石化の呪い
俺は倒れ伏したリッパーベアの巨大な死体を『アイテムボックス』に放り込んだ。
ギルドで魔物の調査をするため持ち帰る必要がある。
「……なあ、ユイ。この世界って、お前が作った世界ってわけじゃないよな?」
俺は隣で不安げな表情を浮かべるユイに問いかけた。
「私にそんな力ないよ。……レイハーの世界だって、乙女ゲームとして自然に発生した世界だったし、ここはここ。全く別の異世界のはずなの」
ユイは眉を寄せて続ける。
「異世界同士で似た魔物がいるのは珍しくないわ。例えばゴブリンなんて、どこのファンタジー世界にもいるでしょう?でも、個体差はあるし、全く同じ種ってことはないのよ」
「ある世界では雑魚扱いのスライムが、違う世界では最強クラスだったりする……みたいなことか?」
「そういうこと。……でも、さっきのリッパーベアは明らかにレイハーの個体よ。この世界に存在するのは、本来あり得ないことなの」
俺たちがこの世界に転生してきたことが、何らかの歪みを生んでいるのか。
ユイは自分の足元を見つめ、落ち込んだ様子で呟いた。
「……たぶん、私のせいよ。私たちがここに来た影響が、この森に出ているんだわ。だから、この異変は私にしか止められないと思う」
「そんなに気負いすぎるなよ。俺たちなら何とかできる。二人で解決しようぜ」
俺がユイの肩に手を置いて励ますと、彼女は少しだけ顔を上げて頷いた。
「……そうだね。ダイチさんが一緒なら心強いわ」
気配探知を働かせると、さらに奥の方から強い魔力のうねりを感じる。
「まだ強い気配がある。もう少し奥を調べてみよう」
「分かった。でも慎重にね。何が飛び出してくるか分からないから」
俺たちはさらに深く、霧が立ち込め始めた森の奥へと進んでいった。
奥へ進むにつれ、現れる魔物の種類が変わってきた。
これまではこの世界の一般的なモンスターだったが、今度は明らかに「新種」――いや、レイハーの魔獣たちが姿を現し始めたのだ。
額に角を持つ『一角ウサギ』、灰色の毛並みが不気味な狼の魔獣『グレイハウンド』、木々の間を這い回る巨大な『フォレストスパイダー』。
さらには、羽音を響かせて急降下してくる『キラービー』。
「……どれも分かりやすい名前だな。乙女ゲームの敵キャラって感じだ」
「数が多いわね……!魔力を強く感じたのは、魔獣が集まってたせいかしら?」
ユイが杖を構える。四方八方から魔獣の群れが俺たちを取り囲んだ。
「発生源を叩くためにも、まずはこいつらを掃除しないとな!」
俺とユイは背中合わせになり、次々と襲いかかる魔獣たちを迎え撃った。
一体一体はそれほど強くない。だが、数が多すぎる。
次から次へと茂みから湧き出してくるため、休む暇がない。
「はあっ!」
剣を振るい、グレイハウンドを切り伏せる。
だが、すぐにキラービーの毒針が飛んできて、それを避けるために大きく動かされる。
戦闘が激しさを増すにつれ、俺とユイの距離が少しずつ離れていった。
ユイの方も、魔法を溜める時間が確保できないらしい。
威力を抑えた即発の魔法で対処しているが、数が減らないため、徐々に疲弊の色が見え始めていた。
「ユイ、一度体制を立て直そう!」
俺が叫んだ、その時だった。
目の前の木々の間から、ゆらりと、これまでの魔獣とは明らかに格の違う存在が現れた。
それは、女性の頭部に、髪の毛の一本一本が蠢く蛇になっている姿。
そして下半身は巨大な蛇そのもの。
「メデューサみたいなやつだな……」
レイハーをやり込んでいない俺でも、そのモチーフは分かる。
確か、目を見たら石にされるとかいう伝承があったはずだ。ゲームでもきっとそんな感じだろう。
(顔を見なければ、どうということはないはずだ!)
