3-9 壊れた木箱の持ち主
出口の受付で怪我の確認を終えたあと、僕たちは買い取り所へ向かった。
荷車には29本の銀筋草が載っていた。牙鼠に襲われたときには何本か布から飛び出したものの、葉にも根にも大きな傷は付いていなかった。源蔵さんが荷車で牙鼠の突進を受け止めたおかげだ。
本人は「わしの積み方がよかった」と自慢しているけれど、その積み方を教えたのは僕だ。ただし、今それを指摘すると話が長くなるため、黙っておくことにした。
買い取り所の職員は、銀筋草を1本ずつ台へ並べ、葉の長さや銀色の筋を確認した。葉を光へ透かし、筋の中へ十分な魔力が蓄えられているか調べた。根の一部も切り取り、変色や虫食いがないことを確かめていた。
植物の買い取りには時間がかかる。魔獣の素材なら、種類や大きさによって、おおよその値段が決まっている。それに対して植物は、採った時期や保存状態によって品質が大きく変わる。
同じ場所から採った同じ銀筋草でも、根を切っただけで値段が半分になることがある。僕が採取に時間をかけるのは、経験値のためだけではない。
1本を丁寧に採った方が、雑に3本採るより高く売れることもあるからだ。やがて、職員が査定結果を機械へ入力した。
銀筋草、29本。
すべて上等。
1本30円。
合計870円。
「全部、満額です」
その言葉を聞いた瞬間、肩の力が抜けた。
採っている最中は問題ないと思っていたけれど、牙鼠とぶつかった荷車へ載せてきたのだ。見えない傷が入り、値段が下がることも覚悟していた。
「さすが、わしが運んだだけのことはあるな」
源蔵さんが、横から口を挟んだ。
「採ったのは僕ですけどね」
「運ぶ人間がいなければ、29本も持ち帰れなかっただろうさ」
「僕の籠でも運べます」
「全部入れたら、お前が籠に潰される」
確かに、以前使っていた籠へ29本の銀筋草を入れれば、持ち帰るだけでかなり疲れる。
体力がなくなれば、周囲へ注意を向けられない。
魔獣の気配へ気づくのが遅れたり、足元の石につまずいたりする可能性も高くなるし、荷物を持つ人が増えたことは、採取量以上に安全へつながっているのかもしれない。
「半分くらいは、源蔵さんのおかげです」
僕が認めると、源蔵さんは満足そうにうなずいた。
「分かればよろしい」
「でも、牙鼠を呼んだ原因も源蔵さんです」
「それを付け足す必要があるか?」
「大事な部分です」
僕は870円を受け取り、財布へ入れた。
今日の入場料や消耗品代を引けば、手元に残る金額はもっと少ない。それでも、初めて源蔵さんと出会った日に稼いだ240円と比べれば、大きな収入だった。
何より、今日はパンを半分に割らなくても済む。
そのことをうれしいと思った直後、昔の自分ならパンを1個買って終わりだったことに気づいた。今は共同住宅へ戻れば、芳江さんが夕食を作っている。
870円をすべて、その日の食事へ使う必要はないけど、帰れば食べる物があるのはいいことだ。
当たり前のことのようだけれど、僕にとってはまだ不思議だった。
買い取り所を出たあと、僕たちは荷車に載せてきた壊れた木箱を、遺失物受付へ運んだ。木箱の蓋は外れ、側面の板にも大きな亀裂が入っていた。中には泥で汚れた布が何枚か入っていた。
使える物には、とても見えない‥‥‥
それでも、落ちていたからといって、勝手に持ち帰ることはできない。
受付の職員は、僕が結び付けた場所の札を確認し、木箱の表面へ小さな読み取り器を当てた。ダンジョンへ持ち込まれる道具の多くには、所有者を記録するための登録印が付いている。
高価な道具だけではない。
木箱や採取籠、荷物袋にも、持ち主が希望すれば記録できる。
魔獣から逃げるため、やむを得ず荷物を置いてくる探索者は多い。あとで回収されたとき、誰の物か分かるようにするためだ。
「登録が残っていました」
職員が画面を確認した。
「持ち主へ連絡しますので、こちらで預かりますね」
源蔵さんの肩が、目に見えて下がった。
「捨てた物ではないのか‥‥‥」
「登録されたままですから、今の段階では遺失物です」
「かなり壊れているぞ」
「壊れていても、所有権はなくなりませんからね」
職員は慣れた様子で答えた。ダンジョンへ戻ってきた人の中には、拾った物を自分の物だと言い張る者もいるのだろう。源蔵さん程度の未練なら、珍しくないらしい。
