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戦えない僕は植物図鑑で生き延びる  ~じぃちゃん、いつの間にか最強になってた~  作者: とも


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20/25

3-4 岩陰の黄色い目

 29本の銀筋草へ湿らせた布をかぶせると、荷車の中は半分ほど埋まった。まだ別の植物を載せる余裕はある。普段なら、周辺をもう少し探すところだった。けれど、僕は帰ることに決めた。

「もう戻るのか?」

 源蔵さんは、荷車の空いている部分をのぞき込んだ。

「まだ載るぞ」

「載るかどうかで決めるんじゃありません」

「せっかく大きな岩を動かしたのに、これだけか?」

「29本も採れたんです。今日は十分ですよ」

 第一採取区が再開されたばかりの今日は、普段より慎重に行動する必要がある。安全確認が終わったとはいえ、それは危険がまったくないという意味ではない。安全区域にも魔獣は出るんだ。ただし、現れる魔獣の種類や数が把握され、問題が起きたときに救助へ向かえる範囲に収まっている。それが、ダンジョンにおける安全だった。

 何も起こらない場所ではない。何かが起きても、生きて帰れる可能性が高い場所。その違いを忘れてはいけない。

「閉鎖されている間、人間が入らなくなりました。魔獣の通り道が変わっているかもしれません」

 ダンジョン内の魔獣は、人間の気配を嫌うものが多い。毎日大勢の採取者や探索者が歩いていれば、足音や匂いを避けて奥へ移動する。けれど、数日間でも人がいなくなれば、入口に近い場所まで戻ってくることがある。僕たちが大岩の向こうで見つけた銀筋草も、人が入らなかったから無事だった可能性が高い。植物だけが育ち、魔獣だけが動かないとは限らない。

「さっきは、何もいなかったぞ」

「見えなかっただけかもしれません」

「気配もなかった」

「源蔵さんは、まだ魔獣の気配を見分けられませんよね?」

「わしの勘が、何もおらんと言っておる」

「その勘は、最初の日に牙鼠を見つけられましたか?」

 源蔵さんは黙った。

 あの日の源蔵さんは、牙鼠に追われるまで危険に気づかなかった。

 どうやら、源蔵さんの勘は魔獣より遅いらしい。

「十分な量を採れたら、欲張らずに帰る。それも採取者の仕事です」

 僕は言いながら、自分にも言い聞かせていた。本当は、もう少し探したい。荷車いっぱいに植物を載せて帰りたい。今日たくさん稼げれば、明日は少し楽になるから‥‥‥

 食費を払っても、お金が残る。

 古くなった靴を買い替えられるかもしれない。

 芳江さんへ食材代を渡せるかもしれない。

 欲しい物や必要な物を考え始めれば、空いている荷車がもったいなく見えてくるが、その気持ちを抑え、帰ると決めるのは簡単ではない。

 両親も、きっと同じだった。


 あの日。

 珍しい薬草を探していた2人は、もう少しだけと奥へ進んだのだろうか?あと1本見つければ帰ろう。

 あの曲がり角まで確認したら戻ろう。そんな小さな欲が、逃げる時間を奪ったのかもしれないと‥‥‥

 本当のことは分からないけど、両親はもう、教えてくれないんだ。だから僕は、同じことをしないと決めている。

 怖がりだと笑われてもいい。

 少ししか稼げなくてもいい。

 生きて帰らなければ、次の仕事はできないんだ。

「今日は帰りましょう」

 僕がもう一度言うと、源蔵さんは荷車の持ち手を握った。

「分かった。お前がそう言うなら、帰ろう」

 意外なほど素直だった。もっと文句を言うと思っていた。

「何だ、その顔は?」

「もう少し粘るかと思いました」

「わしは、教える人間の言うことを聞く」

「初めから聞いてください」

「初めから聞いておる」

「大岩を動かす前に、僕は止めましたよね?」

「あれは聞こえなかった」

「都合が悪いと耳が遠くなるんですね」

 棟吉さんと同じだ。年齢を重ねると、自分に都合のいい音だけ聞こえるようになるのかもしれない。

 僕たちは荷車を押し、来た道を戻り始めた。帰りには、途中で見つけた壊れた木箱を回収する予定だ。

 持ち主が分からないため、僕たちが使うことはできない。出口の遺失物受付へ届けなければならない。

 一定期間を過ぎても持ち主が現れず、所有権が放棄された場合だけ、廃棄物として引き取れる。

「木箱は、わしらの物になると思うか?」

 源蔵さんが尋ねた。

「まだ、分かりません」

「かなり壊れておったぞ。普通は取りに来んだろう?」

「大事な物が入っていた可能性もありますし‥‥‥」

「中は泥の付いた布だけだったぞ」

「その布が大事なのかもしれませんよ」

「泥だぞ?」

「思い出の泥かもしれません」

「そんな泥があるか」

 僕にもないと思う。それでも、持ち主が何を大切にしているかは、ほかの人間には決められない。僕にとっての植物図鑑も、知らない人が見れば古びた手書きの本だ。売店へ持ち込んでも、大した値段は付かないと思う。けれど、僕にとっては、どんな高価な道具より大切だ。

