3-3 明日の分を残す
大岩の向こうには、38本の銀筋草が生えていた。まったく同じ大きさのものが、きれいに並んでいるわけではない。葉が僕の手のひらより長く伸び、中央の銀色の筋が根元まで太くなったものやようやく土から顔を出し、薄緑色の葉を広げ始めたもの色々だ。
同じ銀筋草でも、芽を出した時期によって育ち方は違うんだ。僕は地面へしゃがみ、葉の状態を1本ずつ確かめた。銀筋草は、葉の中央を走る銀色の筋へ魔力を蓄える。その部分を乾燥させて薬へ混ぜると、傷の治りを少しだけ早めることができる。
大きな怪我を一瞬で治すような薬ではないが、傷の多い探索者にとっては必要な素材だった。
「全部、銀筋草なんだろう?」
源蔵さんが、荷車の持ち手を握ったまま尋ねた。
「そうです」
「なら、全部採れるな」
「採りませんよ」
僕が答えると、源蔵さんは不思議そうに小さな芽を見下ろした。
「どうしてだ? 小さくても、銀筋草には違いないだろう?」
「小さいものは、まだ銀色の筋へ十分な魔力が集まっていません。今採っても薬の材料には使えないので、買い取ってもらえませんよ」
「少しくらい値段が付くだろう?」
「全く付きません」
「1円もか?」
「1円もです」
源蔵さんの顔が急に厳しくなった。小さな銀筋草を真剣に見つめている。
「なら、こいつらは、まだ無職ということか‥‥‥」
「植物を人間みたいに言わないでください」
「金を稼げんのだろう?」
「これから稼げるようになります」
「見習いか」
「もう、それでいいです」
説明を続けると、銀筋草より源蔵さんの話が長くなりそうだった。僕は十分に育ったものと、残すものを分けた。
今日採れるのは29本。残りの9本は、まだ採取には早い。僕は小さな芽の周りへ目印の石を置いた。次に来たとき、荷車で踏まないためだ。
「全部採れば、今日の稼ぎが増えるぞ」
源蔵さんは、まだ納得していないらしい。
「今日だけなら増えるかもしれません」
僕は腰の袋から、両親の植物図鑑を取り出した。
何度も開いたせいで、表紙の角は丸くなっている。紙も少し黄ばんでいるけれど、お父さんとお母さんの文字は今も残っていた。
銀筋草のページには、生える場所や採取方法だけでなく、残すべき量も書かれている。
『群生地では、最低でも3割を残すこと』
お父さんの少し右へ傾いた文字だ。その下には、お母さんの丸い字で短い言葉が付け足されている。
『明日の分を残しましょう』
この言葉を読むたび、少しだけ胸が痛くなる。お父さんとお母さんには、明日が来なかったんだ。いつも次に採る人のことを考えていた2人が、自分たちの次の日を失ってしまった。
それでも、2人が残した図鑑のおかげで、僕には今日がある。
だから、僕も残すんだ。次にここへ来るために‥‥‥
「全部採ったら、次に来たとき何も残っていません」
僕は図鑑を閉じた。
「銀筋草が花をつける前に採りきれば、新しい種も落ちません。今日少し多く稼ぐために採り尽くしたら、来年は誰も稼げなくなります」
魔獣を倒せない僕にとって、植物の生える場所は畑と同じだ。僕の土地ではないし、種をまいたわけでもない。それでも採りすぎなければ、ダンジョンは何度も植物を育ててくれる。だから、採取者は自分で自分の仕事場を守らなければならない。
「顔も知らん、次のやつのために残すのか?」
「そうです」
「次に来るのが、嫌なやつでも?」
「嫌な人でもです」
「お前の悪口を言うやつでもか?」
「‥‥‥少し迷いますけど、残します」
「迷うんじゃないか」
僕だって、何を言われても平気なわけではない。身体もまだ小さいし戦えない。今は草しか採れない。
小遣い程度しか稼げないと、笑われたことは何度もあった。そんな相手のために植物を残したいかと聞かれたら、本当は嫌だ。
