1-9 今日の収入は0円
翌朝。
僕と源蔵さんは、いつもと同じ時間に高尾山ダンジョンへ向かった。
昨日の鎧穴熊の件もある。
第一採取区に入れるかどうかは分からなかったけれど、調査が終わっている可能性もあった。
もし入れるなら、昨日採れなかった分まで植物を採らなければならない。
昨日の収入は0円だったからだ。
だけど、ダンジョンの入口へ着いた瞬間、僕たちは足を止めた。
入口の前には、黄色と黒の規制柵が並べられており、大きな赤い文字で立入禁止と表示されていた。
『高尾山ダンジョン・緊急閉鎖』
『安全確認が終了するまで、すべての探索者および採取者の入場を禁止します』
入口の周囲には、大勢の探索者が集まっていた。
「全部閉鎖って、どういうことだよ!」
「せめて第一採取区だけでも開けろ!」
「今日の稼ぎはどうなるんだよ!」
職員へ詰め寄る人もいた。
けれど、入口を守る警備員は誰も中へ通さなかった。
僕は、人混みの後ろから規制柵を見つめた。
やっぱり、入れない。
「小森君」
昨日の受付のお姉さんが、僕たちに気づいて近づいてきた。
「おはようございます」
「おはようございます。わざわざ来てくれたところ申し訳ありませんが、今日から高尾山ダンジョンは全面閉鎖です」
「第一採取区もですか?」
「はい。鎧穴熊が上層へ移動した原因が、まだ判明していませんから」
源蔵さんが腕を組んだ。
「いつまで閉めるんだ?」
「現時点では、最低でも3日間です。調査の結果によっては、さらに延びる可能性もあります」
「3日か‥‥‥」
源蔵さんは、たいしたことではないように言った。
「3日くらいなら、なんとかなるだろう」
受付のお姉さんが、少し困った顔をする。
「閉鎖中に別のダンジョンを利用する場合は、受付で紹介状を発行します。ただし、移動費や現地での宿泊費は自己負担です」
周囲にいた探索者たちは、次々に紹介状を受け取っていた。
戦える探索者なら、山梨や長野のダンジョンへ移動できる。
高ランク探索者なら、数日分の交通費や宿泊費くらい持っているはずだ。
だけど、僕たちは違う‥‥‥
ほかのダンジョンに生えている植物の種類を知らない。
この図鑑に書かれているのは、高尾山ダンジョンで見つけた植物だけだ。
それ以前に、移動するためのお金がなかった。
「僕たちは、再開するまで待ちます」
「そうですか」‥‥‥
お姉さんは僕と源蔵さんを見た。
「生活に困る場合は、探索者生活相談窓口を利用してください。ただ、今は閉鎖の影響で混み合っています。支援金が支給されるまで、10日ほどかかると思います」
「10日‥‥‥」
ダンジョンが閉鎖されるのは、最低でも3日はかかる。生活支援金が出るのは、およそ10日後だった。
今日食べるものにも困っている人間にとって、10日はあまりにも長い。
お姉さんに礼を言い、僕たちは入口を離れた。
今日の収入は、0円。
昨日も0円。
明日も、おそらく0円だ。
「仕方ない。今日は道具の手入れでもするか」
源蔵さんが歩きながら言った。
「籠の金具も、少し調整したかったところだ」
「そうですね」
「とりあえず3日くらいなら、手持ちの金でどうにかなる」
「そうですね」
「閉鎖が延びたら、そのとき考えればいい」
「そうですね」
源蔵さんが足を止めた。
「お前、さっきからそれしか言っておらんぞ」
「ほかに言うことがないので」
「財布を見せろ」
「嫌です」
「なぜだ?」
「財布の中身を人に見せるものじゃありません」
「いいから見せろ」
「嫌です」
僕は財布を入れている上着のポケットを押さえた。
源蔵さんの目が細くなる。
「坊主」
「なんですか?」
「今、いくら持っている?」
「少しです」
「少しとは、いくらだ?」
「3日くらいなら、なんとかなります」
