闇魔法のレベル上げ
小鳥のさえずりが聞こえる異世界の朝、宿屋のベッドで目を覚ました。
今日はユイの魔力の糸を切り離すための準備――つまり、俺とバンの闇魔法のレベル上げを行う日だ。
身支度と装備の確認をパパッと終わらせた俺は、部屋を出てユイとフィリアの部屋へと向かった。昨日と同じように木製のドアを小突くようにノックすると、すぐにユイが「はーい、どうぞ!」と中から招き入れてくれた。
「おはよう、ダイチさん。準備はバッチリ?」
「ああ、いつでもいけるぞ」
部屋の中を見渡すと、今日はフィリアも森へ同行するため、昨日までの町娘のような格好ではなく、動きやすそうな革の胸当てやブーツを身につけた冒険者らしい装備に着替えていた。公爵令嬢の彼女がこういう格好をするのは新鮮だけど、背筋がすっと伸びていて、これはこれで様になっている。
「よし、全員揃ったわね。今日の作戦だけど、ダイチさんとバンは闇魔法のレベル上げ、私とフィリアはメデューサの血で石化しちゃった森の状態を回復させるために、途中から二手に分かれましょう」
ユイの提案に、俺たちは深く頷いた。
宿を出てしばらく歩き、俺たちは不気味な静けさを湛える森の入り口へと到着した。最初は何かあったときのために、全員で固まって森の奥へと進んでいく。
木々の隙間を抜け、しばらく歩いたところで、俺の魔力探知に複数の反応が引っかかった。
「……ユイ、向こうの茂みの奥、魔物の気配がかなり多い。俺とバンはそこに向かうよ」
「よし、ダイチ、行こう!ボクが先導するよ!」
バンがそう言うなり、小さな体をバネのように弾ませてトトトッと先行していった。
「あまり離れすぎないようにね!何かあったらすぐに叫ぶのよ!」
ユイが後ろから声を張り上げる。
「わかった。魔力探知の範囲内にはいるよ。そっちも無理はするなよ!」
俺はそう言い残し、バンの後ろを追いかけて茂みをかき分けた。
気配のする開けた場所へと飛び出すと、そこではすでにバンが魔物の群れと対峙していた。
「おいおい、結構な数だな……」
そこにいたのは、鋭い牙と灰色の毛並みを持つ狼の魔獣――グレイハウンドの群れだった。ざっと見て二十匹近くはいる。これらは全てレイディアント・ハーツの魔獣だ。この世界への影響を防ぐためにも、一匹残さずここで処理しておかなければならない。
「バン、逃がさないように囲うぞ!アースウォール!」
俺は地面に手を突き、魔力を流し込んだ。グレイハウンドの群れの周囲の地面がズズズと盛り上がり、彼らを閉じ込めるように四方を高い土の壁で囲い込む。
「ナイス、ダイチ!」
壁の上に立ってグレイハウンドを見下ろす俺の足元にバンがやってきて、不敵に笑った。
「でもさ、せっかくなら効率よく闇魔法のレベル上げをしようよ。こういう便利な魔法もあるんだからさ」
そう言うと、バンの小さな体から黒いモヤのような魔力が溢れ出た。
「シャドウバインド!」
バンの影が触手のように伸びていき、壁の中に閉じ込められたグレイハウンドたちの影へと繋がった。すると、魔獣たちは自分自身の影に体をがっちりと拘束され、ピキリと身動きが取れなくなってしまった。
「あとは視界を真っ暗にするブラインドかな。この二つの魔法を、ボクとダイチで交互に魔獣の群れにかけ続けるだけで、一気にレベルが上がると思うよ」
なるほど、と俺は察した。
俺たち二人には『才能開花』があるから、ただでさえ普通の人の何倍もレベルが上がりやすい。その上、俺とバンのレベルやスキルは互いにリアルタイムで共有されている。つまり、二人が同時に魔法を連発すれば、その成長速度は単純計算でもさらに二倍になるわけだ。
グレイハウンドも二十匹近くいる。わざわざ一匹ずつ倒すよりも、動けない相手に弱体化魔法をひたすら掛けまくる方が、安全だし圧倒的に早いに決まっている。
「よし、やるか!」
俺とバンはニヤリと笑い合い、そこからはひたすら闇魔法の乱打戦が始まった。
「ブラインド!シャドウバインド!」
「ブラインド!ブラインド!」
黒い魔力の光が何度もフラッシュのように周囲を包み込む。頭の中に経験値が文字通りドバドバと流れ込んでくる感覚があり、ものの数分で俺の体内の魔力の質がガラリと変わった。
ステータス画面を視線で開いて確認してみると、さっきまで低かった闇魔法のレベルが、あっという間に上限の『10』まで跳ね上がっていた。
「上がったぞ……!あ、闇魔法のリストにデスサイズの項目が追加されてる」
