プロローグ じぃちゃん、いつの間にか最強になってた
「逃げろ! そいつは浅い階層に出ていい魔物じゃない!」
倒れた探索者が叫んだ。
僕たちの前に立っていたのは、天井に頭が届きそうなほど巨大な魔物だった。
二本の角。
丸太のように太い腕。
口元から突き出した、黄色い牙。
僕には、名前すら分からない。
でも、戦えないということだけは、よく分かっていた。
僕は腰に下げていた布袋を開き、摘んだばかりの葉を取り出した。
「少し染みますけど、噛みしめてください」
「お、おい‥‥‥何をする気だ」
「止血します」
葉を指でもみ、傷口に押し当てる。
薬草を使った僕にできるのは、怪我人を助けることだけ。
魔物と戦うことはできない。
昔も、今も。
――グオオオオオオッ!
魔物が吠えた。
空気が震え、天井から細かな石が降ってくる。
僕たちを守ろうとした探索者たちは、すでに全員倒れていた。
逃げ道も、魔物の巨体に塞がれている。
それなのに、じぃちゃんは魔物を見ていなかった。
「あ、ああ‥‥‥もったいない」
しゃがみ込み、踏み荒らされた地面を眺めている。
「じぃちゃん、何してるの!」
「こいつが銀筋草を踏みおった。まだ若いが、もう三日もすれば採り頃だったのに‥‥‥」
今は草の心配をしている場合じゃないよ。
じぃちゃんが残念そうにつまみ上げた銀筋草は、魔物の大きな足跡の下で、ぺしゃんこになっていた。
「危ないから下がってよ!」
「大丈夫だ。腰を痛めるぞ」
下がってほしいのは、僕ではなくじぃちゃんの方だ。
魔物がじいちゃんに気づいた。
巨大な腕が振り上げられる。
「じぃちゃん!」
「ああ、うるさい。少し待っとれ」
じぃちゃんは立ち上がると、いつも植物を掘るのに使っている、小さな採取鍬を持ち直した。
そして、目の前に迫った魔物の腕を追い払うように、軽く振った。
ただ、それだけだった。
ドンッ――!
魔物の巨体が吹き飛んだ。
地面を何度も転がり、岩壁に激突する。
壁に亀裂が走り、遅れて天井から小石がぱらぱらと落ちてきた。
誰も声を出さなかった。
倒れていた探索者たちも、治療を受けていた男も、採取鍬を持ったじぃちゃんを見つめている。
じぃちゃん自身も、飛んでいった魔物を見つめていた。
「‥‥‥じいちゃん」
「なんだ」
「いつから、そんなに強くなったんだ?」
じいちゃんはしばらく考えたあと、自分の採取鍬を不思議そうに眺めた。
「わしが聞きたい」
僕とじぃちゃんは、魔物を倒して強くなったわけではない‥‥‥
毎日ダンジョンへ入り、薬草を摘み、土を掘り、重い籠を背負って帰った。
来る日も、来る日も‥‥‥
ただ、生きていくために‥‥‥
始まりは、数年前。
両親を亡くした僕が、一冊の植物図鑑を抱えてダンジョンへ入った。
そこで、魔物から必死に逃げてきた、弱くて貧乏な一人の老人と出会ったことだった。