「わしの言葉をそのまま使うな」
源蔵さんが手を差し出した。
僕が財布を渡さずにいると、その手がさらに近づいてくる。
「嫌です」
「見せろ」
「嫌です」
「なら、口で言え」
「‥‥‥430円です」
「なんだと?」
源蔵さんの手が止まった。
「聞こえませんでしたか?」
「聞こえた。聞こえたから驚いておる!」
周りの探索者たちが僕たちを見た。
源蔵さんは僕の腕をつかみ、人の少ない場所まで連れていった。
「430円しかないのか?」
「しか、ではありません。430円もあります」
「パンが2個しか買えんだろう!」
「1番安いパンなら2個買って、70円残ります」
「そういう話をしておるんじゃない!」
「大きな声を出さないでくださいよ」
「お前が、わしに大声を出させておるんだ!」
源蔵さんは頭を抱えた。
「両親が残した貯金は、どうした?」
「生活費に使いました」
僕が1人で暮らすようになってから、もう3年になるし、両親が残してくれた貯金は、それほど多くなかった。
家賃。
食費。
服や生活用品。
採取道具。
ダンジョンへ入るための登録料。
少しずつ減り、今ではほとんど残っていない‥‥‥
「雨の日や怪我をした日のために、少しは貯めていたんです。でも、去年、熱を出して何日もダンジョンへ入れなかったので、あと貯めてたお金はこの間、家賃を払ったから‥‥‥」
「それで残りが430円か?」
「今日、植物を採れれば増える予定でした」
「ダンジョンは閉鎖されたぞ」
「知っています」
「なら、どうするつもりだ?」
「食べる量を減らします」
源蔵さんが、何も言わなくなった。
怒るかと思ったけれど、怒鳴らなかった。
その代わり、僕の腕をつかんだ。
「来い」
「どこへ行くんですか?」
「お前の家だ」
「どうして?」
「確認する」
「何をですか?」
「全部だ」
源蔵さんは僕の腕を離さず、そのまま歩き始めた。
僕が暮らしているのは、高尾山ダンジョンから歩いて30分ほどの場所にある、探索者遺児用の簡易宿舎だ。
もともとは企業の社員寮だった建物を、両親を亡くした探索者の子どもたちへ貸し出している。
昔は食堂や管理人もいたらしい。
でも、今は支援予算が減り、食堂は閉鎖されていた。
管理人が来るのも、週に2回だけ。
10歳以上なら、講習を受けることで1人部屋を使える。
部屋と言っても、広くはない。
小さな台所と、トイレと、古い浴室。
寝る場所を含めても、源蔵さんの暮らす教室の半分もなかった。
「ここです」
僕が扉を開けると、源蔵さんは無言で中へ入った。
部屋の中を見回す。
床に敷いた薄い布団。
壁際に置いた小さな机。
採取道具。
数枚の服。
小さな鍋が1つ。
窓際には、お父さんとお母さんの写真を置いている。
その横にあるのは、植物図鑑だ。
「冷蔵庫を開けるぞ」
「勝手に開けないでくださいよ」
「開けられて困るものがあるのか?」
「ありませんけど‥‥‥」
源蔵さんが、小さな冷蔵庫を開けた。
中に入っているのは、水を入れた容器。
売店で買ったパンの残り。
それから、少ししなびた食用草が3本。
源蔵さんが、ゆっくりと冷蔵庫の扉を閉めた。
「肉は?」
「ある訳ないじゃないですか!そんなもの‥‥‥」
「卵は?」
「この前、源蔵さんと食べました」
「野菜は?」
「その草です」
「これだけか?」
「塩を入れて煮れば、スープになります」
源蔵さんは台所の棚も確認した。
塩。
少し残った乾燥麺。
それだけだった。
「お前、普段は何を食っている?」
「パンとか、安い保存食です」
「1日に何回だ?」
「日によりますけど‥‥‥」
「何回だ?」
「朝と夜です」
本当は、稼ぎが少ない日は1回だけのこともある。
でも、それを言ったら、また怒られそうだった。