俺がそう言うと、バンも自分のステータスを確認した。
「よし、じゃあこの魔法をどう使うか、ちょっと試してみる?ちょうどいい実験台もいるしさ」
バンが前足でグレイハウンドの一匹を指差した。
「いくよ。ハァッ!」
バンが一匹のグレイハウンドを狙ってデスサイズを放った。黒い影が巨大な死神の鎌のような形を形成し、凄まじい速度でグレイハウンドの体を真横に切り裂いた――ように見えた。
だが、魔獣の肉体には傷一つついていない。
「あれ?失敗か?」
俺が首をかしげた瞬間、そのグレイハウンドは糸が切れた人形のように、力なくその場にバタリと倒れ伏した。ピクリとも動かない。
「デスサイズには二種類あってね。今のは魂を奪う方。肉体は無事だけど、中身は完全に死んでるよ」
「おいおい……即死魔法かよ。えげつなすぎるな……」
あまりの凶悪さに俺は引き気味に呟く。
「まぁ、即死耐性のアイテムを持ってる奴とか、レベル差があったり、生命力がめちゃくちゃ強い相手には効きにくいけどね」
バンは事も無げに言うと、今度は別のグレイハウンドに狙いを定めた。
「で、もう一つが本命の、魔力を奪うデスサイズ!」
バンの前足から、再び同じ黒い鎌が放たれる。今度もグレイハウンドの体をすり抜けるように切り裂いたが、その瞬間、パチンと弾けるような、鮮やかな魔力の光の飛沫が周囲に飛び散るのが見えた。
切られたグレイハウンドはフラフラとよろめいたものの、倒れることはなく、ただひどく疲弊したようにハァハァと息を荒くしている。
「魔力を切ったから、行き場をなくした魔力が弾けて一瞬だけ光って見えたんだよ。ダイチ、あの光の粒が、ボクに見えている魔力の色だよ」
「なるほど……あれが魔力か」
一瞬だけ見えた神秘的な光の残像を脳裏に焼き付ける。
「でも、それなら俺でも同じように魔力を切ることができるんじゃないか?」
「魔物相手ならね。でも、大気中の魔力を切るのは今のダイチ、というか人間には無理だよ」
「なんでだ?魔法のレベルは最大になったんだろ?」
バンは呆れたようにため息をつき、説明を始めた。
「いい?魔力っていうのは、すっごく小さな光の粒なんだ。魔物や人間は、その粒を体内にギュッととどめているから、そこを狙ってデスサイズで大きく切ればいい。でも、大気中に漂っている魔力は固定されていなくて、常にフワフワ流れてるの。そんなものを、見えもしないのに闇雲に切ったって、ただ空振るだけで小さな粒を捉えることなんてできないよ」
「なるほどな……。だから、大気中の魔力がハッキリと見えていないと、ユイとカレンを繋ぐ魔力の糸を正確に切ることはできないってわけか」
「そういうこと!ってことで、もうこのグレイハウンドたちは用済みだけど、どうする?」
バンが壁の中の魔獣たちを見下ろす。
「どうすると言っても、レイハーの魔獣をこのまま残しておくわけにはいかないからな。一方的なのは少し気が引けるけど……一気にやるか。壁の外に降りるぞ」
俺とバンは土壁から降りて少し離れたところに立った。
俺は小さく息を吐くと、グレイハウンドたちを囲っていた土魔法の壁に意識を向けた。
「はあっ!」
気合と共に手を振ると、高くそびえ立っていた四方の土壁が、内側のグレイハウンドたちに向かって一斉に崩れ落ちる。
「キャン――ッ!」
短い悲鳴が一瞬だけ響いたが、それも束の間、あっという間に全てのグレイハウンドが巨大な土壁の質量に押しつぶされ、静かになった。
「よし、レベル上げも終わったし、ユイとフィリアの元へ行こう」
「そうだね、そこまで遠くないよ。途中に別の魔獣もいそうだから、それも倒しながら合流しようか」
俺とバンは再び魔力探知を意識しながら、二人が作業をしている場所へと向かって森を駆けた。
しばらくして、以前俺がメデューサを倒した場所の付近に辿り着くと、そこにはユイとフィリアの姿があった。
周囲を見渡すと、不自然に白く硬化した木々や地面が、まだ広範囲に広がっている。
「やっぱり森の石化がかなり広がっているわね……。大丈夫そう?フィリア」
ユイが心配そうに声をかけると、フィリアは額の汗を拭いながら健気に微笑んだ。
「私の魔力量では、一度に全てを元通りにするのは難しいですが……少しずつ、確実にやってみます!」
そう言うと、フィリアは手をかざし【光魔法】を放った。柔らかな白い光が周囲に広がると、カチカチに凍りついていた木々や土が、じわじわと本来の瑞々しい茶色や緑色を取り戻していく。
