フィリアとの別れ
おいしいランチが終わると、俺たちはすぐに石化した森を元に戻す作業の続きに取りかかった。
「それじゃあ、いきます!」
フィリアが再び、光魔法で白く固まった大地を優しく包み込んでいく。
その間、魔力の変化に引き寄せられて襲ってくる魔獣たちは、俺とユイ、そしてバンの三人で完璧にシャットアウトした。
「……これで、最後です!」
フィリアが大きく息を吐きながら両手をかざして、一番奥に残っていた巨大な石化の木が、サァァッと瑞々しい本来の緑色を取り戻した。周囲を見渡せば、メデューサによって無惨に変えられてしまった森は、完全に元の美しい姿へと戻っている。
「お疲れ様、フィリア。よく頑張ったわ」
ユイがフィリアの肩を抱き寄せ、優しく声をかける。
「ああ、本当によく頑張ったな。ありがとう、フィリア」
俺も心からの感謝を伝えると、フィリアは疲れを見せつつも、嬉しそうに胸に手を当てて微笑んだ。
「こっちに突っ込んできてた魔獣も、ボクたちがほぼ全て駆除し終えたよ。これでもう安心だね」
バンの言う通り、周囲の魔力探知にも不穏な反応は一切残っていない。
「そうしたら……残るはユイとカレンを繋ぐ魔力を切って、異世界のゲートを閉じるだけだな」
俺がそう言ったところで、ふと重要なことに気づいた。
ゲートを閉じるということは、異世界間の行き来ができなくなるということだ。
「待てよ……。まずフィリアを、元の世界に戻さないといけないな」
俺の言葉に、みんなの動きが止まる。
「フィリアとも、これでお別れだな」
俺が少し寂しさをにじませて言うと、ユイも真剣な表情で頷いた。
「そうね。フィリアを向こうの世界に送り届けたあとにゲートを閉じないと、フィリアが自分の世界に帰れなくなっちゃうものね」
フィリアは俺たちを見つめ、静かに微笑んだ。
「少しさみしいですが、この数日間、私の知らない世界をたくさん見ることができて……とても新鮮で、楽しかったです。ダイチさん、ユイさん、それにバン君。皆さんに出会えて良かったです」
「ボクも、フィリアの世界の話を聞けて楽しかったよ。お城の生活とか、ボクたちの世界とは全然違って面白かったなぁ」
バンも名残惜しそうに前足を動かしている。
「それじゃあ、まずはゲートの場所に向かおうか」
俺の合図で、俺たちは森の奥にある、異世界を繋ぐあの歪んだ空間――ゲートの前へと移動した。
ゲートの前に到着すると、以前ユイが張った結界は問題なく作動しており、向こう側から魔獣が紛れ込んでくる様子はなかった。
「私がフィリアを連れて、一度ゲートを通って向こうの世界へ行くわ。すぐに戻ってくるから」
「ああ、任せたぞ。向こうも何があるか分からないから、気をつけてな」
「ええ。それじゃあ、結界を解除するわね」
ユイが結界を解除すると、ゲートを覆っていた透明な魔力の膜が消えていく。
「さあ、フィリア、行きましょう」
「はい。……ダイチさん、バン君。本当に、ありがとうございました」
フィリアは最後にもう一度、俺たちに向かって深く頭を下げた。
「こちらこそな。向こうの世界に戻っても、元気でな」
俺が手を振ると、ユイとフィリアはしっかりと手を繋ぎ、ゲートの中へと足を踏み入れていった。二人の姿が、ゲートの暗闇の中に消えていく。
残されたのは、俺とバンの二人だけになった。
静まり返った森の中でゲートを見つめながら、俺はユイが戻ってくるまでの間に、バンに伝えておくべきことを話してしまおうと思った。
「なぁ、バン」
「んー?何、ダイチ」
「ユイが戻ってきて、無事にゲートを閉じたあとの話なんだけどさ……。多分、ユイは天界に帰ると思うんだ」
バンは驚いたように、丸い目をさらに丸くした。
「えっ、そうなの?ゲートを閉じれば一件落着だし、もう危険なことも何もないと思うけど」
「今回のこと、全部自分の責任だって感じているみたいなんだよ。自分のわがままでみんなを危険にさらしたって。……もしそうなった場合、俺も多分、この世界にはもう来られなくなると思う」
