才能開花
眩しい朝の光が、まぶたを透かして目を叩く。
ゆっくりと目を開けると、そこにあったのは異世界の宿屋の天井ではなく、見慣れたマンションの天井だった。
「……帰ってきたか」
体を起こすと、少しだけ頭が重い。だが、不思議と体は軽い。
俺は大きく伸びをしてからベッドを抜け出し、いつものように朝食の準備を始めた。
「あ、お父さん。おはよ……」
パジャマ姿の陽葵が、目をこすりながらリビングに現れた。
「陽葵、気分はどうだ?」
「うん、もう全然平気。っていうか、逆に寝すぎでお腹空いちゃった」
陽葵はトーストを頬張りながら、能天気に笑う。
その笑顔を見ながら、俺はふと思う。
もしここで、「実は昨日、異世界でお母さんに会ってきたんだ」なんて言ったら、陽葵はどう思うだろうか。
……いや、間違いなく「お父さん、インフルエンザがうつって頭おかしくなったの?」と引かれるのがオチだ。せっかく築き上げてきた親子関係を、変な妄想癖の親父だと思われて台無しにするわけにはいかない。俺はこの秘密を黙っておこうと決めた。
「学校にはインフルって連絡してるから、あと四日は出席停止だな」
「えー、ラッキー!四日間も休みなんて最高じゃん」
それだけ余裕があるなら大丈夫だろう。
俺は一安心し、スーツに着替えて仕事へと向かった。さすがに俺まで四日も会社を休むわけにはいかないからな。
通勤電車は、今日も地獄のような混み具合だった。
人の波に押され、身動きも取れない。
(……ああ、以前のように風魔法が使えたらな。どうにかして、異世界で習得できないだろうか)
そんなことを考えながら会社に着くと、デスクには一日休んだ分の書類が山のように積まれていた。
「……はあ、今日は残業確定か」
最初は一つ一つの処理に時間がかかっていたが、一時間を過ぎたあたりから異変が起きた。
(……あれ?すごくスムーズに頭に入るぞ)
書類に目を通した瞬間、その内容がスルスルと理解できる。
ただ読むだけじゃない。どこにミスがあり、どの数字が過去のデータと食い違っているのか、そしてどう修正して誰に回すべきか――その「正解」が、まるで光り輝く道筋のように脳裏に浮かび上がるのだ。
俺の手は、無意識に、けれど恐ろしい速さで動き始めた。
一字一句を写真のように記憶し、複雑な計算も一瞬で終わる。添付資料の漏れも、まるで見えないセンサーが反応するように一目で分かる。
書類の山が、あっという間に片付いていく。
「えっ、佐藤さん?なに、そのスピード。……ちゃんと読んでる?」
隣のデスクの同僚が、驚愕の声を上げた。
傍目には、俺がただ猛烈な勢いで書類をめくっているだけにしか見えないのだろう。
「佐藤、大丈夫か?無理して一気に片付けようとしなくてもいいぞ」
上司まで心配して声をかけてきたが、俺は手を止めずに答えた。
「いえ、大丈夫です。なぜか今日は調子がいいみたいで」
どうして急にこんなことができるようになったのか。答えは一つしか思い当たらない。
(……まさか、これも『才能開花』のスキルか!?)
現実世界で、仕事の才能が開花したらしい。
もし俺が今から起業したら、その才能も開花して大成功するってことか?億万長者も夢じゃないのか?
だが、俺はすぐに思い直した。
(いや、世の中そんなに甘くないか。もしまた異世界で死んでしまったら、このスキルだってどうなるか分からないんだ)
あまり目立ちすぎるのも考えものだ。俺はその後、作業スピードを「少し仕事が早い人」程度に抑え、やりすぎない範囲で仕事を終わらせた。
帰宅すると、玄関からリビングまでが妙にスッキリとしていた。
「おかえり、お父さん。 暇だったから掃除しといたよ」
陽葵が誇らしげに言った。そういえば、ここ数日は魔法が使えなくなったこともあって、まともに掃除ができていなかった。
「助かったよ、陽葵」
今は水魔法や風魔法は使えない。けれど、掃除を続けていれば「掃除の才能」が開花して、魔法なしでも家の中がピカピカになるかもしれない。
そう考えると、このスキル、異世界よりも現実世界の方が使い勝手がいいんじゃないか?
俺は充実感を感じながら夕飯を済ませ、夜の訪れと共に眠りについた。
◇◇◇
「――おはよう、ダイチさん」
目を覚ますと、そこは宿屋のベッドの上だった。
目の前には、すでに支度を終えたユイが微笑んでいる。
「おはよう、ユイ。……ずっと気になってたんだけど、一つ聞いていいか?」
俺は起き上がり、ユイに向き合った。
「俺が現実に戻っている間、この世界はどうなっているんだ?時間は止まっているのか?」
「ううん、流れてるよ」
ユイは窓から差し込む朝日を見ながら答えた。
「でもね、現実世界で何日経とうが、ここではダイチさんが眠ってから起きるまでの時間しか経過しないように調整してあるの。安心して」
「なるほど、逆も同じってことか。予想通りだな」
俺は納得し、さらに踏み込んだ質問をした。
「じゃあ、眠っても現実に戻れない事があったけどどうしてだ?」
「それは、ダイチさん自身が『まだこの世界にいたい』って強く願っている場合かな。私が強制的に引き止めたり、逆に戻したりすることもできるけど……、それはダイチさんが眠っている時にしかできないの」
「あとは……死んだ場合か」
俺の言葉に、ユイの表情が少しだけ曇った。
「……その場合も、現実世界には戻れるわ。でも、魂が受けるダメージは相当なものよ。現実のダイチさんの精神に深い傷がついたり、……最悪の場合、寿命が縮まることもあるわ」
「寿命、か。じゃあ、ルチアとして一回死んだ時も、俺の寿命は縮まったのか?」
「……ごめんなさい。ダメージの度合いによるけど、その可能性は高いわ」
ユイは申し訳なさそうに俯いた。
だが、不思議と俺に後悔はなかった。
今の生活は、ただ漫然と過ごしていた頃より、何倍も充実している。魔法を使える喜び、そして何より、こうしてまたユイと会話ができる。
「……いいよ。転生をやめたいとは思わない。それ以上に、今の生活に満足してるからな。暗い話はここまでにしよう!さあ、ギルドに行ってクエストを見に行こうか!」
俺はユイを元気づける為にそう言ってギルドに向かうことにした。
ギルドに着き、俺たちは掲示板の前で手頃な依頼を探していた。
「『薬草採取』にする?森の奥まで行かなければそんなに危険じゃないし。もし魔物が出ても、倒せば素材として売れるしね」
「それにしよう。最初の仕事としては丁度いい」
俺は受付で依頼を受注し、ユイと共に街の外へと歩き出した。
腰には昨日買ったショートソード。
「いよいよ、冒険者としての最初の仕事だな」
「うん!私がしっかりサポートするから、楽しんでいこうね!」
俺たちは意気揚々と、街の外に出て森へと向かった。




