1-4 じぃさんの残金は32円
「わしに、植物の採り方を教えてくれないか?」
源蔵さんは、新品の短剣を持ったまま頭を下げていた。僕は、すぐには返事をしなかった。
植物は、魔獣のように襲ってはこないけど‥‥‥
だからといって、誰にでも簡単に採れるわけではないし、僕が発見したものをホイホイと教えたくはないという意地もあったりした。
薬草とよく似た毒草もあるし、素手で触るとかぶれる葉もあれば、折った茎から毒の汁を出す植物もある。
採る場所を間違えれば、魔獣の巣へ近づいてしまうことだってある。
「植物を採るだけなら簡単だと思っていますか?」
「草を抜くんだろう?」
「やっぱり‥‥‥」
「違うのか?」
「全然違いますよ」
僕はため息をついた。
源蔵さんに植物の採り方を教えるかどうかは、少し考えることにした。
その前に、どうにかしなければならないことがある。
臭いだ‥‥‥
僕たちは売店を出て、探索者用の洗い場へ向かった。
ダンジョンから毒や魔獣の血を持ち出さないように、建物の外には無料で使える洗い場が用意されている。
僕と源蔵さんは、服や防具に水をかけ、籠も短剣も、何度も水で洗う。
けれど、臭走草の臭いはほとんど消えなかった。
「まだ臭うな」
源蔵さんが、自分の袖を嗅いで顔をしかめた。
「水だけでは落ちませんからね」
「どうすれば落ちるんだ?」
「あそこに専用の中和剤が売っていますよ。それを使えば簡単に落とせます」
洗い場の横には、小さな販売機が置かれていた。
《臭走草専用中和剤 1袋500円》
源蔵さんが値段を見た。
次に、僕を見た。
僕は首を横に振った。
「僕の残金は、今60円しかないです」
「‥‥‥わしも無理だ」
「いくら持っているんですか?」
「‥‥‥」
源蔵さんが目をそらした。
「源蔵さん?」
「‥‥‥32円だ」
一瞬、聞き間違いかと思った。
「え、えっと‥‥‥いくらですか?」
「だから、32円だ」
源蔵さんはポケットから財布を取り出した。
中に入っていたのは、10円玉が3枚と、1円玉が2枚。
本当に32円しかなかった。
「どうして、そんなにお金がないんですか?」
「短剣と防具を買ったからだ」
源蔵さんが身に着けている新品の防具を見る。
初心者向けの安いものだけれど、それでも食べ物よりはずっと高い。
「全部、それに使ったんですか?」
「32円は残したぞ」
「それは、残したとは言いません」
源蔵さんは不満そうな顔をした。
「短剣があれば、すぐに魔獣を倒して稼げると思ったんだよ‥‥‥」
「でも、倒せませんでしたよね?」
「それは、もう言わないてくれ‥‥‥」
「牙鼠は、第一採取区で1番弱い魔獣です」
「もう言うなと言っておるだろう!」
周囲にいた探索者たちが、一斉に僕たちを見た。そして臭いに気づき、すぐに離れていった。
僕たちは、中和剤を買うのを諦めた。
臭いまま、洗い場を出る。
駅へ向かう道でも、僕たちの周りだけ人がいなくなった。
高尾山口駅の前には、ちょうどバスが止まっていた。
乗ろうとした源蔵さんの足が止まる。
バスの中にいる乗客たちが、こちらを見ていた。
何人かは、すでに鼻を押さえている。
「歩きますか!」
「そうだな」
僕たちは、バスに乗るのを諦めた。臭いじいさんと、臭い子ども。
2人並んで、人気の少なくなった道を歩くことにした。
しばらくして、源蔵さんが口を開いた。
「そういえば、坊主。名前はなんというのだ?」
受付で名字は聞いていたはずだけれど、下の名前までは知らなかったらしい。
「小森樹です」
「いつき?」
「樹木の樹と書いて、樹と読みます」
「なるほど。草を採るには、ぴったりの名前だな」
「そうですかね?」
「大きな樹のように育ってほしいと、親がつけたのかな?」
少し驚きながら、うなずく。
「そうです」
「だが、ずいぶん小さいな」
「余計なお世話ですよ」
源蔵さんが僕の頭のてっぺんを見た。
「10歳くらいか?」
「13歳です」
「13歳?」
源蔵さんが足を止めた。
「‥‥‥」
「ちゃんと食べておるのか?」
残金32円の人に、食事の心配をされたくはない‥‥‥
「源蔵さんよりは、たぶん食べています」
「わしは今日、水とパンしか口にしておらんぞ」
「‥‥‥」
再び歩き始める。