源蔵さんは、僕の顔をじっと見た。
「嘘をついておるな」
「ついていませんよ」
「お前は嘘をつくと、図鑑を見る」
言われてから、自分が植物図鑑へ顔を向けていたことに気づいた。
そんな癖があるなんて、僕自身も知らなかった。
「最後に肉を食べたのは、いつだ?」
「この前、売店のパンに少し入っていました」
「あれは肉とは言わん。肉に似た何かだ」
「おいしかったですよ」
「そういう問題ではない!」
結局、源蔵さんは怒鳴った。
狭い部屋の壁が、少し震えたような気がした。
「13歳の子どもが、なんで1人でこんな暮らしをしておる!」
「生活できています」
「できておらん!」
「誰にも迷惑をかけていません」
僕がそう言うと、源蔵さんの動きが止まった。
「自分のお金で家賃を払っています。食べるものも自分で買っています。だから、誰にも迷惑をかけていません」
「‥‥‥樹」
「なんですか?」
「子どもは、少しくらい人に迷惑をかけてもいいんだ」
「どうしてですか?」
「どうしてって‥‥‥」
源蔵さんは口を開いたまま、困った顔をした。
きっと、うまく説明する言葉が見つからなかったんだと思う。
しばらくして、僕の頭へ手を置いた。
大きくて、硬い手だった。
「助けてほしいときに、助けてくれと言ってもいいんだ‥‥‥」
「でも、助けてもらったら返さないといけません」
「返さなくてもいいものもある」
「そんなもの、あるんですか?」
「ある。わしが決めた!」
ずいぶん勝手な話だった。
源蔵さんは、僕の布団を持ち上げた。
「何をしているんですか?」
「持っていく」
「どこへ?」
「わしのところだ」
「共同住宅へ?」
「そうだ」
「高齢者しか住めないんじゃないですか?」
「高齢者を中心に受け入れているだけだ。部屋なら余っておる」
「僕は入居者ではありません」
「今日は、客だ」
「勝手に泊めていいんですか?」
「管理人には、わしから話す」
源蔵さんは布団を丸め始めた。
「待ってください。僕は行くなんて言っていませんよ」
「閉鎖が終わるまでだ」
「3日間ですよね?」
「今のところはな」
「食費もかかりますし」
「2人分を別々に作るより、一緒に作った方が安い」
「迷惑になりますし‥‥‥」
「ならん」
「なります」
「わしは今まで1人分の飯を作ろうとして、いつも2人分くらい作っておった」
「料理が下手なだけじゃないですか?」
「そこは今、関係ない!」
源蔵さんは僕の服を、小さな袋へ入れた。
残った乾燥麺も入れる。
食用草も入れる。
塩まで持っていこうとしたので、それは止めた。
「泥棒みたいです」
「お前の荷物だ!」
「僕の部屋から、勝手に運び出しています」
「本人がいるんだから、泥棒ではない」
「本人は許可していません」
「うるさい。手を動かせ」
僕は止めようとした。
だけど源蔵さんは、本気だった。
最終的に、僕の荷物は大きな箱1つに収まった。
服。
採取道具。
鍋。
両親の写真。
植物図鑑。
必要なものをすべて入れても、箱には少し余裕があった。
源蔵さんが、その箱を見下ろした。
「荷物は、これだけか?」
「はい」
「13年生きて、荷物が箱1つか」
「必要なものは入っています」
源蔵さんは何も言わず、箱を持ち上げた。
「布団は僕が持ちます」
「お前は図鑑を持て」
「箱くらい持てます」
「いいから、図鑑を持て」
僕は仕方なく、植物図鑑だけを胸へ抱えた。
宿舎を出る前に、両親の写真を確認する。
2人とも、籠いっぱいの植物を抱えて笑っている。
「行ってきます」
写真へ向かって、小さく言った。
閉鎖が終われば戻ってくる。
たった3日間だけだ。
その時は、そう思っていた。
源蔵さんの共同住宅は、閉校した小学校を改装した建物だ。
