2-1 家族ではないけれど‥‥‥
「今日から、こいつの飯も頼む」
「「勝手に決めないでください!」」
僕と、白いエプロンを着けたおばあさんの声が重なった。おばあさんは僕を見て、それから源蔵さんをにらんだ。
「源蔵。あんたは、また何を勝手に決めたんだい?」
「別に勝手ではない。管理人の許可はもらった」
「もらったのは宿泊の許可だろう。食事を作るのは私だよ」
「1人分くらい増えても同じだろう」
「作らない人間は、すぐそう言うんだ」
「金なら払う」
「この子から取る気かい?」
「わしが払うから、いいだろう」
源蔵さんが胸を張った。だけど、その胸が途中で少しだけ縮んだ。
「‥‥‥払える範囲で」
「急に声が小さくなったね」
おばあさんはため息をついた。
それから、僕へ視線を戻す。
「名前は?」
「小森樹です。13歳です」
「ずいぶん小さいね。10歳くらいかと思ったよ」
「13歳です」
「そうかい。悪かったね」
謝ってくれたけれど、おばあさんの目はまだ疑っている。たぶん、本当に13歳なのか考えているんだと思う。
「私は飯田芳江。72歳。ここでは、みんなの食事を作っているよ」
「よろしくお願いします」
「この子は、源蔵よりずっと礼儀正しいじゃないか」
「わしが教えた」
「今日会ったばかりなのに?」
「今日ではない!」
芳江さんは源蔵さんの言葉を無視して、僕の持ってきた箱をのぞき込んだ。
中には服や鍋、採取道具が入っている。一番上には、宿舎の冷蔵庫から持ってきた食用草を置いていた。
「これは何だい?」
芳江さんが、少ししなびた葉を持ち上げる。
「青腹草です。食べられます」
「ただの草じゃないか」
「草‥‥‥です」
「本当に食べられるのかい?」
「少し苦いですけど、毒はありませんし、塩を入れて煮れば食べられます。それにその辺に生えていますし‥‥‥」
「それを普段から食べていたのかい?」
「お金がないときだけですけど‥‥‥」
芳江さんの眉が上がった。
源蔵さんは、腕を組んで大きくうなずく。
「聞いたか?こいつの冷蔵庫には、水とパンと、その草しかなかったんだ」
「源蔵さん。言わなくていいです」
「こういうことは、言った方がいいんだ」
「どうして?」
「わし1人では、お前に何を食わせればいいのか分からんしな‥‥‥」
「子どもも大人も、食べるものは同じですよ」
「量が違うだろう」
「僕は、それほど食べなくても大丈夫です」
そのとき、僕のお腹が鳴った。
ぐうぅぅぅーーー。
芳江さんが僕を見る。
源蔵さんも見る。
「これは‥‥‥違います」
「さっきも同じことを言っておったな」
「お腹が返事をしただけです」
「何に返事をしたんだい?」
芳江さんが聞いた。
「それほど食べない、という話に‥‥‥」
「否定しているじゃないか」
どうやら、僕のお腹は僕の味方ではないらしい。
芳江さんは青腹草の葉を裏返し、匂いを嗅いだ。
「少し苦いと言ったね?」
「はい。茎に近いところほど苦くなります」
「火を通しすぎたら?」
「もっと苦くなります」
「なら、最後に入れればいいか」
「何をするんですか?」
「これを食べるんだろう?」
芳江さんは青腹草を持ったまま、廊下の奥へ戻っていった。
僕と源蔵さんも、そのあとを追った。かつて家庭科室だった部屋は、共同住宅の台所に作り替えられていた。
大きな調理台。
いくつも並んだ鍋。
古いけれど、きれいに磨かれた包丁。
棚には、住人たちが持ち寄った調味料が並んでいた。
「芳江さんは、昔、食堂をやっていたんだ」
源蔵さんが小声で教えてくれた。
「料理人なんですか?」
「昔の話だよ」
芳江さんは、こちらを見ないまま答えた。
「夫と2人で小さな食堂をやっていたんだ。ダンジョンができてから客が減って、夫が死んだあとに店を閉めた。それだけさ」
芳江さんは、僕が持ってきた青腹草を水で洗った。
しなびていた葉が、少しだけ元気を取り戻す。
鍋の中には、野菜と小さく切った肉が煮込まれていた。売り物にならない形の野菜や、安い切り落とし肉を使っているらしい。
芳江さんは青腹草の硬い茎を切り落とし、葉の部分だけを細く刻んだ。鍋の火を止める直前に入れ、軽く混ぜる。それから、少し味見をした。
「確かに苦いね」
「だから言ったじゃないですか」
「でも、嫌な苦みじゃないよ」
芳江さんは、棚から白い粉の入った瓶を取り出した。
