付与スキルの失敗
今朝、あんなに上機嫌で遊びに出かけていった陽葵が、昼過ぎにはもう玄関のドアを開けて帰ってきた。
「おかえり。ずいぶん早いな」
リビングのソファで少しのんびりしていた俺は、予定より数時間も早い帰宅に驚いて声をかけた。
陽葵はひどく疲れた様子で、「ただいま……」と力なく答える。そのまま冷蔵庫から麦茶を取り出すと、向かいのソファにどさりと倒れ込んだ。
「どうしたんだ?友達と喧嘩でもしたか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」
陽葵はグラスの麦茶を一気に飲み干すと、困惑したような表情で俺を見た。
「なんか今日、街を歩いてるだけでナンパとかモデルのスカウトとか言って、声をかけてくる人がすごくいっぱいいて。最初は断ってたんだけど、あまりに多くて何もできなかったの」
「……はあ!?ナンパにスカウトだと?」
俺は思わず身を乗り出した。そんな怪しい連中、中学生の娘に何を考えてやがる。
「ちゃんと断ったんだろうな?」
「大丈夫。しつこい人もいたけど、ナナと一緒に逃げて帰ってきたよ。今までそんなこと一度もなかったのに、何か急にみんながこっちを見てくる感じで……ちょっと怖かったから」
陽葵のその言葉を聞いて、俺の心臓がドクンと嫌な音を立てた。
思い当たる節が、一つしかない。
(……ネックレスの『チャーム』効果だ!)
異世界の錬金術で、娘が気に入ってくれるようにと付与した『魅了』の魔法。
現実世界には魔力そのものが存在しない。魔法の効果が劇的に、それこそ過剰に出てしまったのかもしれない。だが、一度付けた付与は消せない。
「……自分でも変だと思うんだけど、このネックレスを付けてから、鏡に映る自分のことがすごく可愛く見えるんだよね。友達もオーラが違うとかって言ってたし」
陽葵はネックレスに触れながら、どこか嬉しそうでもあり、不安そうでもある複雑な顔をしていた。
「……そうか。まあ、それが原因で怖い思いをしたなら、とりあえず今は外しておいたほうがいいかもな」
「……うん。分かった」
陽葵は少し残念そうにしながらも、素直に頷いて自分の部屋に戻っていった。
陽葵が部屋に入ったのを確認した俺は、スッと表情を消してベランダに出た。
さっき陽葵が「声をかけられて怖かった」と言った瞬間、俺は無意識に『気配探知』を広げていた。
そして、マンションの外に、このあたりの住人ではない不自然な気配を感じていたのだ。
(まだいるな……。まさか、陽葵の後をつけてきたのか?)
俺はすぐに『隠形』を発動させた。
風景と同化し、誰の目にも映らない状態のまま、三階のベランダから音もなく飛び降りる。
着地する直前で風魔法を使い、ゆっくりと地面に降りた。
気配を辿ると、マンションから少し離れた電柱の影に、スマホをいじっている男がいた。
俺は『隠密』を維持したまま男の背後に忍び寄り、肩越しに画面を覗き込む。
そこには、遠くから陽葵を盗撮した写真が何枚も並んでいた。
(……この男!)