それでも、残すんだ。
「採る量まで顔で決めたら、採取者ではなく意地悪な人になります」
「難しい仕事だな」
源蔵さんは小さな芽を踏まないよう、一歩下がった。
「わしなら、嫌なやつの分だけ採るかもしれん」
「源蔵さんには、採る場所を教えない方がよさそうですね」
「冗談だ」
「今、少し本気でしたよね?」
「2割くらいだ」
2割も本気なら十分に危険だった。僕は採取鍬を取り出し、最も大きく育った銀筋草の横へ差し込んだ。根の広がる方向を予想し、少し離れた場所から土を崩す。
葉だけなら簡単にちぎれるけど、銀筋草は根にも薬効がある。途中で切れば、買い取り価格が下がるし経験値も入らない。焦って引っ張ってはいけない。
土の硬さを指先で確かめながら、根の周りを少しずつ掘り、最後に根元を支え、まっすぐ引き上げた。
白く細い根が、湿った土の中から姿を現す。
《銀筋草を採取しました》
《経験値を0.01獲得しました》
久しぶりに聞く声だった。胸の奥へ、小さな明かりが灯ったような気がした。
たった0.01。
魔獣を倒す探索者なら、気にも留めない量だ。それでも、僕にとっては自分で得た経験値だった。
閉鎖されていた数日の間、ダンジョンへ入れなかった。
もう二度と植物を採れないわけではないと分かっていたのに、不安だった。自分にできる唯一の仕事が、急になくなってしまったような気がしたからだ。
源蔵さんたちと廃棄物を拾い、道具を直す仕事も始めた。
楽しかったし、役にも立てた。だけど、植物を採ることは僕にとって少し違う。
お父さんとお母さんから受け取った仕事だ。図鑑を開けば、2人が隣で教えてくれている気がする。僕が今も両親とつながっていられる、数少ない時間だった。
「どうした?」
源蔵さんの声で、我に返った。
「何でもありません」
「草を持ったまま、ぼんやりしておったぞ」
「久しぶりだったので」
それだけで、源蔵さんには通じたらしい。
何も聞かず、荷車の上へ湿らせた布を広げた。
僕が採る。
源蔵さんが受け取り、葉を傷つけないよう並べる。
最初は何本も重ねようとしたため、僕が止めたんだ。次は間隔を空けすぎて、荷車に5本しか載らなかった。3度目で、ようやくちょうどよく並べられた。
「草のくせに、面倒だな」
「草は何も言っていません」
「お前が草の代わりに、全部言っておる」
それは否定できなかった。採取を続けるうちに、荷車の上が銀色の葉で埋まっていった。
1本。また1本。
そのたびに0.01の経験値が入った。最後の1本を引き抜いたころには、爪の間へ土が入り込み、腰も少し痛くなっていたが、嫌ではない。僕は手の中の銀筋草を源蔵さんへ渡した。
「これで29本です」
「870円だな」
源蔵さんは、すぐに値段へ直した。
「ずいぶん稼いだではないか」
「入場料や道具代を引いたら、それほど残りません」
「また夢のないことを言いおって」
「お金の計算をしない方が、あとで夢がなくなります」
以前は、1人で財布の中身を数えていた。
稼げた日も、ほとんど稼げなかった日も誰かに話したところで、お金が増えるわけではないと思っていた。今は、隣で源蔵さんが870円を大金のように喜んでいる。
実際には大金ではない。
それでも、今日の稼ぎを誰かと一緒に喜べることが、少しだけうれしかった。僕は、その気持ちを口には出さなかった。
言えば源蔵さんが調子に乗る。きっと、自分のおかげで採れたと言い始める。だから、心の中だけにしまっておくんだ。
荷車に並んだ29本の銀筋草。そして、地面に残した9本の小さな芽。
今日の分と、明日の分。
お父さんとお母さんが残してくれた仕事を、今日は1人ではなく、2人で終えることができた。




