2-5 最初のお客さんは、同じ家に住んでいた
『修理します』
『ダンジョンのゴミ、歓迎』
元技術室の扉に看板を取りつけた翌朝。僕たちの作業室の前に、大きな袋が3つ置かれていた。
「なんですか、これ?」
「依頼品だろう」
源蔵さんが、うれしそうに袋へ近づく。
僕は、その腕をつかんだ。
「勝手に触らないでください」
「なぜだ?」
「ダンジョンのゴミですよ」
「そう書いたのは、わしだ」
「何が付いているか分からない物を、勝手に拾わないでください!」
源蔵さんは、不満そうに腕を組んだ。
「わしに触るなと言うなら、どうやって直すんだ?」
「最初に僕が調べます」
「そのために樹を連れてきたんだ」
「僕は検査道具ではありません」
「孫みたいなものだ」
「もっと悪いです!」
僕たちが言い争っていると、廊下の向こうから管理人が走ってきた。
「高倉さん!」
今朝も怒っているようだ‥‥‥
源蔵さんと出会ってから、管理人が穏やかな顔をしているところを、ほとんど見たことがない。
「今度は、なんだ?」
「この袋はなんですか!」
「わしが聞きたい」
「高倉さんの看板を見て、誰かが置いていったんでしょう!」
「効果があったな」
「喜ばないでください!」
管理人は、扉に付けられた看板を指さした。
「ここは廃品回収所ではありません。勝手にゴミを集めないでください」
「直せば、ゴミではなくなる」
「直す前はゴミです!」
「そうとも限らん」
「では、この3袋を今すぐ片づけてください」
「依頼人が分からん」
「高倉さんが『ゴミ歓迎』と書いたからでしょう!」
確かに、名前も部屋番号も書かれていない。
しかも、3つの袋は、どれも口が固く縛られていた。
誰かが夜のうちに置いていったらしい‥‥‥
「とりあえず、中身を確認しましょうよ」
僕は厚い手袋と布の覆いを着け、最初の袋を開いてみた。
中から出てきたのは、曲がった金属の皿。
取っ手の外れた鍋。
底の抜けた小さな木箱。
ダンジョンとは関係のない、普通の家庭ゴミだった。
「源蔵さん」
「なんだ?」
「本当にゴミしかありませんね」
「直せる物もある」
「金属の皿は曲がっているだけですね」
「叩けば戻りそうだ」
「誰か、買うんですかね?」
「芳江なら使うかもしれん」
「使わないよ!」
いつの間にか後ろに立っていた芳江さんが、大きな声で否定した。
「うちの台所をゴミ捨て場にする気かい?」
「まだ使えるぞ」
「皿は足りているよ」
「予備にすればいい」
「どこへ置くんだい?」
「台所だ」
「置かないよ!」
次の袋からは、穴の開いた靴や破れた服が出てきた。
これも普通の生活ゴミだった。管理人の顔が、どんどん険しくなっていく。
「看板を書き直してください」
「分かった」
源蔵さんは小さな板を取り出すと、看板の下へ文字を書き足した。
『普通のゴミは、お断り』
「最初から書いといてくださいよ!」
管理人の怒鳴り声が、廊下に響いた。
残る袋は、あと1つ。
ほかの2つより小さいけれど、ずっしりと重い。
僕は袋の口を少しだけ開き、中を確認した。
黒っぽい革が見える。
「これは、ダンジョンの道具かもしれません」
袋を広げると、中から革製の胸当てが出てきた。肩の留め具が切れ、表面には長い傷が付いている。
胸の中央には、茶色い染みついており、革も硬くなっていた。
「防具だな」
源蔵さんが、胸当てを持ち上げようとする。
「まだ触らないでください」
「手袋をしておる」
「染みが何か分かりません」
僕は顔を近づけず、色と表面の状態を確認した。
魔獣の血なら、乾くと黒に近い色になる。
毒茸の胞子なら、細かい粉が残る。
これは、そのどちらでもない。
茶色い染みの端から、小さな緑色の芽が出ていた。
「植物が生えています」
「防具からか?」
「革に染み込んだ汁からだと思います」
図鑑を開き、似た植物を探す。
小さく丸い葉。
葉の縁に並んだ白い毛。
やがて、見覚えのある絵を見つけた。
『革食い苔』
『魔獣の皮や革製品へ付着し、油分と魔力を吸収して成長する』
『水を与えると急速に根を伸ばす』
『除去には、灰と柑橘類の皮を煮出した液を使用する』