 お父さんとお母さんが残した物だから‥‥‥

「持ち主が現れなかったら、直しましょう」

「金具を替えて、割れた板に当て木をする。取っ手もつけ直せるぞ」

「もう、直すつもりですね」

「直せる物を壊れたままにしておくと、落ち着かん」

 源蔵さんらしいと思った。本人は何でも捨てずに直そうとするのに、自分の食事や服には無頓着だった。 自分のことも、壊れた道具と同じくらい大切にしてくれればいいのに‥‥‥

 僕は、そんなことを考えた自分に少し驚いた。

 以前なら、源蔵さんが何を食べようが、どんな服を着ようが関係ないと思っていたはずだ。一緒に暮らし始めてから、まだそれほど時間はたっていない。それなのに、源蔵さんが無理をすれば腹が立つし、怪我をしそうなことをすれば止めたくなる。これが家族に近づくということなのだろうか?


 分からない。


 僕たちは、まだ家族ではない。試験同居も始まったばかりだ。

 それでも、知らない老人だったころより、大切な人になっていることだけは確かだった。


 かりっ。


 小さな音が、思考を断ち切った。僕は足を止めた。

「どうした?」

「静かに!」

 源蔵さんも、すぐに口を閉じた。音が聞こえたのは、大岩の向こう側だ。

 水滴の落ちる音とは違う。

 硬い爪か歯で、石の表面を引っかいたような音だった。

 僕は腰を低くし、耳を澄ませる。

 ダンジョンの中では、音が複雑に反響する。

 近くから聞こえても、実際には別の通路から響いていることがある。反対に、遠くの音だと思ったら、岩1枚を挟んだすぐ向こうに魔獣がいる場合もある。


 かりっ。


 また‥‥‥

 今度は少し近い。僕は大岩と壁の間にできた隙間を見た。

 そこは薄暗く、奥まで見通せない。しばらくすると、闇の中へ2つの黄色い点が浮かんだ。

 最初は、光を反射する鉱石かと思ったけど、2つの点が同時に動いた。


 目だ。

 続いて、尖った鼻が暗がりから現れた。鼻の先が細かく動き、周囲の匂いを探っている。

 灰色の汚れた毛。

 太く長い尻尾。

 口元から突き出した、2本の前歯。

 牙鼠だった。


 初めて源蔵さんと会った日。

 彼を追いかけ、転ばせ、腰を抜かさせた魔獣と同じ種類だ。

 胸の奥が冷たくなる。

 あの日の臭い。

 牙鼠の鳴き声。

 地面へ倒れた源蔵さん。

 黒い実を投げたときの感触。

 忘れたつもりはなかったけれど、記憶は思っていたより鮮明に残っていたようだ。

「源蔵さん。ゆっくり下がってください」

 僕は腰の袋へ手を入れた。中には臭走草の黒い実があった。

 必要なら、すぐに投げられる。

 牙鼠が大岩の陰から出てきた。

 僕たちを狙っているというより、荷車の匂いを嗅いでいるようだった。

 銀筋草の根を包んだ布には、芳江さんが作った野菜スープの残り汁を薄めて染み込ませてある。植物を乾燥させないための試みだった。その肉と野菜の匂いが、牙鼠を引き寄せたらしい。

「銀筋草を食うのか?」

「銀筋草ではなく、布の匂いですよ」

 牙鼠は臆病な魔獣だ。こちらから刺激しなければ、餌ではないと気づいて離れる可能性がある。僕は黒い実を握ったまま、動かなかった。

 今、臭走草を使えば、29本の銀筋草にも臭いが付く。

 今日の稼ぎは、すべてなくなってしまう。それでも、命より大切な草ではない。

 あと一歩近づいたら投げる。

 心の中で決めた、そのとき。


 ごとり。


 荷車の車輪が動いた。地面には、わずかな傾斜があった。源蔵さんが片手を離したため、荷車が牙鼠の方へ転がり始めたのだ。

「源蔵さん、荷車!」

 源蔵さんが慌てて持ち手を引く。

 車輪が石へぶつかり、甲高い音を立てた。


「ギィッ!」

 牙鼠の背中の毛が、針のように逆立った。後ろ足が地面を蹴る。

 体が低く沈む。

 あれは逃げる姿勢ではない。

 牙鼠が突進するときの構えだ。


 その前歯は荷車ではなく、後ろに立つ僕へ向けられていた。


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