魔石のネックレス
真っ暗だった視界が、不意に光を取り戻した。
目を開けると、そこに見えたのは異世界の森でも、冷たい石の感覚でもなかった。
「……天井?ここは……自分の部屋か?」
使い慣れたベッドの感触。窓から差し込む朝の光。
俺は跳ね起きるようにして自分の体を確認した。手も足も動く。肌の色も灰色の石ではなく、いつもの血色のいい人間のものだ。
(戻ってる……。石化した後、俺は死んだから現実世界に戻されたのか?)
もしあっちの世界で死んだ扱いになっていたら、もうユイに会うことはできない。
俺は一縷の望みをかけて、目を閉じてステータスを念じた。
半透明のウィンドウが脳裏に浮かび上がる。
レベルもスキルも表示された。
(死んでない……。ってことは、石化したままこっちに戻れたのか。ユイは戻れないかもって言ってたけど、あれは彼女の勘違いだったんだな)
生きて現実に戻れた。その事実に、俺は全身の力が抜けるほどの安堵を覚えた。
部屋を出ると洗面所の方では陽葵が鏡の前で寝癖のついたボサボサの頭と格闘していた。
いつもの、なんてことのない日常。その尊さが身に染みる。
俺はいつものように会社へ行き、いつものように仕事をこなし、夜に帰宅して陽葵と夕飯を食べる。
何事もなく一日が終わった。だが、眠りにつく直前、俺はふと不安に襲われた。
(もし、あっちの世界で目が覚めたら……俺はどうなってるんだ?石化した状態のままだとしたら、何もできずに詰むんじゃないか?)
答えの出ない問いを抱えたまま、俺は吸い込まれるように深い眠りに落ちた。
◇◇◇
次に目を覚ました時、体の感覚が明らかに異常だった。
手足の感覚が希薄で、指一本動かせそうな気がしない。
(やっぱり、石化してるのか……)
絶望しかけたが、目だけは機能していた。
周りの景色が見える。だが、石化して立っているにしては、妙に視点が低い。地面がすぐそこにあるような感覚だ。
そして、俺の目の前には、信じられない光景が広がっていた。
「……えっ?」
そこに立っていたのは、精巧に作られた俺の石像。
苦悶の表情を浮かべ、左手を伸ばしたまま固まった灰色の「ダイチ」がそこにいた。
(どういうことだ?石化した俺が、目の前にいる。じゃあ、今の俺は何なんだ?)
混乱する俺の視界が、ふわりと持ち上がった。
次の瞬間、目の前に巨大な顔が現れた。
「うおっ!?」
驚いて声を上げようとしたが、音にならない。
目の前にいたのは、心配そうにこちらを覗き込むユイだった。
「……ダイチさんの魔力を感じる。多分、成功ね」
ユイが独り言のように呟く。
俺は必死に彼女に問いかけようとした。
(ユイ!成功ってどういうことだ?俺は今、どうなっちゃってるんだ!?)
だが、俺の言葉はユイに聞こえるわけもなく、虚しく自分の中に消えていく。
どうにかして意思を伝える方法はないか。俺は必死に、「ユイに声を届ける」というイメージを強く念じてみた。
(ユイ!聞こえるか!ユイ!)
「ひゃっ!?」
ユイがビクッと肩を震わせ、驚いた顔でこちらを見た。
「えっ!?今の声、ダイチさん?……ダイチさんなのね!?」
ユイの顔がさらに近づく。どうやら、テレパシーのような形で声が届いたらしい。
(よかった、聞こえたんだな。……俺は今、一体どうなってるんだ?)
俺の問いに、ユイは少しだけ安心したように微笑んだ。
「ダイチさんの魂をね、一時的にこの魔石のネックレスに移したの」
(ネックレス?……ああ、俺が作ってユイにあげた、あの赤い石の……)
「そう。このネックレスはダイチさんが作ったものだから、もともとダイチさんの魔力が宿っていたし、石自体も高品質な魔石だったから。魂の器として使えると思って、石化した体から魂だけを移動させたのよ」
ユイの説明を聞いて、ようやく状況が理解できた。
あのまま石化していたら、意識が封じ込められて戻ってこれなくなったかもしれない。ユイの機転が、俺を救ってくれたんだ。
(死なずに現実世界に戻れたのは良かったけど、このままじゃ何もできないな。……というか、ずっとネックレスのままなのか?)