俺は視線を相手の胴体付近に落とし、一気に踏み込んで剣を振り抜いた。
「ダイチさん、待って!メデューサよ!」
ユイの叫び声が聞こえた気がする。
「ダメ!ダイチさん、斬らないで!」
だが、俺の剣はすでに加速していた。止めることはできない。
風魔法で剣に風の刃をまとわせた俺の一撃は、メデューサの胴体を真っ二つに両断した。
「……何だ?別に大したことなかったぞ」
手応えの無さに拍子抜けして、俺はユイの方を振り向いた。
だが、異変はすぐに起きた。
真っ二つになったメデューサの傷口から、ドス黒い鮮血が勢いよく噴き出したのだ。
回避する間もなく、その返り血が俺の服や右腕にべっとりと付着した。
「……熱っ!?いや、冷たいのか……?」
血がかかった場所から、急速に感覚が失われていく。
見れば、俺の右腕が、服の繊維ごと灰色に変色していた。
ただの汚れじゃない。それは、紛れもなく硬い「石」だった。
足元の草木も、メデューサの血が触れた場所から徐々に石像のように固まっていく。
「メデューサの血には石化効果があるの!早く解呪しないと、全身が石化しちゃうわ!」
ユイが青ざめた顔で俺の元へ駆け寄ろうとする。
「なっ!?マジかよ。解呪魔法なんて覚えてないぞ……っ!」
「待ってて!今、私が……!」
ユイが迫りくる魔獣を魔法で弾き飛ばしながら、必死にこちらへ向かってくる。
俺もまだ動く左手で近くの魔獣を薙ぎ払い、彼女を待った。
やがて、あらかたの魔獣を倒すと、残った個体はリーダー格のメデューサが死んだのを見て、クモの子を散らすように逃げていった。
その頃には、俺の体の半分がすでに石へと変わっていた。
立っているのがやっとで、歩くことすらままならない。
「ユイ、頼む……!」
俺は声を振り絞った。
ユイは俺に駆け寄り、必死な形相で杖を向けた。
「ディスペル!」
光の膜が俺を包む。だが、石化は治らない。
「うそっ……。そんな、嘘でしょ!?石化が解けない!?」
ユイは何度も何度も、あらゆる回復魔法を俺にかけ続けた。
だが、石化した部分は微塵も元に戻る気配がない。
「……まさか。この世界には石化という状態異常がないから、この世界の魔法体系じゃ治せないの?」
絶望的な推測がユイの口から漏れる。
俺は強まる身体の重みに耐えながら、かろうじて声を絞り出した。
「……ユイ。最悪、このまま石になるとどうなる?」
「レイハーの設定通りなら、死ぬことはないわ。でも……そのまま、生きた石像になるの。眠ることもできないから、現実世界に戻るためのトリガーも引けないかもしれない……」
「戻れない……!?それは、困る。陽葵が待ってるんだ」
俺の脳裏に、陽葵の姿が浮かぶ。
現実世界と時間の概念は違うと言っていたが、さすがに永遠は無理だろう。俺の精神が持たないかもしれない。
「もし……もし戻れないなら、今のうちに、俺を殺してくれ」
それが俺の、精一杯の決断だった。石像として永遠に閉じ込められるくらいなら、せめて……。
「ダメ!」
ユイが泣き出しそうな、それでいて強い声で拒絶した。
「絶対にダメ!私は……、私はもう二度と、あなたを死なせないって誓ったのよ!」
だが、俺の喉はすでに石の冷たさに侵食され、言葉を出すことすらできなくなっていた。
意識が、遠のいていく。
ユイが何かを叫んでいる。俺の名前を呼んでいる。
けれど、その声は水の中にいるように遠く、不明瞭になっていく。
俺の視界を、灰色の闇が覆い尽くす。
陽葵。ユイ。
最後に見たユイの泣き顔が、光り輝く粒のように散って。
俺の意識は、完全に真っ暗な闇の底へと沈んでいった。




