魔法の野菜
目が覚めると、いつもの現実世界の朝だった。
俺は布団から出ると、真っ先にベランダへ向かった。最近買ったばかりの、まだ実もついていないヒョロヒョロのトマトの苗。これに、異世界で覚えた「土魔法」を試してみる。
「……土の栄養を凝縮して、一気に流し込むイメージだ」
苗に手をかざし、魔力を込める。すると、異世界と同じような光景が広がった。
シュシュシュッ、と音を立てて茎が太くなり、黄色い花が咲いたかと思うと、一瞬で実が膨らんでいく。数秒後には、宝石のようにツヤツヤした真っ赤なトマトがたわわに実っていた。
「よっしゃ、大成功だ!」
俺はさっそく収穫し、朝食のサラダに並べた。
起きてきた陽葵が、一口トマトを食べて目を丸くする。
「……何これ、信じられないくらい美味しい!」
「だろ?ベランダで作ったんだよ」
「えっ、この前買ってきたんじゃなかった?成長早すぎない?」
「あ、ああ、最近の苗は品種改良がすごいんだよ。あっという間に育つんだ」
かなり強引に誤魔化したが、陽葵は食べることに夢中だ。ふと見ると、彼女の体がほんの一瞬、キラキラと光った気がした。本人は気づいていないようだが、魔法で作った野菜には何か特別な力があるのかもしれない。
俺も一粒食べて驚いた。
(……なんだこれ、体が軽い……!)
40代特有の、寝ても取れない重い疲労感が消えていく。肩こりも腰の痛みも、まるでない。
「魔法で作るとこんな効果があるのか……」
俺はスキップしたい気分を抑え、風魔法を使って(こっそり空を飛んで)会社へ向かった。
その日の夜。仕事が終わっても全く疲れを感じない。朝のトマト効果は絶大だ。
帰りは買い物のため、電車と徒歩で普通に帰る。スーパーの野菜の種コーナーで、ビールに合う枝豆と、陽葵の嫌いなオクラの種を手に取った。
(魔法のオクラなら、きっと陽葵も美味しく食べてくれるはずだ)
期待を胸に帰宅すると、陽葵がリビングを掃除していた。
「どうしたんだ、珍しいな」
「……今日、さっきまで友達が遊びに来てたんだけど。リビングが散らかってて、ちょっと恥ずかしかったの」
見れば、テーブルには読みかけの雑誌、棚には買い物袋。汚いわけではないが、生活感まる出しだ。平日は掃除する時間がないとはいえ、多感な時期の娘には耐えられなかったらしい。
「ごめんな、陽葵。俺が片付けておけばよかったな」
「ううん。私もできてなかったし……お父さんは仕事忙しいから、仕方ないよ」
陽葵は諦めたように笑って言った。
(異世界みたいにメイドがいればな……。そうだ、あのお屋敷はどうやって掃除してるんだ?)
俺は夕食を済ませると、謎を解くために早めに眠りについた。
◇◇◇
「ルチア様、おはようございます」
カレンの声で、異世界の公爵令嬢としての朝が始まる。
「ねえカレン。メイドさんたちって、この広いお屋敷をどうやってお掃除してるの?毎日大変じゃないかしら?」
「メイドは大勢おりますし、何より『生活魔法』を使えることが採用の条件ですから」
生活魔法。ルチアの記憶を辿ると、水魔法で水回り全般、風魔法で埃を払い掃除を行い、火魔法でお風呂の準備など、日常的な魔法を指すらしい。
「それ、私にも教えてほしいの!学校が終わったらメイドさんたちにコツを聞きに行ってもいい?」
「……おやめください。お嬢様に教えを請われるなど、メイドたちが萎縮してしまい仕事になりません。生活魔法なら、わたくしが教えましょう」
学校から帰ると、俺はカレンから特訓を受けた。
元々のルチアの才能が凄まじいのか、俺はすぐにコツを掴んだ。それどころか、改良案まで思いつく。
「カレン、こうしたらもっと楽じゃない? 水と風を組み合わせて……洗濯機みたいに水流を作るの! 仕上げは火と風を混ぜて、乾燥機みたいに乾かすわ!」
「……複数の魔法を同時に扱う『複合魔法』を、家事に使う方は初めて見ました。こんな使い方ルチア様にしかできませんわ」
カレンに呆れられた。確かにフィリアも光魔法しか使えない。2属性以上扱えるのはレアな存在だ。
「これならお掃除も一瞬ね!お屋敷中、私が綺麗にしちゃおうかしら」
「絶対にいけません。お嬢様にそんなことをさせたら、メイドたちの首が飛びますわ。……ルチア様、気遣いはありがたいですが、相手の役割や気持ちを尊重することも大切ですわよ」
カレンに淡々と説教をされた。
「……説教してもクビにならないのは、カレンくらいね」
「わたくしはルチア様の教育係ですから」
カレンに叱られても、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ、懐かしさが胸に込み上げる。
(……結衣(妻)によく言われてたなぁ。「良かれと思ってやってるんだろうけど、それお節介だよ」って)
妻の面影をカレンに重ねながら、その日は眠りについた。
◇◇◇
翌朝。現実の体で目覚めた俺は、さっそく生活魔法を試した。
床の埃を風魔法で一箇所に集めゴミ箱へ、さらに床や家具を水魔法で磨き上げる。さらに洗濯物を魔法の乾燥機であっという間に乾かした。
起きてきた陽葵が、ピカピカのリビングを見て驚いている。
「わあ、すごい綺麗! 洗濯も終わってる……?」
「ああ、陽葵の分も洗って乾かしたし、畳んでおいたぞ」
俺はドヤ顔で言ったが、陽葵の反応は意外なものだった。
「……ありがとう。でも、お父さん。私の服は、次から自分でやるから」
「え?ちゃんと陽葵の分だけ分けて洗ったんだぞ?」
「そういう問題じゃなくて……!下着とか、あるでしょ!恥ずかしいんだってば!」
陽葵は顔を真っ赤にして、自分の洗濯された物を取って部屋に逃げ込んでしまった。
「あ……そうか」
俺は立ち尽くした。
生活魔法は完璧だった。でも、俺は陽葵の気持ちを全く考えていなかった。
(……これがカレンの言っていた、相手を尊重するってことか)
魔法で何でも解決できるわけじゃない。
俺は自分のうっかりを深く反省しながら、娘の心へのアプローチの難しさを痛感したのだった。




