3-10 思い出に値段を付ける
千代さんが洗浄を終えると、源蔵さんと棟吉さんは木箱の周りへ集まった。2人は亀裂の深さを確かめ、外れた蓋を載せ、金具の位置を調べていった。棟吉さんは細い金属棒で木の表面を軽く押した。
腐った部分へ当たると、ほとんど力を入れていないのに棒が沈んだ。外側から見える亀裂より、木の傷みは広いらしい。
「底板は替えた方がいい」
棟吉さんが言った。
「側面の板も、下から3分の1は使えんな」
源蔵さんも同じ考えらしい。木箱の形を残したまま、壊れた部分だけを交換する。言葉にすれば簡単だけれど、新しい板と古い板は硬さが違う。無理につなげれば、荷物を入れたときに境目から割れてしまう。
「全部、新しい木で作った方が早いんじゃないですか?」
僕が尋ねると、蓮さんの表情が曇った。
同じ大きさの木箱を新しく作れば、道具としては使えるけれど、それでは父親から譲られた箱ではなくなってしまう‥‥‥
源蔵さんは、それを分かっているらしい。
「早く作ることが目的ではない。こいつが残したい部分を残して、使えるようにするのが修理だ」
源蔵さんは、木箱の縁を指さした。そこには小さな切り傷や、薬品が染み込んだ跡が残っている。蓮さんの父親が救護役として使っていたころについた傷だろう。金具も錆びているけれど、磨けばまだ使える。
持ち手も汚れてはいるものの、革そのものは切れていなかった。
「蓋と縁、金具、持ち手は残せる。底と側面の一部は替える。元の木と同じ色にはならんが、使っているうちになじむだろう」
「それでお願いします」
蓮さんは迷わず答えた。
修理する方針は決まった。
次に決めなければならないのは、料金だった。僕たちは今まで、廃棄物を拾い、自分たちで直して売ってきた。
材料代がほとんどかからなかったため、売れた金額から検査料を引き、残りを仕事をした人へ分けていた。けれど今回は、持ち主のいる物を預かり、失敗すれば、代わりの物を渡すだけでは済まない。
思い出まで壊してしまう。
その責任を考えれば、無料で引き受けていい仕事ではなかった。
「材料は、廃棄物置き場にある木を使えばいい」
源蔵さんが言った。
「金具も元の物を使う。なら、金はほとんどかからんしな」
「だから無料にするんですか?」
「最初の客だ。金を取らなくてもいいだろう?」
予想していた答えだった。源蔵さんは、自分の仕事へ値段を付けることが苦手だ。人の物を直せば、経験値が入る。それだけで得をしたと思っているところもある。けれど、経験値では食材を買えない。
電気代も払えないし、棟吉さんの工具が壊れても、経験値を店へ持っていくことはできない。
「無料は駄目ですよ」
僕が言うと、源蔵さんは顔をしかめた。
「本人が困っておるんだぞ」
「困っている人から高いお金を取れとは言っていません。働いた分はもらうべきだと言っているんです」
僕自身、採取した植物を安く買いたたかれたことがある。
子どもだから、相場を知らないと思われたのだろう。
そのとき、相手は「草を拾っただけだから、元手はかかっていない」と言った。
違う。
植物を見つけるために歩いたし、魔獣へ注意しながら採った。
根を傷つけないよう時間をかけた。
持ち帰る間も、乾燥や折れを防いだ。
材料そのものが無料でも、人が動いた時間まで無料になるわけではない。それは修理も同じだと思うんだ。
「千代さんが洗いました。源蔵さんと棟吉さんが木を選び、削ってつなぎます。僕も植物を調べました。それを全部無料にしたら、この仕事を続けられません」
「だが、いくら取る?」
それが難しい‥‥‥
新しい救護箱を買えば、安い物でも3000円ほどするらしい。
専門店へ修理を頼めば、5000円以上かかると言われたという。
僕たちが同じ金額を取るのは無理だ。