「おーい、ユイ、フィリア!」
俺が声をかけながら近づくと、ユイがパッと顔を輝かせて振り返った。
「あ、ダイチさん!バン!闇魔法のレベル上げは終わったの?」
「ああ、バッチリだ。完璧にマスターしたぞ。あとはこの石化した森を綺麗にするだけだな」
「ええ、今フィリアが頑張ってくれているのよ」
ユイの言葉通り、フィリアの魔法によって周囲の石化がさらに治り、豊かな自然が復活していく。しかし、それと引き換えにするように、フィリアの呼吸は徐々に荒くなっていった。
「ふぅ……っ、はぁ……」
限界まで魔力を絞り出したのだろう、フィリアは少し体力を消耗した様子で、大きく息をついた。
「お疲れ様、フィリア。凄いわ、見違えるように綺麗になった。少し休みましょう?」
ユイが優しく肩を叩く。
「ですが、ユイさん……まだあの奥にも、石化した木がたくさん残っています。私はまだ……」
フィリアは焦るように奥を指差したが、俺は彼女の前に立って優しく制した。
「無理しないで、まずは休もう。ちょうどお腹も空いてきた頃だし、ここでお昼にしようぜ」
「わーい!お昼!お肉お肉〜!」
バンが俺の肩の上で大はしゃぎする。
「そうね。ここに魔物が入ってこないように結界を張るから、お昼にしましょう」
ユイが手際よく杖を振るって周囲に安全なスペースを作ってくれた。
皆がワイワイと楽しそうに準備を始めるのを見て、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。フィリアは「あ……」と小さく声を漏らすと、その場にへたり込むように座り込んでしまった。
「大丈夫!?フィリア」
ユイが慌てて駆け寄る。
「すみません……。皆さんの役に立ちたい一心で、少し魔力を使いすぎてしまったみたいです。……情けないですが、少し休めば大丈夫ですので……」
申し訳なさそうに俯くフィリアに、俺は苦笑しながら歩み寄った。
「休むことも立派な仕事だぞ、フィリア」
俺はアイテムボックスから、冷えた水が入った水筒と、真っ赤に熟したミニトマトを数個、皿に乗せて彼女に手渡した。
「はい、これ食べてみて」
「トマト……ですか?」
フィリアは不思議そうに、その小さな赤い果実を見つめた。
「ただのトマトじゃないぞ。俺が魔法を使って家庭菜園で育てた特製のトマトだ。疲労回復と、魔力を回復させる効果があるんだ」
現実世界のベランダで育てているトマトを少しアイテムボックスに入れていた。
フィリアは「いただきます」と小さく言うと、ミニトマトを一つ口に放り込んだ。
サクッとした小気味いい音が響き、果汁が弾けた瞬間――フィリアの体全体が、わずかに淡い緑色の光に包まれた。
「えっ……!?すごいです……!さっきまでの鉛のように重かった疲れが、嘘みたいになくなりました!魔力も、どんどん底から湧き上がってくるみたいです!」
フィリアは自分の両手を何度も握り締めながら、信じられないといった様子で目を輝かせた。
「だろ?でも、いくら回復したからって無理は禁物だぞ。しっかり休んで、しっかり食べて、それからまた午後から頑張ろう」
俺が諭すように言うと、フィリアは満面の笑みで「はい!」と元気よく返事をした。
それを見ていたユイが、クスッと悪戯っぽく笑って俺の顔を覗き込んできた。
「ふふ、なんだか今のダイチさん、まるでお父さんみたいね」
「まぁ、陽葵と歳が近いからな。こういう一生懸命な子を見ると、つい親目線になってしまうんだよ。ユイだって、その気持ち分かるだろ?」
「そうね。私は9歳の陽葵までしか知らないけれど……。今の陽葵だったら、こんな感じなのかなぁって、ちょっと想像しちゃうわ」
ユイは遠い目をして、どこか懐かしそうに微笑む。
「いや、陽葵はフィリアみたいに上品じゃないぞ。もっとこう、おてんばというか、今じゃ部屋でスマホばっかりいじってるしな」
「あー、ダイチさん、そんなこと言っていいの?」
「いや、陽葵の前では絶対にそんなこと言わないって!それに、あいつにはあいつの良いところがたくさんあるからな!」
俺が慌てて弁明すると、ユイもフィリアも、それからお肉を口いっぱいに頬張っていたバンも、みんなで一緒になって笑った。
そんな他愛のない会話を交わしながら、俺たちは木漏れ日が差し込む異世界の森の中で、まるで楽しいピクニックにでも来ているかのような、穏やかで賑やかなランチタイムを満喫した。




