裏切り者とおじさんの決意
翌朝、目が覚めると、そこは見慣れた現実世界の天井だった。
「……最悪の接待だったな」
昨日の異世界での出来事を思い出す。優雅なお茶会が一転、毒殺未遂事件の現場になった。
犯人は一体誰だ?
王子か?いや、あいつはあの場から一歩も動いていない。
倒れたリリィの自作自演?いや、命を懸けるにはリスクが高すぎるし、理由も見当たらない。
……となると、考えたくはないが、ティーポットを持ってきたカレンか?
だが、カレンもカップには触れていない。何より、これまであんなに協力的だった彼女が裏切るとは思えなかった。
(まさか、リリィの隣に座っていたフィリアが……?)
「……考えてもキリがないな。今は現実の仕事だ」
俺は無理やり思考を切り替え、ベッドから起き上がった。
リビングに行くと、娘の陽葵が朝食を用意していた。
「あ、お父さん。おはよう。はい、これ」
差し出されたのは、色鮮やかなフルーツサンドだった。
昨日の事件を思い出して、一瞬、顔をしかめる。
「お父さん、なんでそんな嫌そうな顔してるの?自分で買ってきたんでしょ」
「ああ、ごめん。……朝から生クリームたっぷりだと、ちょっと胃がもたれそうでな」
俺は苦笑いでごまかした。
実はこのサンドイッチ、大地が作り方を研究するために買ったものや、練習で自作したものの余りだ。
「これ、一個持って行っていい?学校に着く前に友達と食べるから」
陽葵が俺が手作りした方を手に取った。
「いいけど、そっちは俺が作ったやつだぞ? 店のやつの方がいいだろ」
「ううん。こっちの方が美味しいし、なんか食べると元気が出るんだよね」
陽葵が笑顔でそう言った。
その言葉が、精神的にボロボロだった俺の心に、じんわりと染み渡る。
異世界で誰に疑われ、毒を仕込んだ犯人扱いされようとも、ここで陽葵が喜んでくれるならそれで十分だ。
「そうか……。気をつけて行けよ」
俺は気持ちを切り替え、力強く仕事へと向かった。
夜、仕事を終えて帰宅し、平和な日常を過ごした後にベッドに入る。
犯人探しも、断罪回避の案も、一から考え直さなきゃいけない。
(……やるだけやってみるさ。でも、もし駄目なら駄目でいいか。俺には、この世界で守るべき陽葵がいるんだからな)
自分に言い聞かせるようにして、俺は深い眠りに落ちた。
◇◇◇
次に目を覚ませば、そこは再び「レイハー」の世界――ルチアの体だ。
(……まだ暗いな。夜か?)
ベッドから身を起こした。お茶会のショックで夕食を抜いてしまったせいか、猛烈にお腹が空いている。
「メイドたちのまかないでも残ってないかしら……」
俺はこっそり部屋を出て、厨房へ向かおうとした。
フィリアの部屋の前を通りかかったとき、中から話し声が聞こえた。
(フィリア?誰かと話してる……)
息を殺してドアに近づく。だが、分厚い扉のせいで内容はよく聞こえない。
(……風よ、音を運んで)
俺は風魔法を使い、空気の振動を操作して自分の耳元で増幅させた。いわば「魔法版イヤホン」だ。
すると、鮮明な声が飛び込んできた。
『……でも、あんなことまでして、本当に大丈夫なのですか?』
フィリアの、震えるような声。
『まだやることはありますが、これでおそらくルチア様を追放できるでしょう』
答えたのは、カレンの声だった。
俺は自分の心臓が跳ね上がるのを感じた。
『フィリア様には最後に、ルチア様に追放を言い渡してもらいます。……リリィ様には申し訳ないことをしましたが、あの方法しかありませんでした』
『……わかりました。お姉様のためにも、そうするしか……』
俺は動揺しながらも気づかれないよう、音を立てずにその場を離れた。
部屋に戻ると、暗闇の中で激しい困惑に襲われる。
(ゲームにこんな展開はなかった。……いや、俺が知らないだけか?)
お茶会で毒を入れたのは、カレンだった。彼女は最初から、ルチアを追放するために動いていたのだ。そして、信じていた妹のフィリアまでもがそれを承知で動いている。
結局、俺は最初から一人だったのか――。
一睡もできないまま、冷たい朝を迎えた。
コンコン、とドアがノックされる。
「ルチア様、起きておられたのですね。お着替えの準備を」
カレンが、いつも通りの澄ました顔で入ってきた。
今すぐ問い詰めたい。だが、毒を入れた証拠は何もない。
「……ええ。おはよう、カレン」
俺は何も知らないフリをして、鏡の前に座った。
「今日は学校を休まれては?あんなことがあったのですし……」
カレンの提案。それは、俺を外の世界から隔離し、さらに印象を悪くするための罠にしか聞こえなかった。
「いいえ、学校へ行くわ。逃げるような真似はしたくないの」
カレンは「承知いたしました」と深く頭を下げた。
朝食の席には、父である公爵エドワードの姿があった。
エドワードは王子との婚約に賛成している。ルチアを追放しようとする動きを、彼なら止められるのではないか。
「お父様――」
俺が声をかけようとした瞬間、エドワードが先に口を開いた。
「ルチア、昨日の件は聞いた。……王子の前で毒沙汰とは。婚約の話が流れてもおかしくない失態だ」
エドワードの声は静かだったが、冷徹な響きがあった。
「犯人が誰であれ、茶会を開いたのはお前だ。管理責任はお前にある。……何か反論はあるか?」
「……ございません。申し訳ありませんでした」
俺はただ謝るしかなかった。
エドワードの言うことは、サラリーマンの世界でも正しい。主催者が「自分はやっていない」と叫んだところで、その場を管理できなかった責任は免れないのだ。
「余計なことはせず、誕生日までは大人しくしていなさい」
「はい……」
エドワードは厳しい言葉を投げつつも、暗に「誕生日までは俺が守るから、それまで動くな」と言ってくれている。彼なりに、ルチアの身を案じているのだ。
(今はこれ以上、騒ぎを大きくしちゃいけない。両親の信頼を損なわないのが、今できる最善の策だ)
朝食を終えた俺のもとに、フィリアがやってきた。
「お姉様、そろそろ学校へ行きましょう?」
その笑顔は、昨夜の密談を聞いていなければ、純粋な妹の気遣いにしか見えなかっただろう。
(……どの面下げて、そんな顔ができるんだ?)
心の中ではドス黒い感情が渦巻く。だが、ここで断るのも不自然だ。
「ええ、そうね。行きましょうか、フィリア」
俺は努めて穏やかに微笑み、彼女の手を取った。
馬車の中、向かい合って座る姉妹。
信じていた妹と、忠実だと思っていた侍女。
すべてが敵に回った状況で、馬車は学園へと向かう。




