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戦えない僕は植物図鑑で生き延びる  ~じぃちゃん、いつの間にか最強になってた~  作者: とも


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9/25

1-8 草を食べる魔獣

 ガリッ。


 ガリッ。


 ガリッ。


 土を掘る音が、少しずつ近づいてくる。

 僕は源蔵さんと一緒に、音を立てないよう後ろへ下がった。地面には、根こそぎ食べられた銀筋草。

 黒くて硬そうな毛。

 第一採取区にはいるはずのない、何かが近くにいる。


「坊主」

 源蔵さんが、小さな声で呼んだ。

「なんですか?」

「先に逃げろ」

「嫌ですよ。源蔵さんも一緒に逃げますよ」

「わしは足が遅い。2人で走ったら、両方追いつかれる」

「1人で残ったら、源蔵さんだけ追いつかれます」

「わしは、この前より少し強くなっているから大丈夫だ」

「草を採って増えた経験値は、まだ3にも届いていませんよね?」

「細かい数字をよく覚えてるな」

「毎日、自分で数えていたじゃないですか」

「こんなときまで正論を言うな」

 源蔵さんが背中の荷物へ手を伸ばし、新品の短剣を抜いた。

 以前、牙鼠に追われたときには、1度も使わないまま落としてしまった短剣だった。

 源蔵さんの手は震えていた。

 それでも、僕の前へ出る。

「坊主、わしの後ろへ下がれ」

「戦ったら死にますよ」

「分かっとる」

「分かっている人の行動じゃありません」

「うるさい。子どもが年寄りを守ろうとするな」

「‥‥‥」

「だから今度は、わしの番なんだ」

 源蔵さんは短剣を両手で握り、奥の暗闇をにらんだ。

 膝も震えている。

 短剣の先も、上下に揺れていた。

 たぶん、牙鼠と戦ったときより怖いはずだよ。

 それでも、逃げようとはしなかった。


 ガリッ。


 土を掘る音が止まった。

 暗闇の奥で、何かが動いた。

 低い唸り声が聞こえる。


「グルルルル‥‥‥」


 最初に見えたのは、2本の長い爪だった。次に、黒い毛に覆われた太い前足。

 岩陰から、大型犬ほどの魔獣が姿を現した。

 頭は低く、背中は丸い。

 全身を覆う黒い毛は針のように硬く、その下には岩のような皮膚が見えていた。

 僕は、その魔獣を知っていた。


「鎧穴熊‥‥‥」

「知っておるのか?」

「第3探索区にいる魔獣です。硬い爪で土を掘って、植物の根や鉱石を食べるやつ‥‥‥」

「強いのか?」

「牙鼠よりは、ずっと強いです」

「どのくらいだ?」

「源蔵さんが10人いても勝てないくらい」

「わしで例えるな!」

 鎧穴熊が、こちらを見た。

 小さな黒い目。

 口の端から、白い泡が垂れている。

 源蔵さんが、僕を隠すように短剣を構えた。

 鎧穴熊が1歩、こちらへ近づいてきた。

 その足取りを見て、僕は違和感を覚えた。‥‥‥んっ?

 右の前足を、引きずっている?

