1-1 世界が変わっても、草は生えている
世界中の山に、突然ダンジョンが現れた。
アジアでも。
ヨーロッパでも。
アメリカでも。
それまで何もなかった山肌に、ぽっかりと黒い穴が開いた。
最初は、ただの洞窟だと思われていた。
だが、穴へ入った人間が戻らなくなった。
やがて、熊によく似ているけれど、明らかに熊ではない獣が山から下りてくるようになった。
それだけではない。
角の生えたウサギ。
人間ほどの大きさがあるトカゲ。
棍棒を持ち、二本足で歩く緑色の小鬼。
それらは、やがて魔獣と呼ばれるようになった。
ダンジョンの中で増えすぎた魔獣は、ときどき外へあふれ出した。
いつからか、町を襲わせないためには、人間がダンジョンへ入り、定期的に魔獣を倒さなければならなくなった。
魔獣を倒さなければ、人間が安心して暮らせない世界になってしまったのだ。
ダンジョンが現れてから、人々の住む場所も大きく変わった。
山がほとんどない地域には、安全を求める人々が集まった。
反対に、長野や山梨、東北地方のように山の多い地域には、探索者や商人が集まった。
魔獣は危険だ。
けれど、その体から採れる素材や、ダンジョンで見つかる鉱石、植物は高く売れる。
ダンジョンの管理に成功した町には、仕事とお金が集まっていった。
安全な土地で暮らすのか?
危険でも稼げる土地で暮らすかのか?
人々は、そのどちらかを選ぶようになっていった。
その間に取り残されたのが、東京だった。
東京の山々にも、いくつものダンジョンが現れた。
けれど、多くは魔獣の発生を抑えられず、封鎖された。
とくに小さな山にできたダンジョンは、周囲に防衛設備を造る場所もなく、管理することが難しかった。
現在、安定して利用できる大型ダンジョンは、高尾山ダンジョンだけだった。
危険はあるのに、長野や山梨ほど豊富なダンジョン資源があるわけでもない。もともと土地も物価も高かった東京からは、企業も人も少しずつ離れていった。
昔は、人であふれていたという駅や大通りにも、今では閉ざされた店が目立つ。
持ち主を失ったビルや建物は管理されなくなり、少しずつ朽ち始めていた。
それでも、高尾山の周辺だけは違った。
探索者。
素材を買い取る商人。
武器や防具を売る店。
魔獣の肉を出す食堂。
高尾山ダンジョンの入り口には、今も多くの人間が集まっていた。
僕の名前は、小森樹
年齢は13歳。
だけど、初めて会った人から13歳に見られたことは、ほとんどない。
背は同い年の男子より頭一つ分ほど低く、体も細い。筋肉だって、ほとんどついていない。
少し長めの黒髪に、日に焼けていない白い肌。
大きな籠を背負って歩いていると、籠の方が僕を背負っているように見えるらしい。
名前をつけたのは、お父さんとお母さんだった。
『地面にしっかりと根を張る、大きな樹のように育ってほしい』
そんな願いが込められているらしい。
13歳になった今も、背の高さだけは名前に追いついていない。
高尾山ダンジョンの受付では、いまだに迷子と間違えられることがある。
それでも、僕がここへ通い始めてから、もう3年になる。
初めて高尾山ダンジョンへ入ったのは、10歳のときだった。
両親が亡くなって、半年後。
2人は、魔獣を倒す探索者ではなかった。
ダンジョンに生える植物を専門に採る、採取者だったんだ。
薬草。
毒草。
食べられる実。
木の根や皮、葉。
魔力を蓄えた珍しい花。
花の中にある、めしべやおしべ。
2人は植物を採りながら、その特徴や使い道を調べ、一冊の図鑑にまとめていた。
けれど、ある日。
珍しい薬草を探していた2人は、突然、魔獣に襲われてしまった。
戦わずに逃げたものの、負った傷が深すぎたんだ。
救助されたときには、もう助からない状態だった。
そのとき僕は、9歳だった。僕に残されたのは、少しの貯金と、一冊の古びた植物図鑑だけだった。
『高尾山ダンジョン・植物調査記録』
売店で買える本ではない。
少し右に傾いた文字は、お父さん。
丸くて読みやすい文字は、お母さん。
ページを開けば、今でも二人に会えるような気がした。
僕には、戦う才能が全くなかった。
剣術適性、なし。
魔法適性、なし。
身体強化適性、なし。
適性検査の結果は、すべて最低だった。
お父さんとお母さんと同じように、僕も魔獣とは戦えなかった。
それでも、生きていくにはお金が必要だった。
探索者の不足が深刻になった今では、10歳になると、講習を受けた者は見習い採取者としてダンジョンへ入ることができた。
ただし、入れるのは入り口に近い第一採取区だけ。
魔獣と戦うことは禁止されている。ただし、どうしてもの時は例外もある、だ‥‥‥
僕は小さな籠を背負い、生活のために植物図鑑を抱えてダンジョンへ入った。
最初の日に採れたのは、銀筋草が27本。
一本採るたび、頭の中に不思議な声が響いた。
《銀筋草を採取しました》
《経験値を0.01獲得しました》
一本で、たった0.01って‥‥‥
100本採って、ようやく経験値が1になる。
最低ランクの魔獣でも、1匹倒せば3の経験値が手に入るらしい。
植物300本分だ。
戦う探索者が聞けば、少なすぎると笑うかもしれない。
だけど僕にとっては、初めて自分の力で得た経験値だったんだ。
次の日も、僕は植物を採った。
その次の日も。
雨の日も。
風の日も
雪が降る寒い日も休まず、植物を採り続けた。
はじめのうちは、一日に20本ほどしか採れない日もあった。
図鑑と見比べなければ、どれが売れる植物なのか分からなかったからだ。
1年後には、葉の形を見ただけで判別できるようになった。
2年後には、どの岩陰に何が生えやすいか分かるようになった。
3年後には、ほかの採取者が見落とすような小さな芽まで見つけられるようになっていた。
相変わらず、剣は使えないが‥‥‥
魔法も使えない‥‥‥
だから僕は、魔獣と戦う代わりに、どうすれば見つからずに済むのかを覚えた。
小さな物音。
草や枝の揺れ。
風に混じる獣の臭い。
地面に残された足跡。
3年間、毎日のようにダンジョンへ通ううちに、周囲のわずかな変化にも気づけるようになった。
足音を立てずに歩く方法も覚えたし、岩や草に紛れ、自分の気配を隠すことも覚えた。
はじめのうちは魔獣に気づくのが遅れ、逃げる途中で転んだり、怪我をしたりすることもあった。
それでも、植物を見分けられるようになったのと同じように、少しずつ魔獣の気配も察知できるようになっていった。
3年頑張って、やっとレベルは2に上がった。
けれど、魔獣と戦えるほど強くなった実感は全くない‥‥‥
体が成長するにつれて、背負える籠が少し大きくなったくらいだ。
長く歩いても、以前ほどは疲れなくなった。
一日に採れる植物も、ずいぶん増えた。
それだけだった。
その日も、僕はいつものように岩陰で銀筋草を採っていた。
根を傷めないよう周囲の土を崩し、そっと引き抜く。
《銀筋草を採取しました》
《経験値を0.01獲得しました》
銀筋草を籠に入れた、そのときだった。
「ど、どいてくれぇぇぇ――!」
ダンジョンの奥から、誰かの叫び声が聞こえた。