「そうね。石化を解く方法を考えなきゃ。……でも、まずはここを離れましょう」
ユイはネックレスを首に付けた。俺の視界は正面の薄暗い景色に変わる。
(ここはどこなんだ?森じゃないみたいだけど)
「ここは近くにあった洞窟よ。ダイチさんの体を守るためにここまで運んだの。入り口には強力な隠蔽と結界を張ってあるから、魔物や他の冒険者には見つからないはずよ」
(運んでくれたのか、ありがとな。……でも、俺の体、ユイの『アイテムボックス』には入らないのか?)
「そうね……、生きている人間は無理だけど。今は魂が抜けてるから、もしかしたら……」
ユイが試しに石化した俺の体に触れ、収納を念じる。
すると、灰色の大きな塊がスッと消え、空間に吸い込まれていった。
「あ、入った!これならどこへでも運べるし、安心ね!」
ユイが嬉しそうに笑う。俺の体が収納されたことで、彼女も安堵した。
だが、俺はネックレスのままだ。声は届いても、彼女を守ることも、調査を手伝うこともできない。
(せめて、ユイを守れる力があればいいんだけどな。……このままじゃ、ただの重りだ)
そう思った瞬間。
ユイの胸元にある赤い魔石が、激しく光り出した。
「えっ!?何、どうしたの?」
ユイが驚いてネックレスを押さえる。
光はどんどん強まり、ネックレスの形が崩れていく。
やがてその光はユイの手を離れ、地面へと降り立った。
光が収まった後、そこにいたのは――。
「……えっ?」
俺は思わず自分の手足を確認した。
そこにあったのは、ふかふかとした毛に覆われた四本足。
そして、視線がユイの膝下くらいまで低くなっている。
「ダイチ……さん?」
ユイが呆然とした声を出す。
俺も声を返そうとした。最初は「キュイッ!」という動物のような鳴き声が出たが、すぐに頭の中の翻訳機能が働いたのか、言葉として形になった。
「……俺、喋れてるか?というか、この姿……魔物になったのか?」
俺が喋り出したことに、ユイはさらに目を丸くした。
「……ダイチさんが、喋った……。その姿、もしかして、カーバンクル?」
「カーバンクル?ゲームとかで聞いたことあるけど……額に宝石がある、あの神獣とかそういうのか?」
「そうよ。……そういえば、ダイチさんに渡したあの魔石、鑑定では『カーバンクルの魔石』だったの。でも、色が綺麗なだけで、覚えられるスキルが『実体化』っていう、普通の人には意味のないものだから、ただの宝石扱いの魔石だったんだけど……」
俺は自分のステータスを確認してみた。
そこには、新しく追加されたスキルが並んでいた。
【追加スキル:言語理解、翻訳、実体化】
「なるほど……。ダイチさんの魂が入ったことで、膨大な魔力が魔石に満たされて、そのスキルが発動したんだわ!カーバンクルはもともと精霊に近い存在だから実体がないんだけど、人前に姿を現す時に実体化するのよ」
ユイによれば、彼女がこの世界に転移した際、かつて存在したという賢者のスキルとアイテムボックスの中身をそのまま引き継いだらしい。
彼女自身も、アイテムボックスの中身すべてを把握していたわけではなかったようだ。
「魔石になった俺にとって、『実体化』は最高に便利なスキルだな」
剣を振るうことはできないが、魔法ならこの姿でも使えるはずだ。これなら、ただ守られるだけの足手まといにはならなくて済む。
「これなら、一緒に異変の調査ができるな、ユイ」
俺がそう言って見上げると、ユイの表情がパッと明るくなった。
そして次の瞬間。
「……ああっ!もう、可愛いっ!!」
「うおっ!?ちょ、ユイ、苦しい!」
ユイが猛烈な勢いでダイブしてきて、俺の小さな体を抱きしめた。
ふかふかの毛並みが気に入ったのか、頬ずりまでしてくる。
「あ、ごめんダイチさん!つい……」
照れくさそうに手を離したユイに、俺は地面に降りて体を振った。
「……まあ、この魔石の力に感謝だな。これなら一緒に戦える」
「そうね!でも、とりあえず一旦、街に戻りましょう。情報を整理して、石化を解く方法を探さないと」
「わかった。……あ、でも、この姿で街に入るのか?」
「ダメよ!目立ちすぎちゃうもの。街の中ではネックレスに戻っててね」
ユイが笑って、俺に手を差し伸べる。
俺は一歩踏み出し、新しい体の感覚を確かめながら、彼女と共に洞窟を後にした。