俺が少し沈んだ声で言うと、バンは「ふーん、そうなんだ」と、意外にもあっさりとした声を返してきた。
俺は少し拍子抜けして、バンを小突く。
「なんだよ、随分とあっさりしてるな。お前は、俺たちがいなくなってもいいのか?」
「まあ、またこうしてカーバンクルの姿に戻れて、自由に動けるようになったのはユイとダイチのおかげだから、すっごく感謝してるよ?でもさ、ボクにとっては別れなんて一瞬のことだからね。そりゃあ、残念だなぁとは思うけどさ」
バンの言葉を聞いて、俺はハッとした。
そうだ、こいつは何百年も生きてきたんだ。人間とは時間の流れ方が違う。これまでにも、数え切れないほどの出会いと別れを経験してきたのだろう。
「そうか……。まあ、俺だって本音を言えば、もう少しこの世界で冒険者として楽しみたいなとは思うけどさ。でも、俺には現実世界の家族がいるし、あっちの生活の方が大事だからな。もしお前に引き止められたとしても、俺は帰るつもりだから納得してくれて助かるよ」
すると、バンがふと不思議そうな顔をして俺を見上げてきた。
「ねえ、それでさ。もしもうダイチがこの世界にこない場合、今のその『ダイチ』の体ってどうなっちゃうの?」
「ん?……あ」
言われてみれば、そうだ。
この冒険者としてのダイチの肉体は、本来の持ち主の魂をユイが別の異世界へ転生させたことで、空っぽになっていたものを俺が使っている状態だ。もし俺の魂が現実世界に完全に戻ってしまったら、この体はどうなるんだ?
「そういえばどうなるんだろ……。まさか、死体になるのか?それはちょっと寝覚めが悪いな……」
俺が腕を組んで考え込んでいると、バンが目をキラキラと輝かせて俺の足元に擦り寄ってきた。
「ねぇねぇ!もしその体がいらないなら、ボクがもらってもいい?ユイの力を使えば、ボクの魂をそのダイチの体に移すことだってできると思うんだよね!」
「お前に、この体を?」
驚いたが、少し考えてみるとそれは妙案な気がしてきた。
「そうか……それなら安心だな。この体、スキルもレベルも完全に人間離れしちゃってるから、もし俺が去った後に変な奴に悪用されたりしたら最悪だ。お前が使ってくれるなら、よっぽどいいよ」
「やった!交渉成立だね!」
そんな話をしているうちに、ゲートの奥が揺れ、ユイが一人でこちら側へと戻ってきた。
「ただいま!無事にフィリアを家まで送り届けてきたわ。そっちは変わったことはなかった?」
「おかえり、ユイ。こっちは魔獣の一匹も出てこなくて、のんびりしたもんだったよ」
「そう、よかった。それじゃあバン、早速だけど、ゲートを閉じるためにお願いするわね」
ユイが真剣な表情で言うと、バンも「了解!」と短く鳴いて、ユイの前に回り込んだ。ユイとゲートの間に、バンが遮るように立つ。
「まずは、ユイの魔力を完全に遮断するよ。アビスバインド!」
バンの前足から、底知れない闇の魔力が放たれ、ユイの体を包み込んだ。
グレイハウンドの時に使ったシャドウバインドは体の動きを物理的に拘束する魔法だが、このアビスバインドは体内の魔力そのものを完全に拘束する魔法らしい。これでユイの体から魔力が出ることも、外から入ることも完全になくなった。
「……すご、本当に一瞬で魔法が全く使えなくなっちゃったわ。これでいいのよね、バン?」
ユイが自分の手を見つめながら驚いている。
「うん、バッチリ。じゃあ、一気にいくよ!デスサイズ!」
バンが鋭く叫ぶと、漆黒の巨大な鎌が空間に現れ、ユイとゲートの間の空間を切り裂いた。
一瞬だけ何もない空間に魔力が激しく弾けたような眩しい光が視界を遮る。
「魔力の糸は完全に切れたよ。あとは、アビスバインドの効果が切れたときに、もう一度魔力がカレンと自動で繋がらなければ大成功だね」
バンが前足を下ろして息をつく。
「そうしたら……このゲートはどうなるんだ?勝手に消えるのか?」
俺が尋ねると、バンは「さあ?そこまではボクも分からないよ」と肩をすくめた。