「持ち主がいらないと言ったら、わしらへ回してくれんか?」
「廃棄を希望された場合は、安全確認後に廃棄物置き場へ移されます。そこから正式な手続きをすれば、引き取れる可能性はあります」
「予約はできるか?」
「できません」
源蔵さんは最後まで木箱を振り返りながら、受付を離れた。
「そんなに欲しかったんですか?」
「欲しいわけではない。直したかったんだ」
その違いは、僕にはよく分からなかった。けれど源蔵さんにとっては、使える物が壊れたまま捨てられていることが気になるらしい。
僕が小さな芽を残さずにはいられないように、源蔵さんは壊れた物を見ると放っておけないのかもしれない。
遺失物受付を離れようとした、そのとき。
建物の入り口から、1人の少年が駆け込んできた。年齢は僕より少し上だろう。
革の防具には新しい傷があり、肩から下げた荷物袋も大きく破れていた。少年は荒い息を整えることもせず、受付へ探索者証を差し出した。
「木箱が見つかったと、連絡をもらったんです!」
職員が、先ほど預かった木箱を指さす。少年は箱へ駆け寄り、外れた蓋を持ち上げた。
中から泥だらけの布を1枚ずつ取り出していく。
布には細い紐が縫い付けられ、大きさの違う道具を包めるようになっていた。
ただの汚れた布だと思っていたけれど、応急手当て用の道具を分けて包むためのものらしい。
少年は箱の底まで確認すると、深く息を吐いた。
「よかった‥‥‥」
中身はほとんど残っていないし、薬も包帯も見当たらない。それなのに、少年は泣きそうな顔で壊れた木箱を抱えていた。
「そんなに大事な箱なんですか?」
思わず聞いてしまった。
少年が僕を見た。
「ああ。父さんが使っていた救護箱なんだ」
少年の父親は、探索者だったらしい。魔獣を倒す役目ではなく、怪我をした仲間を治療する救護役だった。3年前に怪我で探索者を辞めたあと、自分が使っていた木箱を息子へ譲ったという。
少年は今日、第一採取区へ入った。
ところが、鼻潜り鼠の群れに囲まれ、逃げる途中で荷物が岩へ引っかかった。救護箱を持ったままでは逃げきれないと判断し、その場へ置いてきたらしい。
正しい判断だったと思う。道具より、自分の命の方が大事だ。それでも、大切な物を置いて逃げたことが、ずっと気になっていたのだろう。
「見つけてくれたのは、君たち?」
「はい。持ち主がいるかもしれないと思って、運んできました」
「ありがとう。本当にありがとう」
少年は何度も頭を下げた。
僕は少し戸惑った。
僕たちは決まりどおり受付へ届けただけだ。それなのに、誰かにこれほど感謝されるとは思わなかった。
源蔵さんは壊れた木箱を見ていた。
欲しそうな目ではなく、どこを直せばいいのか確かめる目に変わっていた。
「その箱、直して使うのか?」
少年が困ったように亀裂へ触れる。
「直したいけど、店へ頼むと新しい箱を買うより高いって言われて……」
「なら、わしが直してやる」
源蔵さんが当然のように言った。
「源蔵さん」
僕は低い声で名前を呼んだ。
「勝手に決めないでください」
「本人が直したいと言っておる」
「まだ頼まれていません」
「今から頼むだろう」
少年は僕と源蔵さんを交互に見た。その顔には、知らない老人へ大切な箱を預けていいのかという不安が、はっきり浮かんでいた。
当然だと思う。
源蔵さんは、見た目だけなら少し気難しそうな老人だ。しかも、牙鼠に噛まれた荷車を引いている。
信用してほしいといっても、難しい。
「僕たちは、ダンジョンから出た廃棄物を直す仕事を始めたばかりなんです」
僕はできるだけ正直に説明した。
「修理した物は検査を受けて、安全だと確認できた場合だけ渡します。直せなかった場合は、料金をもらいません」
「店をやっているの?」
「共同住宅の空き教室を、作業場として借りています」
正式な店と呼べるほど立派ではないが看板も、廃材へ源蔵さんが文字を書いただけだし‥‥‥
それでも、直した荷車と採取籠は検査に合格している。
少年はしばらく迷ったあと、木箱を両手で抱え直した。
「お願いできますか?」
源蔵さんが、うれしそうに僕を見る。ほら頼んだ、と顔に書いてあった。
「まず、状態を確認してからです」
僕は先に釘を刺した。
こうして僕たちは、初めて持ち主から直接、壊れた物の修理を頼まれることになった。