昔の教室が、それぞれの部屋になっている。
住んでいるのは高齢者が中心だけれど、空いている部屋はまだ多い。
僕たちが玄関へ入ると、受付に座っていた女性の管理人が源蔵さんの持つ箱を見た。
それから、僕の顔を見る。
「高倉さん。その荷物はどうしたんですか?」
「今日から、この坊主を泊めたい」
「今日から?」
「ダンジョンが閉鎖された。こいつを1人にしておけん」
管理人は、僕と源蔵さんを交互に見た。
「ご親族ですか?」
源蔵さんが、一瞬だけ黙った。
「親族ではない」
「では、どういうご関係ですか?」
「‥‥‥孫みたいなもんだ」
その言葉を聞いたとき、胸の奥が少しだけ変な感じになった。
僕には、もう家族はいない。
源蔵さんとも、血はつながっていない。
出会ってから、それほど長い時間がたったわけでもない。
それなのに、源蔵さんは僕を孫みたいだと言った。
「本当のお孫さんではないんですね?」
「ああ‥‥‥でも、わしには子どもがおらんから、本当の孫もおらん」
「でしたら、通常は宿泊できません」
「部屋なら余っておるだろう」
「規則の問題です」
「今日から樹は、わしの孫になるからいいんだ」
「高倉さんだけで決められることではありません」
源蔵さんは、箱を床へ置いた。
そして管理人へ、深く頭を下げた。
「頼む」
さっきまでの勢いが嘘のようだった。
「この子は、3年間も1人で暮らしておった。冷蔵庫には水とパンしかない。それでも誰にも迷惑をかけていないと言うんだ」
管理人が、僕を見た。
「こいつをわしの近くへ置いてやってくれ。頼む!」
「高倉さん‥‥‥」
「親族ではない。だが、腹を空かせた子どもを放っておけるほど、他人でもないんだよ」
管理人は、しばらく黙っていた。
やがて、受付の奥から書類を取り出した。
「緊急時の一時滞在制度を利用します」
源蔵さんが、顔を上げる。
「その先は?」
「正式な同居を希望する場合は、遺児宿舎の担当者と行政へ確認が必要です。小森君本人の意思も聞きます」
「分かった」
「それから、高倉さん」
「なんだ?」
「勝手に荷物を全部運んでくる前に、先に相談してくださいよ」
「時間がなかったんだよ」
「ダンジョンが閉鎖されたのは、今朝ですよね?」
「十分、緊急だ」
管理人は大きなため息をついた。
僕は、今日から共同住宅へ泊まることになったんだ。
源蔵さんの隣には、使われていない教室がある。
机や椅子は片づけられ、古いベッドと小さな棚が置かれていた。
窓は大きく、僕の部屋よりずっと明るい。
源蔵さんが、持ってきた箱を床へ置いた。
「今日から、ここがお前の部屋だぞ」
「3日間だけですよね?」
「今のところはな」
「閉鎖が終わったら戻りますから‥‥‥」
「その話は、閉鎖が終わってからだ」
「戻りますからね」
「分かった、分かった」
分かっていない返事だった。
そのとき、廊下の奥からいい匂いが漂ってきた。
肉と野菜を煮込んだような、温かい匂い。
僕のお腹が、大きな音を立てた。
ぐうぅぅぅーーー。
源蔵さんが、僕を見る。
「腹が減ったか?」
「これは‥‥‥屁」
「ぷぷっ‥‥‥」
「返事をしただけです」
「誰にだ?」
「‥‥‥」
「腹が減ったということだろ」
廊下から、白いエプロンを着けたおばあさんが顔を出した。
「源蔵。いつまで廊下で騒いでいるんだい?」
「芳江さん。ちょうどいいところへ来た」
「嫌な予感しかしないね」
源蔵さんは僕の肩へ手を置いた。
「今日から、こいつの飯も頼む」
「「勝手に決めないでください!」」
僕とおばあさんの声が、きれいに重なった。
こうして僕は、閉鎖が終わるまでの3日間だけ、源蔵さんの隣で暮らすことになった。
そのときの僕は、本当に3日で元の部屋へ戻るつもりだったんだ。




