日本のカレーはうまい
「……そろそろ戻ろうか」
王都の賑やかな大通りを歩きながら、俺は隣のユイに声をかけた。日はすっかり傾き、街灯りの魔導具がぽつぽつと点り始めている。
「うん、そうだね。みんな待ってるもんね」
ユイは寂しそうな笑顔を一瞬だけ見せたけれど、すぐにいつもの明るい表情に戻って頷いた。
俺たちは王都の頑丈な城門をくぐり、人の往来が少なくなった街道沿いをしばらく歩いた。遮るもののない草原まで進み、周囲に誰もいないことを確認する。
「この辺でいいか」
足を止めて振り返ると、ユイが少し心配そうな顔で俺を見ていた。
「ダイチさん、転移魔法を使うのってこれが初めてよね?」
「ああ、そうだ。ぶっつけ本番だな」
「ちゃんと目的地をイメージできないと、全然違う場所に行っちゃったり、最悪の場合は壁の中に埋まったりするから本当に気をつけてね」
「おいおい、脅かすなよ……」
冷や汗が流れるのを感じながら、俺はユイの右手をしっかりと握り締めた。
イメージするのは、アルバの街の安宿。ユイとフィリアが泊まっているあの部屋だ。今朝、出発する直前の部屋の風景、ドアの位置、ベッドの配置、空気の匂いまでを鮮明に思い浮かべる。
「いくぞ……」
心の中で念じ、新しく覚えた『転移魔法』を発動させた。
視界がぐにゃりと反転した。
浮遊感があったのはほんの一瞬で、次の瞬間には、見慣れた宿屋の木目の壁が目の前にあった。
「あれ……?お帰りなさい、お姉様、ダイチさん!」
部屋の丸椅子に座っていたフィリアが、突然目の前に現れた俺たちを見て、驚いたように勢いよく立ち上がった。その膝の上で丸くなっていたバンも、目を丸くして飛び起きる。
「あれれ?転移魔法ってもの凄く魔力を消費するから、戻ってくるのは明日になるってユイが言ってなかったっけ?」
「実は俺も転移魔法を覚えたんだ。だから帰りは俺が転移魔法を使って戻ってきたんだ」
俺が少し得意げに言うと、バンは「ええっ、そうなの!?」と驚き、何やらぶつぶつと呟きながら自分のステータスを確認し始めた。
「……本当だ!ボクのステータスにもいつの間にか転移魔法が増えてる!あ、それから闇魔法も無事に覚えたんだね!」
どうやら魔力が繋がっている影響で、俺が新しくスキルを習得すると、即座にバンにも同じ能力が共有されるシステムらしい。本当に便利な相棒だ。
「能力の確認ができたところで本題なんだが……その闇魔法で魔力を切るっていうのは、具体的にどうやるんだ?」
俺が尋ねると、バンは机の上に飛び乗って真面目な顔になった。
「闇魔法の中には、魔力を遮断する固有の魔法があるんだ。一時的に相手の魔法を使えなくしたりする魔法なんだけど、それを使ってまずはユイの魔力の流れを完全に止める」
「なるほど」
「で、その後に、二人の間に繋がっちゃっている魔力の糸を【デスサイズ】っていう闇魔法で切り離すんだよ」
「デスサイズ……死神の鎌かよ。おい、それって命まで奪ったりしないよな?」
物騒な名前に俺が眉をひそめると、バンは首を振った。
「本来の使い方は魔力や命を根こそぎ奪う凶悪な魔法だよ。でも今回は、最初に魔力の流れを止めるからユイには一切ダメージはいかないし、ボクの制御なら魔力の糸だけを狙って攻撃できるから大丈夫!」
「そうか、それなら安心だな」
「まあ、ボクもやったことないけどね!」
「おい!大丈夫なのかよ!」
自信満々なセリフの後にとんでもない爆弾を落とされ、俺は思わず声を張り上げた。
「まずはボク自身の闇魔法のレベルを最大まで上げて、その魔法を完全に覚えてから練習してみないとね。ぶっつけ本番はさすがにボクも怖いよ」
バンの言葉に、俺は拳を握り締めた。
「そうだな。よし、明日から森の魔物を狩り尽くして、一気にレベル上げをするぞ」
「ふふ、頼りにしてるわね。その間私とフィリアは石化しちゃった森を元通りに治していくわね」
ユイがフィリアに視線を送ると、フィリアは「はい、私にお任せください」ときっぱりと答えた。
「ところでダイチ。そんなことよりさ、お土産は忘れてないよね?ボク、もうお腹と背中がくっつきそうなんだけど!」
バンがジタバタと前足を動かして催促してくる。
「ああ、忘れてないぞ。ちょうど俺たちもお腹が空いてきた頃だし、異世界の特製夕食にするか」
「わぁ、楽しみ!」
ユイが目を輝かせる。
俺は部屋の大きなテーブルの前に立ち、アイテムボックスから料理を取り出していった。
まずは鶏の唐揚げ、サクサクのトンカツ、そしてジューシーに焼き上がった上質な牛肉のステーキ。作りたての状態で収納していたため、湯気と一緒に香ばしい匂いが部屋を満たしていく。
「へぇ、これ本当にダイチさんが作ったの?凄いわね!」
ユイが感心したように声を上げたが、俺は人差し指をチッチッと振った。
「いや、肉料理はぶっちゃけ、現実世界で下ごしらえ済みの物を焼いたり揚げたりしただけだ。俺の本当の自信作はこっちだぞ」
そう言って、アイテムボックスから大きなカレー鍋を取り出した。蓋を開けた瞬間、スパイスの効いた独特の食欲をそそる匂いが、一気に部屋中に広がっていく。
