空飛ぶ出勤
「……うわ、最悪。全然直んない」
洗面所から、娘の陽葵のイライラした声が聞こえてきた。
鏡の前で、彼女は頑固な寝癖がついた髪と格闘している。
現実世界でも魔法が使えると知った俺は、あるアイデアを思いついた。
「……陽葵、ちょっといいか?」
「え、何?急に」
陽葵は驚いた顔をしたが、俺が手を伸ばしても拒絶はしなかった。
俺はそっと集中する。異世界の感覚を思い出し、手の表面に極薄の水魔法を張って陽葵の髪をなぞった。さらに、火魔法を「熱」だけを感じるレベルに極限まで抑えて当てる。イメージは、手のひらアイロンだ。
仕上げに、風魔法で湿り気を一気に飛ばす。
「……はい、終わり」
「えっ……?うそ、さらさら……」
陽葵は整えられた髪を触って固まった。一瞬で完璧に直った髪。彼女は信じられないといった様子で俺を振り返る。
「お父さん、今どうやったの?」
「あー……まあ、ちょっとしたコツだ。秘密だよ」
「……ふーん」
陽葵は少し納得いかないような素っ気ない態度で洗面所を出ていった。そのまま朝ごはんを食べると、先に家を出て行ってしまった。
(……やっぱり、変な誤魔化し方は逆効果だったかな)
俺は少し反省しながら、自分の朝ごはんを口にした。
しかし、魔法というのは便利すぎる。現実でバレたら大変なことになるが、使い道次第では……。
時計を見ると、会社に遅刻しそうな時間だった。
「やばい!電車じゃ間に合わないぞ!」
そこである考えを思いつく。「風魔法で空を飛べないか?」
見られるとまずいので、人通りのないところまで行き、ビルよりも高く、地上からは見えない高度まで風魔法で体を浮かせ、一気に急上昇する。幸い、飛行機も飛んでいない。俺は会社の方向へ向かって、風を操った。
「うおおっ、速い!気持ちいい!」
電車で1時間かかる通勤路が、わずか15分。
俺は魔法が使えるのが楽しみで、いつもより仕事がはかどり、定時に仕事を終えることができた。帰りも同様に魔法を使ってあっという間に帰宅する。
「あれ、お父さん早いね」
家に入るなり、陽葵が驚いた顔をした。
「ああ!今日は俺が夕食を作るよ」
「疲れてるでしょ?いいよ」
「たまには作らせてくれ。……な?」
半ば強引にキッチンに立ち、陽葵をソファに座らせると、戸惑いつつも、久しぶりの父親の手料理に、少しだけ嬉しそうな顔を見せてくれた。
だが――。
「……ごめん、陽葵。焦げた」
「……うん。いいよ、食べるから」
自信満々で作ったチャーハンは、焦げて硬かった。陽葵は味の感想を言わず、さっと食べ終えてしまった。情けない。もっと料理が上手くなりたい。
そう願いながらベッドに入ると、再び意識が遠のいていく。
◇◇◇
目覚めたのは、異世界の公爵令嬢・ルチアの部屋だった。
また異世界で美少女の体になっている事に戸惑いつつも、次はどんな魔法を試そうかとわくわくする。
メイド長のカレンが起こしに来たので着替えをすませ、食堂へ向かった。そこにはルチアの両親と妹のフィリアが座っていた。
昨日は突然だったのでいつもの調子で喋っていたが、今は公爵令嬢のルチアだ。令嬢らしい振る舞いで挨拶をしよう。
「おはようございますお父様、お母様。フィリアもおはよう」
席に座り、食べた料理が――驚くほど美味かった。
「……!あの、これを作った人は?料理長ですか?この作り方を教えてください!」
早速令嬢の振る舞いを忘れてしまう。
「ル、ルチア……?」
両親はあっけに取られていた。これまでのルチアは、公爵令嬢としての教養以外に興味を示してこなかったみたいだな。
カレンに学校がありますので帰ってからにして下さい。と言われ、渋々諦める俺を見てフィリアも驚きつつ、「いつものお姉様と違って楽しそう」と微笑んでいるようだった。
朝食を食べ終えて、俺は異世界の学校へ向かった。
「ルチア様!今日もお美しいですわ!」
すり寄ってくる取り巻きの2人の女子生徒たち。中身が40歳の俺には、子供が気を遣っているようにしか見えなくて居心地が悪い。元々の体の持ち主、ルチアはこの取り巻きたちを従えて気持ちよかったのだろうか。
「悪いけど、これからは無理に付き合う必要はないわ。私に媚びを売ってないで自分の好きなようにしなさい」
突き放すつもりで言ったのがよくなかったのか、彼女たちは絶望したような顔で震え出した。
「こ、これは忠誠心を試す試練だわ!」
「ここで離れたら、裏切り者としてなにをされるか……!」
「いえ、どこまでも付いていきます!ルチア様!」
逆に恐怖させてしまい、さらにご機嫌を取られるようになってしまう。
(……娘にしろこの子たちにしろ、年頃の女の子は難しいな)
ふと遠くを見ると、フィリアが友達と楽しそうに笑っているのが見えた。
(よかった、フィリアにはちゃんと友達がいるんだな……)
彼女たちの年齢は15歳。陽葵の一つ上だ。そう思うと、妹というよりは「もう一人の娘」を見守る親のような気分になる。
放課後、俺は公爵邸の料理長から今朝のレシピを叩き込まれた。
ルチアの持ち前の器用さで、俺はあっという間に「完璧な料理」をマスターした。
(これを陽葵に食べさせたい……!)
喜ぶ顔を期待して眠りにつく。
◇◇◇
「……よし、現実だ!」
目が覚めると、まだ少し薄暗いが、現実の朝だった。
まだ陽葵は起きていない。俺は急いで24時間スーパーへ走り、帰宅してすぐに料理長から教わった料理を手早く作った。ルチアの時の体の動きを再現すれば、完璧な料理が出来上がる。
「……何、これ」
起きてきた陽葵が、テーブルを見て呆然としている。
「昨日のリベンジだ!食べてくれ!」
朝から豪華なフルコース。だが、陽葵は苦笑いしてスープとサラダだけを口にした。
「……お父さん。朝からこんなに食べられないよ」
「あ……」
確かにその通りだ。落ち込む俺に、陽葵が優しく声をかける。
「……でも、美味しいよ。残りは冷蔵庫に入れて。今日の夜、食べればいいんじゃない?」
「……!ああ、そうだな!」
娘に慰められる父親。
情けないとは思ったが、陽葵とこんなに会話をしたのは、久しぶりのような気がして二人で朝食を食べた。