ほんの少しだけ鍋へ入れる。
「何を入れたんですか?」
「粉乳だよ。少し入れると味が丸くなる」
もう一度、味見をした芳江さんが、満足そうにうなずいた。
「これなら食べられるよ。苦い春菊みたいな味だね」
大きな机を囲み、共同住宅の人たちが夕食を食べ始めた。
僕の前にも、湯気の立つスープが置かれる。
野菜、肉そして青腹草。
いつも僕が作る塩味の草スープとは、見た目も匂いもまったく違った。
「食べていいんですか?」
「そのために出したんだよ」
「でも、お金が‥‥‥」
「今日は試食だ。気になるなら、あんたが持ってきた草が材料費ということにしておくよ」
青腹草の買い取り価格は、1本5円。
3本で15円だった‥‥‥
このスープの材料費には、どう考えても足りない。
それでも芳江さんは、僕が食べ始めるまで腕を組んだまま待っていた。
僕はスプーンでスープをすくい、口へ運んだ。
‥‥‥温かい。
青腹草の苦みは少し残っている。
だけど肉のうま味と粉乳の甘みが混ざり、嫌な苦さではなかった。
柔らかく煮えた野菜も、しっかり味が染みている。
「おいしい‥‥‥」
思わず、声が出た。
芳江さんの口元が、少しだけ緩む。
「そうかい」
「青腹草が、こんな味になるなんて知りませんでした」
「食べられると、おいしいは別だからね」
僕は、もう一口食べた。
それから、もう一口。
温かいものがお腹へ入っていく。
冷たくなったパンや保存食では感じたことのない熱が、体の内側へ少しずつ広がっていった。
源蔵さんが、僕の食べる様子を見ている。
「源蔵さんも食べないんですか?」
「食っておる」
「さっきから全然減っていませんよ」
「年寄りは、ゆっくり食うんだよ」
「僕を見ていたでしょう?」
「見ておらん。お前の後ろの壁を見ていたんだ」
「何もありませんよ?」
「壁の具合を見ておったんだ」
「食事中に?」
「修理が必要かもしれんからな!」
意味の分からない言い訳だった。
僕が半分ほど食べたとき。
芳江さんが、急に持っていたスプーンを止めた。
「‥‥‥なんだい、今のは?」
「どうしました?」
「頭の中に声が聞こえたんだ」
源蔵さんと僕は顔を見合わせた。
「経験値の声ですか?」
「経験値?」
「なんて聞こえました?」
芳江さんは戸惑いながら、聞こえた言葉を口にする。
「青腹草を調理しました。経験値を0.03獲得しました‥‥‥だとさ」
僕は、スープの中の青腹草を見た。
「ダンジョンで採れた植物を料理したからだと思います」
「料理でも経験値が入るのかい?」
「道具を直したときにも入った」
源蔵さんが、なぜか自慢げに言う。
「わしは採取鍬を直して0.05。採取籠を作って0.10だ」
「私の料理より多いじゃないか」
「経験の差だな」
「食べられない籠を作っただけだろう」
「籠は食うものではない!」
「なら、料理と比べるんじゃないよ」
2人が言い争っている間に、僕は残りのスープを食べた。
気づけば、器の中は空になっていた。
こんなにきれいに食べたのは、久しぶりかもしれない。
「おかわりは?」
芳江さんが聞く。
「お金がかかりますか?」
「かからないよ」
「なら、少しだけ」
「少しじゃ分からないね。半分かい?」
「‥‥‥いっぱい」
芳江さんは笑いながら、僕の器へ最初より多くスープを入れた。
その日の夜。
僕は、源蔵さんの隣の部屋で眠ることになった。古いベッドに、宿舎から持ってきた薄い布団を敷く。
窓が大きいせいか、部屋の中は少し寒かった。
僕は植物図鑑を枕元へ置き、明かりを消した。
目を閉じる。
だけど、なかなか眠れなかった。知らない部屋だからではない。
廊下から、人の声が聞こえるからだ。
誰かの笑い声。
食器を片づける音。
少し離れた場所では、源蔵さんが管理人に叱られている様子だった。
「だから、勝手に子どもの荷物を運ばないでください!」
「本人も一緒だった!」
「本人が嫌がっていたじゃありませんか!」
「最終的には来ただろう?」
「高倉さんが無理やり連れてきたんでしょう!」
ちょっと、うるさい‥‥‥
だけど、不思議と嫌ではなかった。
宿舎の部屋では、夜になるとほとんど何も聞こえなかった。
自分の呼吸と、古い冷蔵庫の音だけ。
ここでは、壁の向こうに誰かがいる。
もし夜中に具合が悪くなっても、声を出せば誰かが気づいてくれる。