「すごい、良い匂いがします……!こんな香りは初めてです」
フィリアがパタパタと鼻を動かして感動している。
「カレーね!美味しそう!」
ユイも身を乗り出して鍋を覗き込んできた。
俺は続けて、炊きたてのご飯が入ったおひつを出し、用意してきたカレー皿に盛り付けていく。
「ねぇ、ねぇ!もう食べていい!?ボクこれ食べる!」
バンがステーキの目の前でお預けをくらった犬のようにプルプルと震えていたので、俺は苦笑した。
「ああ、まだまだストックはあるから、そっちの肉は全部食べていいぞ」
「やったぁ!いただきます!」
バンは勢いよくステーキに飛びつき、もの凄い勢いで肉を頬張り始めた。
「よし、俺たちも食べよう」
皿にたっぷりとカレーをよそって二人に手渡す。
「異世界で日本のカレーが食べられるなんて思わなかったわ。いただきまーす!」
ユイはスプーンでカレーを口に運ぶと、「んんー!美味しい!」と幸せそうに頬を緩めた。
フィリアも恐る恐る口に含み、そのあと目を丸くした。
「少し辛いですけど……すごく、すごく美味しいです!お米とこのソースが完璧に合っています!」
「デザートもあるから、あんまり食べ過ぎないようにな」
そう言いながら、俺も自分の分のカレーを食べ進める。やっぱり、日本のカレーは最高だ。40歳のおじさんの胃袋にも、18歳の今の体にもカレーならいくらでも入っていく。
一通り食事を済ませ、全員が満腹になって満足感に包まれているところで、俺は「よし、お待ちかねのデザートだ」と不敵に笑った。
アイテムボックスから取り出したのは、キンキンに冷えたアイスクリームのカップだ。
「アイス!私、チョコ食べたい!」
ユイが目ざとくチョコアイスを見つけて手を伸ばす。
「フィリアも食べるか?」
俺がバニラ味のカップを差し出すと、フィリアは不思議そうにそれを見つめた。
「これは……何ですか?凍っているようですが……」
どうやらこのレイハーの世界には、一般的にアイスクリームというデザートは存在しないらしい。たしか氷魔法が特殊な人しか使えないらしいからな。
「冷たいお菓子だよ。まぁ食べてみてくれ」
フィリアはスプーンで白いアイスをすくい、そっと口に入れた。
「っ……!冷たい!……それに、すごく甘くてクリーミーです……!」
フィリアの顔が、一瞬でとろけるような幸せそうな表情に変わった。普段は凛としている彼女だが、やっぱり中身は年頃の女の子なんだな。甘い物は世界の壁を越えて正義だ、と俺は心の中で確信した。
「本当に至れり尽くせりね。これで食後のコーヒーでもあれば完璧なんだけどなぁ」
アイスを食べ終えたユイが、贅沢な我が儘を言ってきた。俺は待ってましたとばかりにニヤリとする。
「ホットがいいか?それともアイスがいいか?」
アイテムボックスから、用意しておいたコーヒーを取り出して見せる。
「もう、ダイチさん!素敵すぎる!ホットでお願い!」
ユイが嬉しそうに両手を合わせて喜ぶ。
「インスタントだけどな」
苦笑しながら、俺はマグカップに温かいコーヒーを注いでユイに手渡した。
それを見ていたフィリアも興味を示したので、彼女には氷を入れたアイスコーヒーを渡してみた。
フィリアはコクリと一口飲んだ瞬間、文字通り「うわぁ……」という顔をして思い切り眉をひそめた。もの凄く苦そうな表情だ。だけど、俺に気を使ったのか「不思議な……大人の味ですね」と我慢しながら、なんとかアイスコーヒーを飲み干してくれた。
(しまった……ブラックは早すぎたか。ミルクも砂糖も用意してなかったから、悪いことをしちゃったな。少女に苦いは悪だ)
俺は内心で深く反省した。
「それじゃあ、ご飯も食べたし、明日の大仕事に備えて俺は自分の部屋に戻るよ」
立ち上がって声をかけると、ユイとフィリアが優しく微笑んだ。
「ええ、ありがとうダイチさん。おやすみなさい」
「おやすみなさい、ダイチ様。本当に美味しいお食事でした」
「じゃあねぇ、ダイチー」
お腹いっぱいで丸くなったバンが、短い前足をパタパタと振ってバイバイしてくれた。
自分の部屋に戻り、ベッドに横になった俺は、アイテムボックスからスマホを取り出して画面を開いた。
フォトギャラリーを開くと、今日、王都でユイと撮ったたくさんのツーショット写真や、さっきの夕食時にみんなで笑いながら撮った賑やかな写真が並んでいる。
画面の中のユイは、どれも眩しいくらいの笑顔を浮かべていた。
だけど、昼間に彼女が言っていた「天界に帰る」という言葉が、どうしても頭から離れない。
ユイが本当に天界に戻ってしまったら、俺もきっと、二度とこの世界には来られなくなる。フィリアだって、ゲートが閉じれば元の世界へ帰っていくだろう。
みんなでこうして笑いながら、美味しいものを食べる時間も、これが最後になってしまうのかもしれない。
「……最後、か」
寂しさが胸に押し寄せてくるのを感じながら、俺は静かにスマホの画面を消した。それを再びアイテムボックスへと仕舞い、明日に備えるため、ゆっくりと目を閉じて眠りについた。