「あっ、見て!ゲートが小さくなっていってるわ!」
ユイが声を上げ、ゲートを指差した。
見ると、大人が三人並んで通れるほど大きかったゲートの歪みが、みるみるうちに縮んでいく。中心に向かって吸い込まれるように小さくなり、やがて完全に空間から消滅した。
後に残ったのは、ただの静かな森の景色だけだ。
「……消えたな。成功、なのか?」
「多分ね。さっきバンが言ったように、私の魔力拘束が解けた時に、また魔力がカレンと繋がってゲートが再開しちゃったら意味がないけれど……」
ユイが不安そうに言う。
「じゃあ、効果が切れるまでここで少し様子を見てみようか」
俺の提案にみんなが同意し、俺たちは切り株に腰掛けた。
すると、バンが退屈そうに尻尾を振りながら俺を見た。
「じゃあさ、待ってる間、ダイチとしてた、さっきの話の続きをしようよ」
「さっきの話?何の話をしてたの?」
ユイが不思議そうに首をかしげる。
「ああ。実は、ゲートの件が全部解決したら、ユイが天界に帰っちゃうから、俺もこの世界にはもう来ないって話をバンにしてたんだよ」
「あっ……」
ユイはバツが悪そうに視線を落とした。
「そうね……。そうなったら、バンをこの世界に一人ぼっちにさせちゃうわね。でも、今すぐ帰るわけじゃないわよ?もう少し、色々と気持ちの整理がついた時にね」
「一人になるのは別にいつでも構わないよ。ただね、その天界に帰る時でいいから、ダイチのこの肉体をボクにくれない?って話をしてたの」
「ええっ!?ダイチさんの体をバンに!?」
ユイは驚いて声を裏返した。
「でも、確かに……ダイチさんが現実世界に戻って二度と来なくなったら、その体は持ち主がいなくなっちゃうけれど……」
「ユイならできるんだろ?俺の魂が現実世界で眠っている間、こっちの体を維持してくれたり、俺が石化したときに魔石に魂を移したりしてくれたんだから。バンの魂をこの体に移すこともできないか?」
俺が尋ねると、ユイは少し考え込んだあと、納得したように頷いた。
「そうね……。ダイチさんとバンは、魔力が完全に同調して繋がっているから、魂の器としての相性は完璧だわ。私の権能を使えば、魂の移譲は可能よ」
「やったぁ!これでボクも人間になって、美味しいご飯がいっぱい食べられるよ!」
バンが嬉しそうに飛び跳ねる。
「……おい。お前、俺の体を手に入れる理由が美味しいご飯を食べるためだったのか?」
俺が呆れて突っ込むと、ユイがクスクスと声を立てて笑った。
「あ、魔力の拘束が解けたみたい。体の中に魔力が戻ってきたわ」
ユイが自分の胸に手を当てて言った。
「ん、ちょっと待ってね。ボクが見てあげる」
バンが真剣な目になって、ユイの体の周りの空間をじっと観察する。
数秒の沈黙の後、バンは満足そうに小さく頷いた。
「うん!魔力の糸はどこにも見当たらないね。カレンとの繋がりは完全に消えてる。もう大丈夫、大成功だよ!」
「よかった……!」
ユイが本当に安心したように、深く長い息を吐き出した。その表情からは、ずっと彼女を苦しめていた重荷が、ようやく綺麗に消え去ったことが見て取れた。
「よし!それじゃあ、これからの詳しい話の続きは、一度街に戻ってからにしようか」
俺が立ち上がって服についた土を払うと、ユイも笑顔で立ち上がった。
「そうね!緊張が解けたら、なんだか急にお腹が空いてきちゃったわ」
「ねえダイチ!今日のご飯は何!?また美味しいお肉!?」
バンが期待に満ちた目で俺を見上げてくるが、俺は苦笑して首を振った。
「残念ながら、日本から持ってきた料理のストックはもう全部使い切っちゃって無いぞ。今日は普通に、宿の食堂のメシだ。それにお前は、ちゃんと宿屋に戻って、部屋に入ってから食べるんだからな」
「えー、まあそれも美味しいからいいけど」
俺たちは並んで、夕暮れ時の街へ向かって静かな森を歩き始めた。大きな問題が解決し、俺たちの足取りは、いつになく軽かった。




