婚約者
「ルチア様、おはようございます」
メイド長・カレンの落ち着いた声で、俺の異世界での朝が始まる。
昨日と同じように、公爵家の家族と豪華な朝食を済ませてから学校へ向かった。見た目は美しい公爵令嬢だけど、中身は40歳のサラリーマン。このギャップにはなかなか慣れないけれど、やるしかない。
午前の授業が終わり、お昼休憩の時間になったときだ。
「キャーッ!アルベルト様よ!」
遠くから女子生徒たちの黄色い歓声が聞こえてきた。群衆がモーゼの十戒のように左右に分かれ、そこを優雅に歩いてきたのは、この国の第一王子・アルベルトだ。
(アルベルト……?)
ルチアの記憶を辿ると、アルベルトは俺と婚約している間柄だ。婚約と言っても正式なものでは無いようだけど。
「ルチア、少し話せるかな。昼食を共にしよう」
王子の誘いを断るわけにもいかず、俺は校内の王族専用庭園へと連れて行かれた。
王子の執事が用意した豪華な昼食を前に、アルベルトが話を切り出してきた。
「最近、また君がフィリアを虐めているという噂をよく耳にする。前にも注意したはずだが、懲りてないのか?」
王子の瞳は鋭い。
ルチアの記憶を呼び起こすと……出るわ出るわ。
学校でも生徒が見ていないところで取り巻きに嫌がらせを指示したり、どうせ自分で治せるでしょうと階段から突き飛ばしたり。魔法のテストで自分より良い点を取りそうになったら、フィリアの友達をひどい目に合わせると脅したり。
(うわぁ……俺がやったことじゃないとはいえ、最低すぎるだろ、自分)
娘を持つ親として、いじめなんて絶対に許せない。俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、素直に頭を下げた。
「申し訳ございませんでしたわ、アルベルト様。あの時のわたくしは、どうかしておりましたの」
「……えっ?」
「これからは、姉としてフィリアと仲良くすることを誓いますわ。二度と、あのような浅ましい真似はいたしません」
とぼけたり、ヒステリックに否定したりすると思っていたアルベルトは、完全に拍子抜けした顔をしている。
彼は俺が誤魔化したりしたら徹底的に追及するつもりだったらしい。
でも、今のルチア(俺)から漂うのは、非を認める潔さと、大人の気品だ。
「あ、ああ……そうか。君がそう言うなら、これ以上は言わないが……」
アルベルトは、いつもの高慢な態度とは違う、しとやかなルチアの美しさに見惚れてしまったようだ。
「もう休憩が終わるな。では失礼する」
少し顔を赤くして、王子は逃げるように校舎へ戻っていった。
(ふぅ、心臓に悪い。取り巻きの子たちにも、もうフィリアを虐めないように謝らせておかないとな)
午後の授業が終わり、俺は屋敷へ帰ろうとするフィリアを見つけた。
勇気を出して声をかける。
「ねえフィリア!よかったら、今日は一緒に帰らない?」
近くにいたフィリアの友人や、俺の取り巻きたちが「ええっ!?」と固まった。
元々のルチアは妹と比べられるのが嫌で人前では並ぶことを嫌がっていたし、フィリアもルチアと二人きりになるのを怖がっていたからだ。
「お、お姉様……私と二人で、ですか?」
少し怯えているようなフィリアを見て、俺は慌てて笑顔を作った。
「ええ。帰りながら、ゆっくりお話ししたいなと思って。ダメかしら?」
最近の俺が優しく接しているおかげか、フィリアは迷いながらも一緒に帰ることを承諾してくれた。
迎えの馬車に乗り込む二人。双子なので見た目はそっくりで向かい合って座ると、まるで芸術作品のような美しさと気品が漂い、周囲の生徒たちは言葉を失って見惚れている。
だが、馬車が動き出してからの俺は必死だった。
(やばい、一緒に帰るのはいいが、何を話せばいいんだ。女子中学生くらいの女の子と二人きりって、陽葵の時より緊張する……!)
「ええと……フィリア。最近、学校はどう? 楽しい?」
「えっ?はい、いろいろなことが学べて楽しいです……」
「そっか。それはよかった。……うん」
(会話が続かねえ……!俺のコミュ力、しっかりしてくれ!)
沈黙に耐えきれなくなったのか、フィリアが聞いてきた。
「あの、お昼にアルベルト様と何を話していたのですか?」
「ああ、そのこと?……今までフィリアに酷いことをしたって、謝っていたの。ごめんね、今まで。これからは、ちゃんと仲良しの姉妹になりたいの。約束するわ」
フィリアは目を丸くして驚いていたが、すぐにパッと顔を輝かせた。
「はい!嬉しいです、お姉様!」
(よし、一歩前進だ……!)
陽葵にもこんな笑顔を向けてもらえたらな、なんて思いながら、俺は心から安堵した。
屋敷に着くと、出迎えたカレンが、並んで歩く二人を見て一瞬だけ目を見開いた。
(……ふふ。さすがね、大地さん)
彼女は心の中で夫を褒め、「おかえりなさいませ」と二人を出迎えた。
夕食後、俺は庭園を散策していた。
「雑草?それにしては整然と並んで生えている」
「それは薬草ですわ。怪我や病気の時に使うのです」
側にいたカレンが教えてくれた。へぇ〜と見渡していると、一箇所だけ弱っている花を見つけた。
「ねえカレン。さすがに魔法でお花を育てるのは無理?」
「いいえ。ルチア様の土魔法なら可能ですわ。栄養を行き渡らせるイメージで使ってみては?」
俺は試しに、花を優しく包むように土魔法を使ってみた。
すると――。
シュシュシュッ!と音を立てて茎が伸び、しおれていた花がシャンと立ち上がった。それどころか、周りの蕾までが一斉に開花し、庭園の一部が鮮やかな色に染まったのだ。
「わあ、すごい!魔法ってこんなこともできるのね!」
「植物のエネルギーを活性化させるのは、ルチア様特有の魔法ですわ」
俺はワクワクが止まらなくなった。
(これ……現実の家庭菜園でも使えるぞ。陽葵の好きなトマト、もっと美味しく作れるかも!)
次の日の現実世界が楽しみでたまらなくなり、俺は明日が来るのが待ち遠しくなった。




