運命の誕生日
ついに、運命の日がやってきた。
俺――ルチア・グランツとしての16歳の誕生日。そして、双子の妹であるフィリアの誕生日でもある。
この日のために、俺は慎重に準備を進めてきた。
フィリアは妹として、あるいは「スパイ」として王子の様子を逐一伝えてくれた。
侍女のカレンは、パーティーに招待される賓客一人ひとりの性格や弱点を洗い出し、完璧な「接待(対応)マニュアル」を作成してくれた。
アルベルト王子も、あのお茶会での毒の件を国王に報告したようだが、国王の判断は「警備を厳重にせよ」という指示に留まったらしい。
公爵家の面目を潰すわけにもいかず、パーティー自体の中止は免れた。ただ、婚約発表については「ルチアの様子を見てから」と、事実上の延期になった。
だが、俺にとってはもうどうでもいい話だ。
俺の意識はすでに、この豪華な屋敷の先にある「自由」へと向かっていた。
ドレスに着替えて午後の柔らかな光が差し込む廊下を歩いて使用人達の様子を見る。
パーティーは本邸ではなく、少し離れた豪華な別邸で行われる。
そのため、人手はほぼすべて別邸の準備に回され、本邸内に残っている使用人はいつもの半分もいなかった。
廊下を走るメイドたちの中にはカレンの姿もあった。
メイド長として、屋敷の管理から別邸への指示まで完璧にこなす彼女は、かつてないほど忙しそうだった。
(何か仕掛けてくるとしたら、パーティーが始まってからだろうな。今は泳がせておくさ)
この屋敷も見納めかと思い、窓から見える庭園を眺めていると着替えを終えたフィリアがやってきた。
「お姉様、お誕生日おめでとうございます」
「……ありがとう、フィリア。あなたもおめでとう。双子なんだから、今日はあなたの誕生日でもあるんだものね」
俺がそう言って微笑むと、フィリアは嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうございます。お姉様、その……、ドレス姿、とっても綺麗ですわ」
俺が着せられたのは、肩を大胆に出した深紅のドレス。金糸の刺繍がギラギラと輝き、いかにも「高慢な悪役令嬢」という装いだ。
ゲームの中でルチアが断罪される時に着ていた、あの忌まわしい衣装そのものだった。
「あなたこそ、そのドレス、よく似合っているわ。素敵よ」
フィリアのドレスは、深い夜空のような濃い青色。銀糸の刺繍が繊細に施され、彼女の可憐さを引き立てている。
フィリアは少しだけ寂しそうに視線を落とした。
「殿下との婚約発表ができないのは、残念ですね……」
「そうね。……でも、パーティーが中止されなくてよかったわ」
適当に相槌を打つ。
婚約発表なんて、俺にとってはもうどうでもいいが、目の前で微笑むフィリアを見ていると、現実世界の娘・陽葵の面影が重なる。
歳が近いせいか、どこかで彼女を娘のように可愛がっていた自分がいた。
(このまま、本当の仲良し姉妹としてやっていけたらと思っていたのに。残念だよ、フィリア)
「……お姉様 、そろそろ会場へ出発する時間ですわ」
「そうね、行きましょう」
いよいよ作戦開始の時だ。
玄関先に向かうと、すでに豪華な馬車が用意されていた。カレンが厳しい顔で待機している。
別邸までは馬車で30分。着く頃には黄昏時だろう。
「ルチア様、準備は万端です」
カレンが取り出したのは、王子が用意しているであろう「断罪の証拠資料」を、俺の「反省と決意の声明文」にすり替えるための偽造文書だ。
王子の糾弾を、感動の祝福ムードに塗り替えるという彼女なりの必勝シナリオらしい。
「よく出来た文章ね。……じゃあ、乗りましょうか」
俺が馬車に乗り込もうとした、その時だった。
――ビリッ!!
