悪役令嬢への転生
「……はぁ、今日もこの時間か」
深夜23時。40歳のサラリーマン、佐藤大地は、重い足取りでマンションの玄関を開けた。
中堅商社での勤務は過酷だ。五年前に最愛の妻・結衣を亡くしてから、大地はがむしゃらに働いてきた。すべては、中学二年生の娘、陽葵を不自由なく育てるため。
リビングに入ると、テレビの音だけが虚しく響いていた。ソファでは陽葵がスマホをいじっている。
「あ、お父さん。おかえり」
「ああ、陽葵。ただいま。……まだ起きてたのか?」
「別に。動画見てただけ。ご飯、ラップしてあるから。……じゃあね」
陽葵は一度も目を合わせることなく、自分の部屋へ戻ってしまった。
食卓には、少し形がいびつな、でも丁寧に作られたハンバーグ。陽葵が作ってくれたものだ。
一人で食べる夕食は、味気ない。娘と仲が悪いわけじゃない。不器用な自分が、思春期の娘とどう接すればいいのか、正解がわからないまま時間だけが過ぎていく。
早々に食べ終わった大地は逃げるようにベッドに潜り込んだ。意識が遠のく中、ふっと耳元で、懐かしくて愛しい声が聞こえた気がした。
『……大地さん……私が…転生……』
結衣の声だ。何を言っているのか聞き取れなかったので聞き返そうとした時、大地の意識はまばゆい光に飲み込まれていった。
◇◇◇
「……ひっ!ご、ごめんなさい、お姉様……っ!」
鋭い悲鳴で目が覚めた。
大地が顔を上げると、そこは豪華絢爛な、まるで中世の王宮のような部屋だった。
そして目の前には、金髪の美少女が床に座り込み、ガタガタと震えている。
「えっ……?大丈夫か、君」
慌てて声をかけようとした大地は、自分の声を聞いて硬直した。
「……っ!?なんだ、今の声!」
透き通るような、鈴を転がすような美声。だが、中身は40歳のおじさんだ。自分の変化にパニックになり、「うわああ!」と叫んでしまった。
その勢いに、目の前の少女はさらに顔を青くして縮こまる。
(え、誰?この子、誰なんだ?というかここはどこなんだ!?)
混乱する頭に、濁流のように記憶が流れ込んできた。
目の前の少女は、双子の妹のフィリア。そして自分は双子の姉ルチア。
どうやら自分は、優秀な魔力を持つことをいいことに、妹を陰湿にいじめていた最悪な『悪役令嬢』らしい。
ガチャリ、と重厚なドアが開いた。
「ルチア様。二人きりで何をなさっているのですか?」
入ってきたのは、メイド長のカレンだった。厳しい表情だが、その瞳の奥にある理知的な光に、大地はなぜか結衣の面影を感じて背筋が伸びた。
カレンはルチア(大地)をじっと見つめ、次に怯えるフィリアを見た。
(……あら。フィリアに入れるつもりだったのに。双子だから魂の色が似ていて、間違えてルチアの方に入れてしまった?)
この世界に大地を転生させたのは亡くなったはずの妻、結衣だった。その結衣自身もメイド長のカレンに転生していた。
カレンが、無表情のまま口元をわずかに綻ばせた。
「……ふふ。でもこっちの方が面白いかもね」
「カレン?今、何か言った?」
「いいえ。何でもありませんわ、ルチア様」
大地はフィリアを落ち着かせるため、カレンに温かい飲み物を用意するよう頼んだ。
本来のルチアなら有り得ない言動に、カレンは面白そうに微笑み、温かい紅茶を二人に振る舞った。
「……お姉様。本当に、どうされたのですか?」
「ええと、私は……その、ルチアなんだよな?私が誰なのか、改めて教えてくれない?」
大地が恐る恐る尋ねると、フィリアは困惑した表情で答えた。
「……ルチアお姉様は私と双子のお姉様です。でも、さっきまで二人きりの時、私の髪を掴んで『お父様にチクったら承知しない』って言っていたのに。急に固まって動かなくなったと思ったら、今度は急に人が変わってしまわれたようで……」
(うわあ、前のルチア、最悪すぎるだろ……)
大地は詳しいことはわからないが、これが「異世界転生」というやつだとは理解した。フィリアには「少し頭がぼーっとしているんだ」と適当に誤魔化した。
午後は、庭園の修練場で魔法の訓練が始まった。
「ルチア様は火・水・風・土の四元素を操る事が可能です。魔力をコントロールしてそれぞれの力を見せてください」
カレンの説明を聞きながら、大地はおそるおそる手をかざした。
(火……ガスコンロの火力を上げるイメージでいいかな。……よし!)