 歩くたびに体が大きく傾き、何度も頭を振っていた。

 こちらを威嚇しているように見えるけれど、目の焦点も合っていないようだ。


「なんか、おかしくない‥‥‥」

「何がだ?」

「僕たちを見ていません」

 鎧穴熊の視線は、僕たちではなく地面へ向いていた。

 鼻を土へ近づけ、何かを探しているようだった。

 荒い息を吐きながら、銀筋草が生えていた場所へ向かう。

 そして、土から出ていた細い根を見つけると、夢中で食べ始めた。

「腹が減っているだけじゃないのか?」

「それなら、葉も食べるはずです」

 鎧穴熊は、葉には見向きもしない。

 土を掘り、銀筋草の根だけを探している。

 僕は源蔵さんが作ってくれた籠を、ゆっくりと下ろした。

「何をしておる!」

「確かめたいことがあります」

「今やることか?」

「今だからです」

 僕は籠の中から、両親の植物図鑑を取り出した。

 ページを急いでめくる。


 銀筋草。

 葉には細い銀色の筋があり、魔力をわずかに蓄える。

 茎や葉は乾燥させ、傷薬の材料として使われる。

 何度も読んだページだ。

 けれど、下の方に書かれた小さな文字まで、普段はあまり確認していなかった。


『根は苦みが強く、商品価値は低い』

『紫痺花の毒を弱める効果がある』


「‥‥‥毒?」

 僕は鎧穴熊の体を見た。

 黒い毛の一部に、紫色の粉が付いている。


 花粉だ。

 図鑑をさらにめくる。

 紫痺花。

 濃紫色の花を咲かせる毒草。

 大量の花粉を吸い込むと、手足のしびれや呼吸の乱れを引き起こす。

 第3探索区の湿った場所に群生する。


「紫痺花の毒です」

「何?」

「鎧穴熊は毒を吸い込んでいます。だから、解毒のために銀筋草の根を食べているんですよ」

「魔獣が、薬草の使い方を知っているのか?」

「動物だって、お腹の調子が悪いときに草を食べることがあります。たぶん、この魔獣も同じです」

 鎧穴熊が、再び土を掘った。

 けれど、銀筋草はすでに食べ尽くしている。

 爪を動かす力も弱くなり、前足が何度も地面を滑った。


「グルルル‥‥‥」


 唸り声が、さっきより近くなった。

 鎧穴熊が顔を上げ、僕の籠を見た。


 籠の中には、別の場所で採った銀筋草が入っている。

 匂いに気づいたのだ。

 鎧穴熊が、こちらへ1歩近づいた。


「下がれ、坊主!」

 源蔵さんが僕の前へ立ち、短剣を向ける。

 鎧穴熊が低く身をかがめた。

 今にも飛びかかってきそうだ。

「源蔵さん。その短剣を貸してください」

「これで戦うつもりか?」

「僕に短剣が使えないことは、知っていますよね?」

「なら、何に使う?」

「根を切ります」

 僕は籠から銀筋草を3本取り出した。

 普段は葉や茎だけを買い取ってもらうけれど、植え替えのために根ごと採ったものが何本か入っている。

 源蔵さんから短剣を受け取り、根を切り分けた。

 そのままでは硬くて食べにくい。

「源蔵さん、これを潰してください」

「わしが?」

「早く!」

 源蔵さんは採取鍬の平らな部分を使い、銀筋草の根を叩いた。

 何度も叩くと、硬い根が細かく潰れていく。

 僕は、その中へ乾燥させた苦根草を少し混ぜた。

 苦根草には、体内へ入った毒を外へ出しやすくする効果がある。

 ただし、量を間違えると激しい腹痛を起こすんだ。

 鎧穴熊の大きさを見ながら、少なめに混ぜた。


「本当に食うのか?」

「分かりません」

「分からんのか!」

「でも、このままでも襲われますし‥‥‥」

 僕は潰した根を防水布へ載せ、鎧穴熊の前へ投げた。

 布が地面へ落ちる。

 鎧穴熊が鼻を動かした。

 僕たちと、銀筋草の根を交互に見る。


「来るぞ」


 源蔵さんが僕の肩をつかみ、後ろへ引いた。

 けれど、鎧穴熊は僕たちへ飛びかからなかった。

 防水布へ近づき、潰した根の匂いを嗅ぐと、一気に食べ始めた。


「食ったぞ‥‥‥」

「まだ、油断しないでください」

 鎧穴熊は根をすべて食べ終えると、その場へ伏せた。

 荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。

 口から垂れていた泡も減ってきた。しばらくして、震えていた右前足が動いた。

 鎧穴熊が、ゆっくりと立ち上がる。


「効いたみたいです」

「助かったのか?」

「毒を弱めただけです。完全に抜けるまでは時間がかかると思いますよ」

 鎧穴熊が、僕たちを見た。

 源蔵さんが再び短剣を構える。

 だけど、鎧穴熊は襲ってこなかった。

 小さく鼻を鳴らし、僕たちへ背を向ける。

 そのまま、足を引きずりながらダンジョンの奥へ歩いていった。

 姿が暗闇へ消えた直後、頭の中に、声が響いた。