正式な店ではない。
修理の実績も少ない。
それでも、数百円では作業に見合わない。僕たちは紙へ必要な作業を書き出した。
洗浄。
傷んだ板の取り外し。
交換する木材の加工。
木継ぎ苔を使った接着。
金具の研磨。
組み立て。
乾燥。
さらに、完成後の安全検査にも料金がかかる。
「2000円ではどうでしょう」
僕が提案すると、源蔵さんが驚いた。
「そんなに取るのか?」
「高いですか?」
蓮さんを見ると、彼は首を横へ振った。
「店では、直せるか分からないけど5000円以上と言われた。2000円なら払える」
「検査に通らなかった場合は、料金をもらいません」
「それでは、材料代が出ないぞ」
さっきまで無料でいいと言っていた源蔵さんが、今度は材料代を心配している。
人から言われると、急に商売を始めるらしい。
「失敗した場合まで、持ち主に払わせるわけにはいきません」
「なら、失敗しなければいい」
棟吉さんが言った。声は小さかったけれど、そこだけははっきり聞こえた。
職人としての意地なのだろう。こうして修理代は2000円に決まった。
蓮さんから預かり証へ署名をもらい、作業を始める。
まず、傷んだ底板を外す。
釘を無理に抜けば、残す予定の縁まで割れる。
棟吉さんは木の状態を確かめながら、釘の周囲だけを少しずつ削った。
源蔵さんが釘抜きを差し込み、ゆっくり持ち上げた。古い釘が1本ずつ外れ、作業台の上へ並べられていった。
僕は、2人の邪魔にならない場所から見ていた。
手伝えることは少ない。それでも、どの部分を残し、どの部分を替えるのか知っておけば、次に似た物が来たとき役に立つ。
最後の釘が抜け、腐った底板が外れ、木箱の中には、乾いた泥がまだ少し残っていた。その泥の下から、小さな文字が現れた。
『蓮へ。逃げるときは、箱を捨てろ』
蓮さんの父親が書いた言葉らしい。箱を譲るとき、息子へ残したのだろう。
大切な箱だから守れ、とは書いていない。危険なときには箱を置き、自分の命を守れと書いてあった。
蓮さんが鼻潜り鼠から逃げるために木箱を置いたのは、父親の教えを守った結果だった。それでも、父親からもらった箱を失うことは怖かったのだろう。
僕は両親の植物図鑑へ手を当てた。もし魔獣から逃げるため、この図鑑を置かなければならなくなったら‥‥‥
僕は置けるだろうか‥‥‥
命の方が大切だと分かっていても、手放せないかもしれない。
その一瞬の迷いが、両親と同じ結果を招く可能性もあるんだ。考えるだけで胸が苦しくなった。
「樹」
源蔵さんに呼ばれ、顔を上げる。
「どうした?」
「何でもありません」
「図鑑を握っておったぞ」
隠しても、源蔵さんには分かったらしい。僕は少し迷ったあと、正直に話した。
「僕なら、図鑑を置いて逃げられるかと、思っただけです」
源蔵さんは、すぐには答えなかった。やがて、作業台の上の木箱を見ながら言った。
「置いて逃げろ」
「簡単に言わないでください」
「置いた場所を覚えておけば、わしが取りに戻る」
「危険でしょう」
「安全になってからだ。今日も箱は戻ってきただろう」
必ず戻るとは限らない。
誰かに持っていかれるかもしれないし、魔獣に壊されるかもしれない。それでも、図鑑を抱えた僕まで帰れなくなるよりはいい。
「だから、危ないときは置いてこい」
源蔵さんは、もう一度言った。
「物は直せる。探すこともできる。だが、お前の代わりは作れん」
僕は返事ができなかった。
照れたわけではない。
胸の奥に、言葉が深く入りすぎた。しばらく黙ってから、ようやく小さくうなずいた。
「分かりました」
本当にそのときが来たら、置けるかどうかは分からないけど、それでも以前よりは、少しだけ手を離せる気がした。
僕が図鑑を置いても‥‥‥
戻るまで預かってくれる人が、今はいる。




