2-6 折れた杖と、耳の遠い大工
夕食の机へ持ち込まれた杖は、真ん中から折れていた。ただ折れただけではない。断面が黒く変色し、表面には緑色の粉が付着している。
「食事中に持ってくるんじゃないよ!」
芳江さんの怒鳴り声が食堂へ響く。
杖を持ってきたおじいさんは、何も聞こえていないような顔で笑った。
「今日の飯は、魚か?」
「杖を持ってくるなと言ったんだよ!」
「魚はないのか?」
「話が通じてないようだね、この人は!」
どうやら、かなり耳が遠いらしい‥‥‥
おじいさんは僕たちの机へ杖を置き、自分も空いている椅子へ座った。
「これ、直せるか?」
「まず、食堂から出しましょう」
僕が杖を持とうとすると、千代さんに手を止められた。
「素手で触っちゃ駄目だよ」
「はい‥‥‥」
「樹は分かっておるさ」
源蔵さんがなぜか胸を張る。
「爺さんは何度も触ろうとしていたけどね‥‥‥」
千代さんに言われ、源蔵さんが黙った。僕たちは食堂の窓を開け、杖を布で包み作業室へ運んだあと、机へ防水布を敷いてから杖を置く。持ってきたおじいさんも、当然のようについてきた。
「お名前を教えてください」
僕がかなり大きな声で、ゆっくりと話した。
「井上棟吉。79歳」
「この共同住宅に住んでいるんですか?」
「大工を50年やっていた」
「聞いたことと違います」
「3階の一番奥だよ」
少し遅れて答えが返ってきた。聞こえていないわけではなく、聞き取るまでに時間がかかるらしい。
「これは、棟吉さんの杖ですか?」
「ゴミ置き場で拾った」
「普通のゴミですか?」
「ダンジョンのゴミだ」
棟吉さんは、作業室の看板を指さした。
『ダンジョンのゴミ、歓迎』
「歓迎しているんだろう?」
「源蔵さん。看板を外しませんか?」
「なぜだ?」
「普通のゴミは断れても、危険なゴミが集まってきます」
「だから、樹がいる」
「僕は危険物処理係ではありません!」
僕が怒鳴ると、棟吉さんが片方の耳を押さえた。
「大きな声を出すな。聞こえておる」
「普通に話すと聞こえないでしょう?」
「聞きたいことだけ聞こえるんだろう?」
「便利な耳ですね」
「年を取れば、嫌な話を聞かずに済むようになる」
源蔵さんが、感心したようにうなずいた。
「わしも、そのうちできるようになるか?」
「すでに人の話を聞かないでしょう」
「それとこれは違う!」
僕は2人を無視し、杖に付いた緑色の粉を調べた。粉のように見えるけれど、よく見ると小さな葉が重なっている。葉は薄く、光を当てると透けて見えた。
匂いは、少し甘い匂いがした。
植物図鑑を開き、似た特徴を探す。
緑色。
透ける葉。
枯れた木や傷ついた木に発生する植物。
やがて、お父さんの描いた絵を見つけた。
『木継ぎ苔』
『傷ついた樹木の割れ目に生える』
『乾燥時は緑色の粉に見えるが、水分を与えると粘りのある樹液を出す』
『樹液は木の断面を接着し、時間とともに硬化する』
その下に、お母さんの文字が書き加えられていた。
『人間や魔獣に害はない』
『ただし、金属に付着すると錆を進めるため、木製品以外には使用しないこと』
「毒ではありませんでした」
僕が言うと、源蔵さんが杖へ手を伸ばす。その手を千代さんがたたいた。
「だからって、すぐ触るんじゃないよ」
「害はないと言っただろう」
「金属を錆びさせるんだろう? あんたの手袋には留め金が付いているよ」
源蔵さんは、手袋の金属部分を見る。
すぐに手を引っ込めた。
「千代。役に立つな」
「いつも、役に立ってるよ!」
千代さんは金属の付いていない刷毛で、木継ぎ苔を集めた。杖の表面に付いた分を、小さな木の器へ移す。少量の水を加えると、乾いた粉がゆっくり膨らんだ。やがて、とろりとした緑色の樹液が出てくる。
「これを断面へ塗れば、杖が直るんですか?」
「簡単にはいかん」
棟吉さんが、初めて杖を手に取った。折れた断面を見て、木目を指でなぞる。
「片方の断面がつぶれている。このまま合わせても、隙間ができる」
「削ればいい」
源蔵さんが答えた。
「削ったら、杖が短くなる」
「少しくらい問題ないだろう?」
「道具は、使う人間に合う長さで作るものだ」
棟吉さんが杖を立て、自分の腰へ当てる。
「こいつは、わしが使うにはちょうどいい。短くするなら、直す意味がない」
「なら、別の木を挟むか」
「それでは木目がつながらん。横から力がかかったら、また同じところで折れる」
棟吉さんの声が、少しずつ変わっていた。さっきまでの、ぼんやりした話し方ではなかった。折れた木を前にした途端、言葉に迷いがなくなった。
「棟吉さんなら、直せるんですか?」
僕が聞くと、棟吉さんは口を閉じた。
大きな手を見る。
節の太い指。
だけど、わずかに震えていた。
「‥‥‥昔ならな」
「今は?」
「細かい仕事ができん。線を引いても、少しずれるんだ」
棟吉さんは、震える右手を左手で押さえた。
「大工が線の上を切れなくなったら、終わりだよ」