怒りで視界が赤く染まりそうになるのを、必死に理性で抑える。
スマホごと握りつぶしてやりたかったが、一旦落ち着き、俺は男から数歩離れた場所で『隠形』を解いて男に声をかけた。
突然現れた俺に、男はぎょっとして飛び上がった。
「な、なんだ急に!おっさん、どっから……!」
「お前が今スマホで見ていた写真を、今すぐ消せ」
俺は声を低くして、男を睨みつけた。
「はあ?何言ってんだよ。関係ねーだろ!」
「女の子の後をつけて盗撮しただろ。ストーカーと盗撮で、今すぐ警察に突き出してもいいんだぞ」
「ふざけんな!おっさんには関係ないだろ、頭おかしいのかよ!」
男が怒鳴り散らす。だが、異世界で凶悪なモンスターと死闘を繰り広げている俺にとって、この程度の怒声など恐怖も一切感じない。
俺は一歩踏み出し、男の喉元に手を伸ばすような威圧感を持って言い放った。
「黙れ。お前がやることは写真のデータをすべて消して、その子に二度と近づかず、二度と話しかけないことだ」
その瞬間、男の顔から血の気が引いた。
「ひ、ひぃっ……!わ、分かりました……。消します、消しますから!」
男はガタガタと震える手でスマホを操作し、写真を削除し始めた。
「待て」
俺は男の手からスマホを無理やり取り上げ、中を調べる。
案の定、クラウドのバックアップデータにも写真が残っていた。俺はそれもすべて完全に消去してから、スマホを男に投げ返すと男は一目散に逃げ出していった。
ふと、自分の感覚に変化があったことに気づく。意識を内側に向けると、ステータスに新しい項目が追加されていた。
『威圧』
さっきの男の急変は、これの効果だったのか。
(もう少し脅してもよかったが。……まあ、あれならもう陽葵に近づくことはないだろう)
俺は再び『隠形』を使い、ベランダから自室へと戻った。
だが、胸のうちは晴れない。せっかく陽葵が喜んでくれたプレゼントなのに、危険だからと付けられないのはあまりにも可哀想だ。
(何とかしたい……。こういう時は、やっぱりあいつに相談するしかないな)
◇◇◇
異世界の朝になり、宿屋で目を覚ました。
隣のベッドでは、ユイが「おはよう、ダイチさん!」と笑顔で声をかけてきた。
「どうだった?陽葵へのプレゼント、作れたの?」
「……ああ、作ったよ。ただ、ちょっと問題があってな」
俺はチャームの付与による効果と、不審者の話をユイに伝えた。
「あー、現実世界は魔法耐性がゼロだから、チャームが効きすぎちゃったのね」
「どうしたらいいと思う?」
俺にそう聞かれたユイは顎に手を当てて「うーん」と考え込んだ。
「そういう変な人から陽葵を守りたいわけね。……魔物除けの魔法は人間には効かないから無理だし……。
ちょっと方向性は違うけど、光の加護を持った魔石を付けるのがいいかもね」
「光の加護?どういうものだ?売ってるのか?」
「光の教会で買えるよ。邪気を払ったり、運気が上がったりする、いわゆる高級なお守りみたいなものね。現実世界なら、悪いものから身を守る効果も相当大きいはずよ」
「それなら、俺がその魔法を付与したらいいんじゃないのか?」
俺の提案に、ユイは首を横に振った。
「ダイチさんは光魔法を覚えてないし、それに付与スキルを現実世界でこれ以上使うのは、別の問題が出るかもしれないからやめたほうがいいわ」
「じゃあ、どうすればいいんだ?魔石はさすがに作れないぞ」
錬金術は、素材をもとに形や質を変えることはできるが、魔石はモンスターから取れるため、魔石そのものを作ることはできない。
「そこでアイテムボックスよ。光の加護の魔石を買って、アイテムボックスに収納すれば……もしかしたら現実世界にそのまま持って行けるかもしれないわ」
「アイテムボックスか。でも、前は無理だって言ってなかったか?」
「それは、あるモンスターから取れる魔石でしか手に入らないスキルだからよ」
ユイの説明によれば、そのモンスターの名はミミック
ダンジョンのトラップとして時々出現する宝箱の形をした魔物だ。
「ミミックは手強い上に、その魔石は滅多に落とさない超レア品なんだけど……レベル6以上あれば倒せない相手じゃないわ。今のダイチさんのレベルなら大丈夫よ」
気になって自分のステータスを確認してみると、レベルはいつの間にか7に到達していた。
ユイによれば、これはこの世界でも上級冒険者に片足を突っ込んでいるレベルらしい。
「アイテムボックスか……。俺も欲しかったし、やるか」
「決まりね!じゃあ次は、王都近くのダンジョンに行ってミミック探しよ!」
ダンジョン。
ゲームや小説でしか聞いたことのなかったその響きに、俺の胸は高鳴った。
初めてのダンジョン、そして娘を守るための最強のお守り。
俺は初ダンジョンへの期待を膨らませながら、ギルドへ向かう準備を始めた。




