お茶会とゲームのイベント
しばらくの間、公爵令嬢ルチア・グランツとしての毎日は、目が回るほどの忙しさだった。
現実世界では娘の陽葵との距離を少しずつ詰め、異世界では「運命の断罪」を回避するためにカレンやフィリアと作戦を練る。
まさに、異世界と現実の「二重生活」状態だ。
そして今日。ついにその努力の成果を見せる時、お茶会の日がやってきた。
グランツ公爵家の広大な庭園。
手入れの行き届いたバラのアーチを抜けた先に、真っ白なクロスの敷かれたテーブルが用意されている。
そこには、俺とカレンが試行錯誤して準備したスイーツの数々が、午後の陽光を浴びてキラキラと輝いていた。
「ルチア様、本日はお招きいただき、ありがとうございます」
やってきたのは、生徒会長のイザベラ、商家の令嬢クロエ、そしてフィリアの親友であるリリィの三人だ。
「よく来てくれたわね。さあ、席へどうぞ」
俺も優雅に挨拶を交わし、彼女たちを席へ誘ったその時だった。
「お待たせいたしました、お姉様。アルベルト殿下もお連れしましたわ」
フィリアが、これ以上ないほど晴れやかな笑顔で、アルベルト王子を連れて現れた。
椅子に座ろうとしていたイザベラたちが弾かれたように立ち上がった。
「ア、アルベルト殿下……!?殿下も招待されていたのですか?」
イザベラが驚きに目を見開く。クロエとリリィも慌てて最敬礼の姿勢をとった。
「皆、そんなにかしこまらなくていい。私もルチアに誘われた、一人の客として来ただけだからね。今日は楽しませてもらうよ」
王子は相変わらずの「完璧な王子様スマイル」でそう言った。
だが、その瞳の奥には冷たい計算が見え隠れしているのを、俺は見逃さなかった。
全員が席につき、いよいよお茶会が始まった。
俺は手慣れた手つきでティーカップにお茶を注ぎ、一人ずつ手渡していく。
「今日は来てくれてありがとう。まずは一口、飲んでみて」
皆が同時にお茶を口にする。
「……!美味しいわ。なんだか、体がすっと軽くなるような……」
イザベラが驚きの声を上げた。
「これは私が魔法で育てた特別なハーブをブレンドしたものよ。少しだけ魔力回復の効果があるの」
おじさんの接待術、まずは「他では味わえない特別感」の提供だ。
話題はすぐにテーブルの上のスイーツへと移った。定番のケーキやスコーンに混じって、俺が仕掛けた「本命」が置かれている。
「ルチア様、これはサンドイッチ……ですか? 切られたフルーツの断面が、宝石みたいに綺麗ですわ」
リリィが目を輝かせた。
現代でいう『フルーツサンド』だ。
真っ白な生クリームと、イチゴやキウイの鮮やかなコントラスト。大地が現実世界で調べておいた、この世界にはまだ無い「映え」を意識した一品だ。
クロエなどは、いつの間にかメモ帳を取り出して、猛烈な勢いで書き留めている。よしよし、商売人の魂に火がついたな。
穏やかな時間が流れる中、イザベラがふと表情を引き締めて切り出した。
「それでルチア様。……私たちに、何かお話ししたいことがあるんじゃないかしら?」
「ええ」
俺は背筋を伸ばし、真面目な顔で王子の方を向いた。
「実は……私とアルベルト殿下の婚約が、正式に決定することになったの」
「「「ええっ!?」」」
三人の令嬢が声を揃えて驚愕した。
「お、おめでとうございます!ついに決まったのですね!」
祝福の声が上がる中、王子の顔が、一瞬だけピクリと引き攣った。
「……ルチア。君の誕生日までは正式な決定ではないし、まだ発表は控えるべきだと言ったはずだが?」
「だって殿下、最近あまりお顔を合わせてくださらないんですもの。だから、せめて信頼できる方々には先にお伝えしておきたかったのよ」
俺は「恋する乙女」の仮面を被って微笑んだ。
大勢の前で婚約を既成事実化する。これが俺の狙いだった。
イザベラが感心したように頷く。
「以前のあなたからは想像できないわ。……婚約があったからこそ、あなたはここまで変わられたのね」
「最近はお姉様ととっても仲良くなったって、フィリアから聞いていますわ!」
リリィがニコニコと笑い、クロエも「ルチア様のことを怖い人だと思っていましたが、殿下がいれば安心ですね」と冗談を飛ばす。
「何それ、クロエ様ったら。わたあめ以外にも、色んなお菓子のアイデアを教えてあげようと思ったのに」
俺が茶目っ気たっぷりに返すと、場は和やかな笑いに包まれた。王子も否定はできず、苦笑いしながら頷くしかない。フィリアを見ると、俺に向かって「大成功!」とばかりにウインクをしていた。
「お茶が冷めてしまったわね。カレン、新しいティーポットを持ってきて」