ボォッ!!
指先から巨大な火柱が上がった。
「す、すげええええ!!」
40歳のおじさん、中身は大興奮である。四つの属性を次々と試し、自分の思い通りに魔法が使える感覚に、仕事のストレスも吹き飛ぶ楽しさを感じた。
「フィリア様も、光魔法で周囲を癒すコントロールの練習です」
「わかりました」
フィリアが手を合わせると、彼女の体が柔らかな白光に包まれた。
「……あ。なんだこれ、すごく心地よい……」
魔法を使って感じていた気だるさが、一瞬で消えていく。
「ヒールをかけました。ご気分はいかがでしょうか?お姉様……」
恐る恐るフィリアがルチアに尋ねた。
「フィリア、お前凄いな!聖女みたいだ! 天才じゃないか!」
大地は思わず、陽葵を褒める時のような「パパ全開の笑顔」でフィリアを褒めちぎった。
「え……っ、あ……」
いつもはくだらない、大したことない。とダメ出しをするはずの姉に褒められたフィリアの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
「お姉様に……褒められた……。うっ、ううぅ……」
「わっ、ちょ、ええっ!?なんで泣くんだ!泣かないでくれ、ごめんな、お姉様が悪かったから!」
泣き出したフィリアを見て、大地はオロオロと周囲を右往左往する。思春期の娘が泣き出した時と同じパニック状態だ。
それを見ていたカレンがフォローを入れた。
「フィリア様、少しお疲れのようですね。さあ、こちらへ」
「あ、ああ、頼むカレン」
年頃の女の子に泣かれるとどうしていいかわからない。だが気持ちはすぐに魔法の事でいっぱいになり、フィリアが去った後も大地は魔法を使えるのが楽しくて魔法を使い続けたらあっという間に夜になり、その日は心地よい疲れの中でルチアとして眠りについた。
◇◇◇
「……ん」
目を開けると、そこは見慣れた天井だった。
「……あ」
ゴツゴツした手、重い体、そして自分の部屋だ。窓からはいつもの騒音が聞こえる。
「なんだ……やっぱり夢だったのか。あんなにリアルだったのに。……もっと魔法、使いたかったな」
名残惜しくて、布団の中で魔法を発動させる仕草をしてみる。
あの異世界で感じた、お腹の底から熱いものが指先へ流れる感覚を再現して――。
――ボッ!!
大地の右手が、真っ赤な炎に包まれた。
「……は!?う、うわあああああああ!?」
驚いて布団を跳ね飛ばす。慌てて魔法を消すと、ドアを叩く音が響いた。
「お父さん?何騒いでるの。早く起きてよ、朝ごはんできてるよ!」
「あ、ああ!今行く、すぐ行く、陽葵!」
大地は震える手を見つめた。
夢じゃなかった。異世界での転生も、あそこで手に入れた力も、すべて本物だ。
どうやら、現実世界でも魔法が使えるようになってしまったらしい。
「……本物の魔法だ。何で俺が?」
不器用な40歳サラリーマン。
公爵令嬢としての転生と、現実で魔法を使える生活。
佐藤大地の、不思議な二重生活が今始まった。