そんなことを考えたのは、初めてだった。
翌朝。
僕は、廊下を歩く足音で目を覚ました。扉を開けると、源蔵さんが立っていた。
手には、新しい歯ブラシと茶碗、それから毛布を持っている。
「なんですか、それ?」
「お前のだ」
「僕の歯ブラシは、箱の中にあります」
「毛先が全部開いていただろう?」
「まだ使えますし‥‥‥」
「使えることと、替えなくていいことは違う」
採取鍬を直したときと、同じ言い方だった。
「茶碗も必要ありません。共同住宅のものを借りればいいです」
「自分のものがあった方がいい」
「毛布もあります」
「薄すぎる。これじゃ寒い」
「こんなに買ったら、お金がなくなりますよ」
「昨日、修理の仕事を頼めないか、管理人に聞いた。壊れた椅子が山ほどあるらしい」
「でも‥‥‥」
「家族が増えたら、必要なものも増える。そんなことも知らんのか?」
源蔵さんは、言ってから動きを止めた。
僕も止まった。
家族‥‥‥
源蔵さんが、僕を見ないように顔をそらす。
「いや、その……言葉のあやだ」
「僕たちは、家族じゃありませんよ」
「分かっておる」
「血もつながっていません」
「分かっておると言っているだろう」
源蔵さんは、僕へ毛布を押しつけた。
「とにかく使え。寒くて風邪を引かれたら、わしが困る」
「どうして源蔵さんが困るんですか?」
「草の見分け方を教える人間がいなくなるだろ?」
「図鑑を読めばいいでしょう?」
「字が小さすぎて、見えん‥‥‥」
「老眼鏡を買ってください」
「うるさい!」
源蔵さんは、自分の部屋へ逃げるように戻っていった。
午前10時。
昨日の管理人に呼ばれ、僕たちは元職員室だった部屋へ向かった。中には、管理人のほかに2人の女性が座っていた。
1人は、僕が暮らしていた遺児宿舎の担当者、もう1人は、地域の生活支援員だった。
机の上には、何枚もの書類が置かれている。
「小森君。まず確認します」
生活支援員が、穏やかな声で言った。
「高倉さんと、こちらの共同住宅で暮らすことを希望していますか?」
「とりあえず、閉鎖中の3日間だけですよね?」
「現在は一時滞在ですが、高倉さんから正式な同居の申請が出されています」
僕は隣へ座る源蔵さんを見た。
「いつ申請したんですか?」
「今朝だ」
「僕、何も聞いていませんけど‥‥‥」
「今、聞かれておるだろう」
「申請する前に聞いてください!」
「聞いたら断ると思った」
「勝手すぎます!」
「申請するだけなら、わしの自由だ!」
生活支援員が、咳払いをした。
「お話を続けてもよろしいですか?」
僕と源蔵さんは、同時に口を閉じた。遺児宿舎の担当者が、書類を確認する。
「小森君は、これまで大きな問題を起こしたことはありません。家賃の滞納もなく、部屋もきれいに使っています」
「当然です」
「ただ、食事や健康状態には心配があります。最近は少し痩せましたよね?」
「もともと小さいんです」
「それだけではないでしょう?」
担当者は、僕から源蔵さんへ視線を移した。
「高倉さん。あなたの収入も、決して多くありません」
「これから増やす予定だ」
「子どもを養うには、食費や衣服代が必要です。高倉さん自身も、支援を受けている立場ですし‥‥‥」
「こいつもわしも働いておる」
「13歳の子どもの収入を当てにするんですか?」
「違う!」
源蔵さんが、机を叩きそうになり、途中で手を止めた。
「こいつの金を取り上げるつもりはない。食費は2人で作った方が安くなる。わしは道具を直せる。閉鎖中も仕事を探す」
「もし、小森君が病気になったら?」
「病院へ連れていく」
「高倉さん自身が病気になったら?」
「ここには、ほかの住人がおる。助けてくれる人はいる」
源蔵さんは、まっすぐ生活支援員を見た。
「わし1人で、親の代わりができるとは思っておらん」
その声は、いつもより静かだった。
「わしは子どもを育てたことがない。妻は15年前に死んだ。わしらには、子どもがおらんかった」
初めて聞く話だった。
源蔵さんが結婚していたことも、奥さんを亡くしていたことも‥‥‥
「だから、何を食わせればいいのかも分からん。子どもが何時に寝るのかも、枕は高い方がいいのかも分からん」
「枕は、関係ありません」
「今は黙っておれ」
源蔵さんが僕をにらんだ。
「それでも、飯を食わせて、帰る場所を守るくらいはできる」
そして、少しだけ目を伏せる。
