かと便利だろう。
ギルドを出た俺たちは、いつもの宿の食堂へと足を運んだ。
注文した料理が運ばれてくると、俺とユイは向かい合って静かに箸を動かしながら、ぽつりぽつりと会話を始めた。
「……ダイチさん。天界に帰るの、もう少し先にしようってさっきは言ったけど。やっぱり、私、すぐに帰ろうと思うの」
ユイがスープをすくう手を止めて、まっすぐに俺を見た。
「ここに長くいたら、決心が鈍っちゃいそうだから」
「そうだな。さっきギルドでランクが上がったって言われてちょっとだけもっと冒険したいなって迷っちゃったし。でも、ユイがそう決めたんなら、俺はそれでいいよ」
俺が微笑むと、ユイは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ありがとう……。私のわがままでいきなりこの世界に転生させたと思ったら、今度は急に終わりにして、本当にごめんね」
「いいって。あのとき、死んだはずのユイにまた会えた。俺にとってはそれだけで十分に転生した価値があったよ。それに、ここで手に入れた魔法のおかげで、現実世界の陽葵との会話もすごく増えたしな」
「魔法がなくなっちゃっても……大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくるユイに、俺は力強く頷いた。
「ああ。ルチアのときに一度死んで、魔法が使えなくなったときは、もう何もできないって思った。だけど、もう大丈夫だ。今の俺なら、魔法なんてなくても、陽葵とちゃんと向き合ってうまくやっていけるさ」
「そうね。ダイチさんなら、きっと大丈夫」
ユイはそう言って、いつもの眩しい笑顔を咲かせた。
夕食を終えて宿屋の部屋に戻る。
俺は自分の狭い一人部屋を引き払い、ユイが泊まっている広い部屋へと荷物を移した。最後の夜を、みんなで過ごすために。
俺がアイテムボックスから、食堂から持ち帰ってきたばかりの温かい肉料理をお皿に出すと、カーバンクルの姿に戻ったバンが「わーい!いただきます!」と勢いよく飛びついた。
その様子を眺めながら、俺はユイに気になっていたことを尋ねる。
「……それで、俺が今夜眠って現実世界に戻ったら、もう二度とこの世界には来られないんだよな?」
「そうね。ダイチさんが眠ったあと、魂は現実世界へ完全に帰還するわ。その間に、私がバンの魂をそのダイチさんの体に移す。それが完了したら、もうダイチさんがこの身体に転生することはできなくなるの」
ユイは少し真面目な顔になって言葉を続けた。
「それに、この体の魔力はバン自身のものと融合することになるから……現実世界のダイチさんの中にある魔力も、いずれは完全に消えちゃうと思うわ」
「いずれ、って……すぐになくなるわけじゃないのか?」
「ええ。現実世界に戻った時点では、まだ魂に魔力の残滓が残っているから。使えなくなるまでは、少しだけタイムラグがあるはずよ」
「そっか。それなら、戻ってからアイテムボックスの整理をするくらいの余裕はありそうだな」
会話が途切れ、部屋の中に静かな時間が流れる。
「ユイとこうして会えるのも、本当にこれで最後なんだな」
俺の言葉に、ユイは小さく頷いた。
「そうね。私のわがままに付き合わせちゃったけど……なんだか、昔ダイチさんと付き合ってた頃に戻ったみたいで、すっごく楽しかったわ」
「俺も、本当に楽しかったよ」
俺たちの少ししんみりとした雰囲気を察したのだろう。バンはいつの間にか料理をきれいに平らげると、静かに魔石の形へと姿を変え、元通りのネックレスに収まっていた。
こうして、最後の異世界生活が終わり、俺はそっと目を閉じて深い眠りについた。
◇◇◇
パチッと、自分の部屋の天井が目に飛び込んできて、俺はベッドの上で目を覚ました。
窓の外から聞こえるのは、いつもの聞き慣れた現実世界の朝の音。
「……戻ったか」
ベッドの上に体を起こし、自分の両手を見つめる。
もう異世界へ転生することはできない。だけど、まだ体の中に魔力が残っているのがはっきりと分かった。
「魔法が使えるうちに、やっておくべきことを終わらせないとな」
俺は急いでアイテムボックスを開き、中に仕舞い込んであった自分のスマホや、料理に使った鍋、食器類を現実世界へと取り出した。
キッチンへ向かい、手際よく鍋や食器を洗い、棚へと片付けていく。そうしてアイテムボックスの中身を整理していると、背後から足音が聞こえた。
「おはよう。お父さん、朝から何やってるの?」
パジャマ姿の陽葵が、目をこすりながら起きてきた。
「ああ、いや、なんでもないぞ。朝ごはん、何にしようかと思ってな」
「んー、何でもいいよ。っていうか今日、仕事休みなの?」
陽葵は眠たそうにそう言ったが、俺の答えを待つまでもなく、着替えをするために自分の部屋へと戻っていった。
(……あ、そうだ。今日は平日じゃん!)