高尾山から離れるほど、人の姿が少なくなっていった。
閉店したままの土産物屋、看板が外れかけた飲食店。
ひびの入った古い建物。
ダンジョンの周辺には人が集まっているけれど、少し離れるだけで、東京から人が減ったことがよく分かる。
「源蔵さんは、どこに住んでいるんですか?」
「あっちだ」
源蔵さんが指さしたのは、閉鎖された中学校の方向だった。使われなくなった校舎は、今では高齢者向けの共同住宅として利用されているようだ。
教室を薄い壁で区切った、小さな部屋。
家賃と最低限の水道代は、国の生活支援でまかなわれるそうだ。
ただし、食事は付いていない。
「年金は、もらっていないんですか?」
「もらっておる」
「それなのに、32円?」
「今の年金だけで暮らせると思うか?」
ダンジョンが現れてから、多くの人が亡くなっってしまった。住む場所を移す人も増え、働く人の数も減っていった。
それまでの年金制度は維持できなくなり、今ではわずかな生活支援金が支給されるだけになっている。
普通なら‥‥‥
「今月分の支援金を、短剣と防具に使ったんですか?」
「だから、魔獣を倒せば増やせると思ったんだ」
「倒せませんでしたよね?」
「坊主。お前、意外としつこいな」
源蔵さんは68歳。家族は、もういないらしい。
以前は小さな工場で働いていたけれど、東京から会社が移転したときに仕事を失った。
新しい仕事を探しても、年齢を理由に断られた。
貯金も少しずつ減り、とうとう生活支援だけでは食べていけなくなった。
だから、ダンジョンへ来たそうだ。
魔獣を1匹倒せば、その素材が数千円で売れると聞いたからと‥‥‥
「坊主は、どこに住んでおる?」
「もう少し先にある、探索者遺児住宅です」
探索中に両親を亡くした子どもたちが暮らすための建物だった。
家賃はかからない。水道と、最低限の電気も使える。
管理人もいるから、子どもだけで完全に放置されているわけではないが‥‥‥
だけど、食費や衣服、学校で使うものまで、すべて支援されるわけではなかった。
両親が残してくれた貯金も、使い続ければいつかなくなる。
だから僕は、植物を採って生活費を稼いでいた。
「13歳の子どもが、生活費を稼いでいるのか‥‥‥」
「別に珍しくありませんよ」
ダンジョンで親を失った子どもは、僕だけではない。僕より幼い子が、町の店で働いていることもある。
「わしより、よほどしっかりしておるな」
「源蔵さんと比べられても、うれしくありませんけど‥‥‥」
「そうだな‥‥‥」
話しているうちに、道が2つに分かれる場所まで来た。
右へ行けば、源蔵さんが暮らす高齢者共同住宅。
左へ行けば、僕が暮らす探索者遺児住宅。
僕たちは、そこで立ち止まった。
「それで‥‥‥植物の採り方は教えてくれるのか?」
源蔵さんが、不安そうに聞いた。
手にしている新品の短剣は、臭走草のせいで黒く汚れている。
このまま1人でダンジョンへ戻したら、また牙鼠に追われるだろうし、怪我をしてしまうかもしれないな‥‥‥
次は、臭走草を持った僕が近くにいるとは限らない。
「明日の朝、7時」
「‥‥‥え?」
「高尾山ダンジョンの入口へ来てください」
源蔵さんの顔が明るくなった。
「教えてくれるのか?」
「最初は見学だけですよ。勝手に植物へ触ったりしないでくださいね」
「分かった」
「毒草もあるので、絶対に僕より前へ行かないでください」
「分かった」
「遅れたら、置いていきますから‥‥‥」
「子どものくせに厳しいな」
「牙鼠から逃げていた人に言われたくありません」
源蔵さんは口を閉じた。
僕は左の道へ向かって歩き出す。
数歩進んだところで、後ろから声が飛んできた。
「樹!」
初めて、名前で呼ばれた。
振り返ると、源蔵さんが手を上げている。
「パン、うまかった。ありがとうな」
「明日は、水だけじゃなくて何か食べてきてくださいね」
「金がない」
そうだった。
源蔵さんの残金は32円。
僕の残金は60円。
2人合わせても、パン1個買えない。
「‥‥‥明日、植物をたくさん採りましょうね」
「ああ!」
僕たちは、それぞれの家へ向かって歩き出した。
こうして僕は、残金32円のじぃさんに、植物採取を教えることになった。