不吉な音が、静かな玄関に響き渡った。
「ああっ、お姉様!ドレスが!」
フィリアが悲鳴のような声を上げた。
見ると、俺のドレスのスカートが、馬車のドアにわずかに出ていた木の切れ端に引っかかり、無残に裂けていた。
「なんてこと……!あなた達、点検を怠ったの!?」
カレンが青ざめて御者を怒鳴りつける。
御者も「そんな、確認したはずなのに……!」とパニック状態だ。
(……悪いな、御者さん。それ、俺の風魔法で細工したんだ)
「……これでは行けないわ。予備のドレスに着替えてから行くから、あなたたちは先に向かって」
「ですが、お姉様を一人にするわけには……」
「フィリア、殿下が先に会場で余計な工作をしないように見張っててほしいの。カレン、あなたも資料を早く会場に持ち込まないと、すり替えのタイミングを逃すわよ?」
俺の正論に、二人は言葉を詰まらせた。
「……承知いたしました。では、パーティー会場でお待ちしております。遅れないようにお願いいたしますね、ルチア様」
カレンとフィリアを乗せた馬車が走り去るのを見送り、俺は小さく息を吐いた。
作戦第一段階、成功だ。これで監視役の二人は消えた。脱出に気づかれるまで、数時間は稼げるはずだ。
俺は屋敷に戻るフリをして、裏門に手配していた別の馬車へと走った。
「すぐに街を出て」
御者に指示し、俺は馬車の奥に身を隠した。
街の出口の検問も、公爵家の紋章が刻まれた通行証をチラつかせるだけで難なくパスした。
しばらく舗装された道を進んだところで、俺は御者に声をかけ、金貨の袋を握らせた。
「ここでいいわ。あとは自分で動かすから」
「えっ!?お嬢様一人で……」
「いいの。もし公爵家に何か言われたら、『脅されて無理やり従わされた上に馬車を奪われた』って言いなさい。そのためのお金よ」
御者を降ろし、俺は自ら手綱を握った。
まずは森の中へ入り、追っ手の目を眩ます。馬車の車輪の跡は、土魔法を使って丁寧に消していった。
しばらく森の中を進んでいるうちに空は薄暗くなり、森の中はさらに視界が悪くなる。
時折現れる下級の魔獣は魔法で軽く蹴散らしたが、やはり一人での夜道は神経を使う。
(……そろそろ馬を休ませるか)
大分森の深くまで来たところで、俺は休憩を決めた。
その間に、動きやすい服に着替えようと馬車の中に入り、あらかじめ用意していた荷物を手に取った、その時。
――ドォォォォンッ!!
凄まじい衝撃とともに、世界が回転した。
「なっ……!?」
馬車が横転し、俺の体は車内で激しく叩きつけられた。
頭を強く打ち、視界が真っ赤に染まる。
ヒヒィーンッ!と馬の悲痛な断末魔が耳に残った。
「……ぁ、がはっ……」
ふらつきながら馬車の外へ這い出すと、そこには地獄のような光景があった。
繋がれていた馬が、無残にもバラバラに切り裂かれ、息絶えていたのだ。
魔獣か!?そう思った瞬間。
凄まじい風切り音とともに、ひっくり返った馬車が俺に向かって飛んできた。
「ウィンド・シールド……ッ!」
とっさに魔法を展開したが、頭を打ったせいでイメージがぶれる。
ガードしきれなかった馬車の直撃を受け、俺の体は吹き飛ばされた。
激突した木の下で、俺はそいつの正体を知る。
屋敷の図鑑で見たことがある。『リッパーベア』
鋭利なナイフのような爪を持ち、獲物をバラバラにするまで攻撃を止めない、凶暴な魔獣だ。
(……縄張りに入っちまったのか……!?)
痛みでフラフラしながら必死に立ち上がる俺の背後から、もう一対の殺気が迫った。
――ザシュッ!!
「あぁぁぁあああああッ!!?」
悲鳴にならない絶叫が漏れた。
背中を、熱い鉄で引き裂かれたような感覚。
俺は這うようにして前にいる一体と、背後に現れた二体目から距離を取り立ち上がった。
背中がズキズキと燃えるように痛み、太ももを伝って生温い感触が流れていく。
背中に少し触れただけでぬるっとした手が真っ赤に染まった。
(……やばい。やばいやばいやばい……!)
普段ならこんな魔獣、魔法で一撃だ。
だが、頭と背中の激痛で思考がまとまらない。
魔力のコントロールが、指先から漏れるように霧散していく。
「……く、あ……っ!」
リッパーベアが容赦なく襲いかかる。致命傷を必死にかわすが、そのたびに爪が俺の腕を、足を、容赦なく刻んでいく。
きらびやかだったドレスは無残に破れ、動きを鈍くする。
このままでは、ただの肉塊にされる。
(……何とか、何とかしないと……!)
リッパーベアの一体が、トドメを刺そうと大きく爪を振り下ろした。
その爪が、俺の左肩に深く食い込む。
「……ぁあああああああッ!!!」
激痛で白濁する意識の中、俺はリッパーベアの顔面に右手を向ける。
「……燃えろ、化け物……ッ!!」
ゼロ距離からの至近爆発。
最大火力の炎が、リッパーベアの頭部を丸ごと焼き尽くした。
顔を焼かれた巨体が、俺から離れてのたうち回り、やがて動かなくなった。
「……あと、一匹……」
肩からも血が溢れ、立っているのもやっとだ。
だが、俺はまだ死ぬわけにはいかない。
もう一体の巨大な影を、冷たく睨みつけた。