指示を受けたカレンが、新しいポットを運んできた。
俺はあらためて、皆のカップにお茶を注いで回る。
「今度は別のハーブで作ったハーブティーよ。これも自信作なの」
「楽しみですわ」
皆がお茶を口にする。
俺は「誕生日パーティーには、あなたたちも必ず招待するから」と、これからの計画を話していた。
……だが、その直後だった。
「……っ、げほっ、……う、あ……」
突然、リリィが喉を押さえて苦しみ始めた。
隣にいたフィリアが「リリィさん!?」と声をかけるが、彼女はそのまま椅子から崩れ落ち、芝生の上に倒れ込んだ。
顔は青ざめ、胸をかきむしるようにして必死に呼吸をしようとしている。
「リリィ! リリィ、しっかりして!」
パニックになったフィリアが、リリィの体を激しく揺らそうとする。
「フィリア、待って!動かしちゃダメだ!」
俺は何が起きたのかわからなかったが、反射的にフィリアの側に駆け寄り、その手を止めた。
そばに立つカレンも鋭く告げた。
「フィリア様、リリィ様の呼吸を確保してください。回復魔法を!」
「……っ、はい!」
フィリアがはっと気づき、震える手で魔力を流し込む。
数秒後、リリィの荒い呼吸が少しずつ落ち着き、彼女は弱々しく体を起こした。
「……リリィ様、一体どうしたの?」
俺が震える声で尋ねると、彼女は青ざめた唇を動かした。
「わからないけど……、さっきのお茶を飲んだ後、急に苦しくなって、息ができなくて……」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、王子の鋭い声が響いた。
「ルチア!君、毒を入れたのか!?」
「毒!?まさか!全員が飲んだお茶なのよ、そんなわけないわ!」
「いや、お茶を注いだのは君だ。リリィのカップにだけ、何らかの手法で毒を仕込んだんだろう」
「なぜ……!なぜ私が、そんなことをする必要があるの!」
「脅しだろう?『俺と婚約すれば思い通りになり、逆らう奴には容赦しない』。それを見せつけるために、フィリアの親友である彼女を狙った……。そうだろう?」
「そんなこと、わざわざ王子のいるこの場でやるわけがないでしょう!」
叫んだ後、俺は「はっ」として口を塞いだ。
……しまった。
イザベラとクロエの目が、俺を冷たく射抜いている。
今の言葉は、「王子がいなければやる」と認めたようなものだ。王子の「逆らう奴には容赦しない」という言葉を、最悪の形で肯定してしまった。
「待って……、本当に知らない、私じゃないわ!そもそも毒かどうかも……」
カレンがリリィのカップに残ったお茶を調べていた。
そして、重苦しく告げた。
「……ルチア様。これには、毒が入っているようです」
どうしてだ。
誰も、カップに触ることはできなかったはずだ。お茶を注いだ俺と、飲んだリリィ以外は。
その時、俺の脳裏に、かつてプレイした『レイハー』のイベントシーンが鮮烈に蘇った。
それは、ゲームでのルチアが、フィリアと二人きりでお茶会をするシーン。
ルチアはフィリアを脅すために、彼女のカップにこっそり毒を入れ、呼吸困難に陥らせた。
フィリアは自身の魔法で助かったが、ルチアは「いつでもあなたを消せるのよ」と嘲笑った……。
(あの時の毒……。呼吸困難を引き起こす、あのイベントと全く同じだ……!)
なぜだ。
ゲームとは違う展開を作ってきたはずなのに、なぜこのタイミングで「毒殺イベント」が、しかもターゲットを変えて発生した!?
「……こんな状況では、お茶会を続けることはできないね。フィリア、リリィを支えて。彼女を連れて行こう」
王子は氷のような声でそう言うと、フィリアとリリィを促した。
フィリアは、悲しげな目で俺を一度だけ振り返り、そのまま去ってしまった。
「……ルチア様。今のあなたがこんなあからさまな事をするとは思っていなかったけれど。少し、期待しすぎていたようね。私も失礼するわ」
イザベラも冷たく言い放ち、席を立った。
「……わたあめの件は、無かったことにしてください。今日のことは誰にも言いませんから……さようなら」
クロエも、怯えたように目を逸らしながら逃げるように去っていく。
つい数分前まで、成功を確信していた庭園。
今はただ、冷めたお茶と食べ残されたスイーツだけが、午後の陽光に照らされていた。
俺は、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
隣には、心配そうに俺を見つめるカレン。
せっかく積み上げた信頼も、外堀も。
たった一杯のお茶で、すべてが音を立てて崩れ去った。