「冷蔵庫に水とパンしかない部屋へ、あの子を1人で帰したくない」
部屋の中が静かになった。
誰もすぐには話さなかった。
生活支援員が、今度は僕を見る。
「小森君。高倉さんは、こう言っています。あなたはどうしたいですか?」
「僕は‥‥‥」
答えようとして、言葉が止まった。宿舎へ戻れば、なんとか今までどおり1人で暮らせる。
誰にも迷惑をかけないし、自分で稼ぎ、自分で食べて、自分で眠る。
それが普通だった。
昨日まで、それ以外の暮らし方を考えたこともなかった。
でも‥‥‥
温かいスープの味を思い出した。
芳江さんの笑い声。
廊下を歩く音。
隣の部屋で、源蔵さんが管理人に怒られていた声。
朝、渡された新しい歯ブラシと茶碗。
どれも、植物採取には必要ないものだ。
なくても生きていける。
だけど、あった方が少しだけうれしい。
「ここに‥‥‥」
声が小さくなった。
「聞こえません」
生活支援員に言われ、僕は息を吸った。
「ここに、いたいです」
源蔵さんが、僕を見た。
「閉鎖が終わるまでじゃなくて?」
管理人が確認する。
「はい」
自分で口にすると、胸の奥が少し苦しくなった。
お父さんとお母さんのいた家を、捨てるような気がしたからだ。でも、両親と暮らした家は、もう残っていない。
あの部屋は、両親が亡くなったあとに借りた場所だった。写真と植物図鑑がある場所が、僕にとっての家だった。
それなら、その2つを持っていけばいい。
「源蔵さんと一緒なら、食費も安くなるので」
恥ずかしくなり、余計な言葉を付け足した。
「そこが理由なのか?」
源蔵さんが不満そうに言う。
「大事なことです」
「ほかには?」
「ありません」
「少しくらい、わしがいるからと言えんのか」
「調子に乗るでしょう?」
「かわいくない孫だな!」
「‥‥‥」
孫‥‥‥
言われて初めて気が付いた。僕はとっても嬉しかったんだ‥‥‥
生活支援員が笑いをこらえながら、書類へ何かを書き込んだ。
「それでは、まず1か月の試験同居とします」
「1か月?」
「小森君は隣の空室を使用します。食事や生活費は共同で管理し、週に1度、私が様子を確認します。問題がなければ、その後に正式な居住手続きを行います」
源蔵さんが、力強くうなずいた。
「分かった」
「高倉さん」
「なんだ?」
「小森君の意思を無視して、勝手に物事を進めたらいけませんよ。今後は二人で話し合って下さいね」
「善処する」
「守ると言ってください」
「‥‥‥できるだけ、守る」
「高倉さん」
「分かった! 守る!」
こうして僕は、とりあえず1か月だけ源蔵さんの隣で暮らすことになった。面談が終わったあと、僕たちは部屋へ戻った。
源蔵さんが、僕の部屋の扉へ小さな板を取りつける。
昨日、壊れた机から外した木を削って作ったらしい。
板には、少し曲がった文字が彫られていた。
『小森 樹』
「表札ですか?」
「部屋を間違えたら困るからな」
「源蔵さんの部屋は、隣ですよ」
「年を取ると間違えることもある」
「まだ68歳ですよね?」
「十分、年寄りだ」
源蔵さんは表札が傾いていないか、何度も確認した。
「これでよし」
僕も、自分の名前が付いた扉を見る。
宿舎の部屋にも番号はあった。でも、名前はなかった。
ここには、僕の名前がある。
「源蔵さん」
「なんだ?」
「1か月だけですからね」
「分かっておる」
「問題があったら、戻ります」
「問題など起きん」
「源蔵さんが勝手なことをしないで、前もって僕にも言ってください」
「‥‥‥わかった」
「これから、よろしくお願いします」
源蔵さんは笑いながら、自分の部屋へ戻っていった。僕は扉を開け、新しい毛布をベッドへ置いた。
棚の上に、お父さんとお母さんの写真を飾る。その隣へ、植物図鑑を置いた。
荷物は、まだ箱1つ分しかない。
それでも、昨日より少しだけ部屋らしくなった気がした。
僕たちは、家族ではない。
血もつながっていない。
源蔵さんは、本当のおじいちゃんではない。
僕も、本当の孫ではない。
だけど‥‥‥
その日の夕方。
廊下の向こうから、源蔵さんの声が聞こえた。
「樹! 飯だぞ!」
僕は少しだけ返事に迷ってから、扉を開けた。
「今、行きます!」
たぶん、家族というものは‥‥‥
最初から家族なのではなく、こうやって少しずつなっていくものなのかもしれない。




