学園からの孤立
揺れる馬車の中、空気はひどく重かった。
向かいに座る妹のフィリアは、さっきから膝の上で手をぎゅっと握りしめ、気まずそうに視線を泳がせている。
「フィリア、どうしたの?顔色が悪いわよ」
俺が声をかけると、フィリアはびくりと肩を揺らした。
「え……っ?あ、いえ、何でもありませんわ、お姉様」
何か言いたげに唇を震わせるが、結局彼女は視線を窓の外へと逃がしてしまった。
昨夜、カレンと「私を追放する」と密談していたのを知っている身としては、その横顔に複雑な感情を抱かずにはいられない。
(……騙している罪悪感でもあるのか?それとも、次の策を練っているのか?)
しばらく沈黙が続き、やがて馬車は学園の正門へと滑り込んだ。
馬車を降り、校舎へと向かって歩き出すと、すぐにいつもの光景が広がった。
「ルチア様!ごきげんよう!」
「まあ、今日もお美しいわ!」
華やかな声を上げて駆け寄ってきたのは、ルチアの取り巻きの令嬢たちだ。
彼女たちはフィリアにも挨拶をするが、フィリアはどこか怯えたように軽く会釈を返すと、「では、私はこれで……」と足早にその場を離れていった。
(まあ、無理もないか……)
転生前のルチアは、この取り巻きたちを使ってフィリアを散々いじめていた。
俺がルチアになってからは彼女らを謝らせて、嫌がらせも一切禁止しているが、フィリアにとってはまだ彼女たちは「怖い存在」なのだろう。
今はフィリアと距離を置きたい俺にとっても、この状況は正直助かった。
「ルチア様、昨日のお茶会はいかがでしたの?」
「次はぜひ、わたくしたちも招待してくださいませ!」
取り巻きたちは、昨日何が起きたのかまだ知らないらしい。
「昨日のお茶会は、……ええ、色々あってあまり上手くいかなかったの。また機会があれば、あなたたちを招待するわね」
半分は社交辞令のつもりだったが、彼女たちが
「本当ですか!」
「楽しみにしておりますわ!」
と手を取り合って喜ぶのを見て、俺の心に少しだけ温かいものが灯った。
打算的な付き合いだと思っていたけれど、こうして屈託なく喜んでくれる姿は、案外悪くない。
だが、平和な時間は長くは続かなかった。
お昼休みになる頃には、学園内の空気は一変していた。
「聞いた?昨日のグランツ公爵家のお茶会で……」
「リリィ様が毒を盛られたんですって。ルチア様が自分で注いだお茶に……」
どこから漏れたのか、噂は瞬く間に広がっていた。
食堂の隅では、リリィを心配する生徒たちが、彼女とフィリアを囲んでいる。リリィとフィリアは困惑した表情で周囲に対応していた。
(……情報の出どころは、まず間違いなくあの王子だな)
お茶会の出来事だけが広まり、肝心の「婚約の決定」については一切触れられていない。
王子にとって、自分との婚約が広まるのは不都合なのだろう。ただ「ルチアが悪事を働いた」という印象だけを植え付け、外堀を埋めようとしている。
「……ルチア様」
取り巻きたちが、恐る恐る声をかけてきた。
彼女たちの顔には、いつもの余裕がない。
「あの……変な噂が流れていますけれど、本当なのですか?お茶会で、リリィ様に毒を……」
俺は静かに首を振った。
「リリィ様が毒の影響で苦しまれたのは事実よ。でも、私は毒なんて入れていない。……誰が犯人なのかも、私にはわからないわ」
嘘は言っていない。だが、周囲の目は冷ややかだ。
これまでルチアが積み重ねてきた「悪行」の数々が、この噂に真実味を与えてしまっている。気づけば、俺の周りに残っているのは、この取り巻きたちだけになっていた。
「あなたたち、もう私から離れなさい」
「えっ……?どうしてですの、ルチア様」
「このまま私と一緒にいたら、あなたたちまで共犯だと思われて孤立するわ。……いい?あなたたちは何の関係もない。今まで、仕方なく従わされていた。そう言えば、あなたたちは守られるはずよ」
「でも……!」と食い下がろうとする彼女たちを、俺は厳しい目で見つめた。
「私の言うことが聞けないの? もう私に話しかけてこないで」
彼女たちは一瞬怯えたあと、「……申し訳ありません」と力なく謝りながら、俺から離れていった。
最初はわざとらしい媚び方が鬱陶しいと思っていたけれど、ルチアがこんな状態になっても心配してくれるなんて。
(……根はいい子たちだったんだな。もっと早く気づいてやれれば良かったが)
一人になったところで、今後の展開を練る。
学校での味方がいなくなった。次は間違いなく、あの王子が「大義名分」を持って俺を追い詰めに来るはずだ。
案の定、アルベルト王子が現れた。
彼はまずフィリアたちの元へ行き、人だかりに向かって「彼女たちが困っているから、あまり騒がないであげてほしい」と優しく告げた。
その完璧な「聖人君子」の振る舞いに、周りの生徒たちは感銘を受けたように道を空ける。
そして、王子は俺の方を向き、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「ルチア。君は大人しく謹慎していると思っていたが……、意外と図太いんだな」
王子の声には、隠しきれない嫌悪感が混じっていた。
「私がやっていないことに、なぜ謹慎の必要があるのでしょうか?」
「お茶会の件は、私の父上にも報告させてもらう。君が犯人でないとしても、君の周りで毒が盛られるような事態が続く以上、君を王室に迎えるわけにはいかないからね」
(……大分嫌われてるな。まあ、知ってたけどさ)
ゲームの序盤に転生していれば、もっとやりようがあったのかもしれない。
だが、今の状況はもう「詰み」に近い。
……いや、待てよ。
ふと、俺は考えた。
そもそも、俺はこの王子と婚約する必要があるのか?
ゲームでのルチアの結末は、処刑、国外追放、修道院送り……。
そのすべての原因は、彼女が「王子の婚約者」という椅子に固執し、フィリアに嫉妬し、権力にしがみつこうとしたからだ。
(……だったら、その椅子、こっちから捨てちまえばいいんじゃないか?)
王子は俺が黙っているのを「反論できない」と勘違いしたのか、鼻で笑って去っていった。だが、俺の頭の中は今、かつてないほどクリアになっていた。
「誕生日パーティーを中止するのは……今更無理か。あと2週間しかないし、よっぽどの理由がないと公爵家としての体面が保てない」
誕生日パーティー。そこで婚約が発表されるか、追放を言い渡されるか、おそらく後者だろう。
屋敷には、俺を追放しようとしているカレンとフィリア。
学園には、俺を陥れようとする王子。
屋敷も、学校も、もう俺の居場所じゃない。
「……よし。どうせ追い出されるなら、こっちから出ていってやる」
せっかくの異世界だ。
公爵令嬢という肩書きを捨てて、自由気ままに生きてみるのも悪くない。
4属性魔法が使えるし、どこへ行ったって、食いっぱぐれることはないだろう。
両親には少し申し訳ないけれど、このまま「断罪」されるのを待つほど俺は馬鹿じゃない。
「無計画に飛び出してもすぐ捕まる。……誕生日パーティーまでの2週間。これが、俺の『脱出計画』の準備期間だ」
窓から見上げた空は、今の俺の心境を映し出したかのように、驚くほど真っ直ぐに晴れ渡っていた。
断罪されるのを待つ「悪役令嬢」の時間は終わった。
ここからは、自由を得るためのおじさん奮闘記を始めよう。