だから、自分で直さずに持ってきたらしい。源蔵さんは杖を受け取り、折れた部分を確認した。
「どこを削ればいい?」
「わしに聞くのか?」
「木のことは、お前の方が詳しいからな」
「さっきは自分で直せるような顔をしておっただろう」
「できるとは言っておらん」
「言いそうな顔だった」
「顔で判断するな!」
源蔵さんと棟吉さんが、しばらくにらみ合う。
先に笑ったのは、棟吉さんだった。
「道具を貸せ」
「手が震えるんだろう?」
「切るのは、お前だ。わしが線を引く」
棟吉さんは定規を杖へ当てた。
右手だけでは震えてしまうため、僕が定規の端を押さえ、千代さんが反対側を固定した。
棟吉さんは両手で鉛筆を持ち、ゆっくり線を引く。
少し曲がった。
それでも、どこを削るべきかは十分に分かる。
「この線まで、つぶれた部分だけ落とせ」
「全部平らにはしないのか?」
「残っている木目を合わせる。杖が覚えている形を、できるだけ残すんだ」
源蔵さんが、小さな刃物で断面を削り、少し削っては、棟吉さんへ見せる。
「削りすぎだ」
「まだ、線の内側だぞ」
「刃を寝かせろ。木目に逆らうな」
「注文が多いな!」
「下手だから言っている!」
「なら、自分でやれ!」
「できんから持ってきたんだ!」
2人の声が、作業室へ響く。
耳が遠い棟吉さんと、素直に人の話を聞かない源蔵さん。ちゃんと修理が終わるのか、不安になってきたよ‥‥‥
それでも、少しずつ断面が整っていき、最後に合わせると、折れた部分がぴたりと重なった。
木継ぎ苔から出た樹液を、断面へ薄く塗る。
杖を合わせ、余っていた革紐できつく固定した。
「あとは乾くのを待つだけ」
「どのくらいですか?」
「図鑑には、半日と書いてありました」
「なら、明日の朝まで絶対に触るなよ」
棟吉さんはそう言って、作業室の隅へ座った。
「部屋へ戻らないんですか?」
「誰かが触るかもしれん」
棟吉さんが源蔵さんを見る。
「触らんよ!」
「さっきから何度も触ろうとしておっただろう?」
「確認しただけだ!」
「源蔵さんなら、乾いたか確かめると言って触るかも‥‥‥」
「樹まで、わしを信用せんのか!」
結局。
棟吉さんは夕食の時間まで、杖の前から動かなかった。
翌朝。
革紐を外し、杖を持ち上げる。
緑色だった木継ぎ苔の樹液は、木と同じ茶色に変わっていた。
折れた痕は残っているが、両手で力をかけても杖は曲がらなかった。棟吉さんが床へ杖を突き、ゆっくり体重をかける。
一歩。
もう一歩。
杖は折れなかったんだ。
その瞬間。
棟吉さんと源蔵さんが、同時に顔を上げた。
「聞こえたか?」
「聞こえた」
「なんて言いました?」
源蔵さんが答える。
「木製の杖を共同修理しました。経験値を0.15獲得しました」
「わしも同じだ」
棟吉さんが、自分の探索者証を取り出した。
「こんな物を直しただけで、経験値が入るのか?」
「こんな物ではありませんよ」
僕は、完成した杖を見た。
「棟吉さんが使うために直したんでしょう?」
役に立つ物を作ったから、経験値が入った。僕が植物を採るのと同じだ。
「なら、大工仕事を続ければ、手の震えも治るのか?」
「分かりませんけど、レベルが上がれば少し体が動かしやすくなるかもしれませんね」
棟吉さんは、自分の右手を見る。完全に震えが止まったわけではない。それでも昨日より、杖をしっかり握っているように見えた。
「木のゴミがあったら、わしのところへ持ってこい」
「仲間になるんですか?」
「違う」
棟吉さんは、すぐに否定した。
「源蔵が間違った直し方をしないか、見張るだけだ」
「好きにしろ」
「言われなくても、そうする」
また1人、素直ではない人が増えた。
昼前。
僕たちが作業室の片づけをしていると、共同住宅の玄関から僕を呼ぶ声が聞こえた。
「小森君!」
高尾山ダンジョンの受付のお姉さんだった。僕たちが玄関へ集まると、お姉さんは1枚の紙を差し出した。
『第一採取区・利用再開のお知らせ』
「明日の午前8時から、第一採取区だけ再開します」
「入れるんですか?」
「はい。ただし、第2区画より奥は引き続き閉鎖です。新しい通路の調査も続いています」
ようやく、植物を採りに行ける。僕が生活費を稼ぐ、いつもの仕事へ戻れるんだ。
そう思ったとき。
源蔵さんが、当然のように言った。
「なら、明日は全員で行くぞ」
「全員?」
僕は、作業室に集まった人たちを見る。
源蔵さん。
芳江さん。
千代さん。
棟吉さん。
「わしは食事を作るんだよ」
「私は洗うだけと言っただろう?」
「誰が行くと言った?」
3人が、一斉に文句を言う。
「経験値を稼ぐなら、材料が必要だ」
源蔵さんが胸を張る。
「植物も、壊れた道具も、ダンジョンにある」
「勝手に決めないでください!」
僕たちの声が、きれいに重なった。ダンジョンが再開するのは、うれしいが‥‥‥
明日は、植物よりも手のかかる老人を4人も見張らなければならないかもしれなかった。
僕1人で、大丈夫だろうか‥‥‥
とても大丈夫とは思えなかった。