 《鎧穴熊の治療を補助しました》

 《経験値を0.50獲得しました》


「0.5‥‥‥」


 植物を50本採ったときと同じ経験値だ。

 驚いていると、隣で源蔵さんも目を見開いていた。

「わしにも聞こえたぞ」

「なんて聞こえました?」

「薬草の調合を補助しました。経験値を0.1獲得しました、とな」

 源蔵さんは、自分が潰した銀筋草の残りを見た。

「草を採る以外でも、経験値が入るんだな」

「道具を直したときも、入りましたしね」

「今度は魔獣を助けて‥‥‥か」

「倒さなくても、経験値はもらえるんですね」

 源蔵さんが短剣を鞘へ戻した。

 結局、今日も魔獣を斬ることはなかった。

 だけど、その顔は少しだけうれしそうだった。


「源蔵さん」

「今度はなんだ?」

「さっき、怖くなかったんですか?」

「怖いに決まっておるだろう‥‥‥わしが10人分の強さがあるのだろう?」

「手も震えていましたしね」

「見ていたのか?」

「目の前にいましたから」

「震えていたんじゃない。いつでも動けるよう、体をほぐしていたんだ」

「あれは、どう見ても震えていました」

「年寄りの武者震いだ」

「腰まで震えていましたよ」

「しつこいぞ!」

 僕は少し笑った。

 牙鼠に追われていた源蔵さんは、今度は僕を守るために魔獣の前へ立ってくれたんだ。

 鎧穴熊には勝てない。

 戦えば、おそらく一撃で倒されていた。

 それでも、逃げなかった。

 そのことが、経験値の数字よりもうれしかった。

 僕たちは、鎧穴熊が落とした黒い毛と、紫色の花粉が付いた毛を拾った。

 植物は1本も採っていない。

 今日の収入は0円だ。

 それでも、この異変を受付へ知らせなければならなかった。

 高尾山ダンジョンの出口へ戻ると、いつもの受付のお姉さんが僕たちを見つけた。

「ずいぶん早いお帰りですね」

「第一採取区で、鎧穴熊に会いました」

 お姉さんの表情が変わった。

「鎧穴熊ですか?」

「はい」

「見間違いではありませんか?」

「黒い毛に覆われ、前足に長い爪がありました。銀筋草の根を掘って食べていました」

 僕は拾った毛を差し出した。

 お姉さんは素手で触らず、カウンターの下から小さな金属製の箱を取り出した。

 毛を箱へ入れ、蓋を閉める。

「鎧穴熊は、第3探索区に生息する魔獣です。第一採取区まで上がってくることは、ほとんどありません」

「毒を受けていたみたいです。紫痺花の花粉が付いていました」

「襲われませんでしたか?」

「銀筋草と苦根草を食べさせたら、奥へ戻っていきました」

「食べさせた?」

 お姉さんが目を丸くした。

 源蔵さんが、なぜか得意そうに胸を張る。

「坊主が魔獣の毒を見抜いたんだ。わしは最初から、草を食わせればいいと思っていたがな」

「短剣を構えて震えていましたよね?」

「余計なことを言うな!」

 お姉さんは僕たちを交互に見たあと、奥にいた職員を呼んだ。

 鎧穴熊の毛は、すぐに調査室へ運ばれていった。

「確認が終わるまで、第一採取区へ戻らないでくださいね」

「ほかの採取者は?」

「一時的に退避させます。鎧穴熊であれば、初心者探索者では対処できませんから」


 警報が鳴った。


 ダンジョンへ入ろうとしていた人たちが止められ、中にいる探索者へ退避命令が出される。

 僕たちは、受付近くの待合所で調査結果を待つことになった。

 しばらくして、制服の上から防具を着けた職員が戻ってきた。

 手には、僕たちが渡した黒い毛を入れた箱を持っている。

「鎧穴熊の毛で間違いありませんでした」

 お姉さんの顔が険しくなった。

「第一採取区へ上がった原因は、紫痺花の毒ですか?」

「それだけではありません」

 職員は、記録用の端末を操作した。

 画面には、鎧穴熊の後ろ姿が映っていた。

 僕たちが気づかなかった背中に、深い傷がある。

 硬い毛と皮膚が切り裂かれ、黒い血が固まっていた。


「これは‥‥‥」

「紫痺花の群生地へ入り込んだのは、何かから逃げたためだと思われます」

「何かって、なんだ?」

 源蔵さんが尋ねた。

 職員は首を振った。

「分かりません。しかし、この傷を鎧穴熊につけられる魔獣は、第3探索区にも多くありません」

 鎧穴熊は、僕たちを襲うために第一採取区へ来たわけじゃなかった。

 毒を受け、傷を負い、それでも生きるために上へ逃げてきたんだ。

 では、何から逃げてきたのか?

 その答えは、まだ分からないけど‥‥‥

 鎧穴熊を追い払った何かが、今もダンジョンの中にいる。


 そして、その何かは少しずつ、僕たちのいる第一採取区へ近づいていた。


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