異世界での日数の感覚のせいで、すっかり曜日感覚が狂っていた。俺は慌てて時計を確認し、急いで自分の仕事の支度を始めた。
軽く朝食を済ませると、陽葵は「行ってきます」と学校へ向かって家を出ていった。
俺もスーツに着替え、玄関を出る。まだ体の中に魔力が満ちている。これならいけるはずだ。
周囲に人がいないことを確認すると、俺は『隠形』のスキルを使って完全に姿を消した。そして、頭の中で目的地の風景を強くイメージする。
(場所は……会社のあるビルの、あの人通りのない非常階段の廊下!)
俺は転移魔法を発動させた。
視界が一瞬で切り替わり、次の瞬間には、見慣れた会社のビルの静かな廊下に立っていた。
時計を見ると、家を出てからまだ一分も経っていない。
「ふぅ……。もう今後は、この便利な裏技も使えなくなっちゃうんだよな」
少し苦笑いしながら隠形を解き、俺は何食わぬ顔で事務所のドアを開けた。
きっちりと仕事をこなし、夜になって会社を出る。
驚いたことに、夜になった今でも、俺の体の中にまだしっかりと魔力の感覚が残っていた。
(まだ魔法が使える……?ユイがまだバンに体を移していないのか、それともタイムラグが思ったより長いのか……?)
そんなことを考えながら、帰り道も人気の無い場所から転移魔法を使って家の前の死角へと一瞬で移動した。
玄関を開けて家に入ると、ソファに座ってスマホをいじっていた陽葵がパッと顔を上げた。
「おかえりー」
「ただいま」
手早く夕食の準備をして、二人で向かい合って夕食の食卓を囲んでいると、陽葵がふと、俺の左手首に目を留めて眉をひそめた。
「あれ?お父さん、何それ。そんなブレスレット持ってたっけ?」
陽葵が指差したのは、俺の腕に巻かれた、いくつかの綺麗な天然石が連なったパワーストーンのブレスレットだった。
「これか?ああ、なんかご利益でもあるかなと思って、ちょっと買ってみたんだよ」
俺は適当に嘘をついて誤魔化した。
実はこれ、今朝会社に行く前のわずかな時間、まだ魔力が残っているうちに、ベランダの家庭菜園の土を使って錬金術で急造し、一つ一つの石に付与スキルを施したブレスレットだった。
魔法の力が消えてしまっても、その効果だけは現実世界でも残り続けるんじゃないかと考えたのだ。
ユイの前では「魔法がなくなっても大丈夫だ」なんて偉そうなことを言っておきながら、やっぱり多少は名残惜しくなってしまい、急いで作ったものだった。
「ふーん。そういえばさ、お父さんもうすぐ誕生日だよね。自分へのプレゼント?」
陽葵がモグモグとご飯を食べながら、何気なく言った。
「誕生日……?ああ、そうだったな。まあ、そんなもんだ」
誕生日のことなんて完全に頭から抜けていた。そうか、俺、もうすぐ41歳になるのか。本当に月日が流れるのは早い。
俺は少し調子に乗って、陽葵に意地悪く聞いてみた。
「ちなみに、陽葵からは何か誕生日プレゼント、くれるのか?」
「えっ?何それ。どうせいらないって言うでしょ」
陽葵はめんどくさそうに顔をしかめる。
「いや、いる。陽葵がくれるものなら、俺は何だってめちゃくちゃ嬉しいぞ」
俺が真っ直ぐに目を見て言うと、陽葵は「えー……」と声を漏らし、予想外の返答に少し照れくさそうに視線を泳がせた。
残っていたご飯を急いで口に掻き込むと、そそくさと自分の食器を片付け始める。
「……じゃあ、なんか考えとく。おやすみ!」
それだけ言い残すと、陽葵は自分の部屋へとババッと戻っていった。
去年の俺の誕生日のときは、会話のネタにすら上らなかった。
思春期の娘と、ここまで普通に、お互いの顔を見て話ができるようになったのも、間違いなくあの異世界への転生がきっかけをくれたおかげだ。
腕のブレスレットをそっと撫でる。
もう二度と、あの世界へ転生することはできない。魔法の力が完全に消え去ったとしても、俺はこの現実世界で、大切な家族と一緒にしっかりと歩んでいける。
静かになったリビングで、俺は心の中でそう強く誓った。