その下には、お母さんの文字で注意が書かれていた。
『手でむしると根が残る。残った根から再び増えるため、必ず浸して浮かせること』
「水で洗わなくてよかったです」
「洗ったら、どうなっておった?」
「胸当て全体に根が広がります」
「防具が草になるのか?」
「草ではなく苔です」
「似たようなものだろう?」
「全然違いますよ」
そのとき。
後ろから、しわがれた声が聞こえた。
「それ、直せるのかい?」
振り返ると、廊下の角に小柄なおばあさんが立っていた。年齢は70歳を超えていると思う。
白髪を後ろで小さくまとめ、薄い紫色の上着を着ていた。
僕は、共同住宅で何度か見かけたことがあった。
食事のときも、いつも端の席へ座り、誰ともほとんど話さずに部屋へ戻ってしまう人だ。
「この防具を置いたのは、あなたですか?」
僕が聞くと、おばあさんは小さくうなずいた。
「そうだよ」
「名前を書いてください。危険物だったら、困りますし」
「悪かったね。頼みに来るのが恥ずかしかったんだよ」
おばあさんは、傷んだ胸当てを見る。
「息子の物だったんだ」
廊下が静かになった。
「息子さんは、探索者なんですか?」
「昔は、ね‥‥‥」
おばあさんは、ゆっくり作業室へ入ってきた。
「名前は水島千代。75歳。ここの3階に住んでいる」
千代さんは胸当ての前へしゃがみ込んだ。
触れようとして、途中で手を止める。
「息子は、10年前にダンジョンで死んだんだ」
それ以上は、すぐに続かなかった。
「荷物のほとんどは売ったよ。暮らしていく金が必要だったからね。でも、これだけは売れなかった」
「どうして、今になって直そうと思ったんですか?」
千代さんは、切れた肩紐を見る。
「売りたいんじゃない。捨てたくないだけさ」
でも、傷んだまま置いておけば、革食い苔に食べられてしまう。いずれは形を保てなくなるんだ。
「やってみます」
僕が言うと、源蔵さんも胸当ての前へ座った。
「金具と留め具は直せる。だが、革は無理だ」
「源蔵さんにも直せない物があるんですね」
「わしは何でも屋ではない」
「看板には、何でも修理しますみたいに書いてありますけど‥‥‥」
「『修理します』としか書いておらん」
「直せないとは書いていません」
「屁理屈を言うな!」
僕たちの話を聞いていた千代さんが、胸当ての革をじっと見つめる。
それから、小さく言った。
「革なら、私が洗えるかもしれない」
「洗うと苔が広がりますよ」
「普通の水ならね」
千代さんは、僕の図鑑を指さした。
「灰と柑橘の皮を煮出すんだろう? それなら、染み抜きと同じようなものさ」
「染み抜きができるんですか?」
「昔、クリーニング店をやっていたんだよ。夫と息子と3人でね」
千代さんは防具の傷を確認しながら話す。
「ダンジョンができてからは、探索者の服や防具も預かるようになった。血、泥、粘液、油。普通の洗い方じゃ落ちない物ばかりだったよ」
「それなら、僕より詳しいですね」
「原因が分からなければ、洗い方も決められない。何が付いているかを見分けるのは、あんたの仕事だよ」
僕が見分け、千代さんが洗い、そして源蔵さんが金具を直す。防水袋を再生したときよりも、役割がはっきり分かれていた。僕たちは、図鑑に書かれているとおり、木灰と乾燥させたミカンの皮を煮出した。
液体が冷めるのを待ち、千代さんが布へ染み込ませ、いきなり胸当て全体へ使わず、端の小さな部分へ塗った。
「どうして少しだけなんですか?」
「色が落ちたり、革が縮んだりしないかを見るためだよ」
しばらく待ってから確認する。特に革の色は変わっていないようだ。千代さんは胸当てを液体へ浸し、柔らかい刷毛で表面をなでた。
革食い苔の根が、少しずつ浮かび上がる。
強くはこすらない。革を傷つけず、根だけを取り除いていく。
「すごいですね」
「力を入れればきれいになると思ったら、大間違いさ。古い物ほど、急いで扱っちゃいけない」
全部の苔を取り除くまで、2時間以上かかった。
最後に革用の油を薄く塗る。硬くなっていた胸当てが、少しずつ柔らかさを取り戻した。
その瞬間‥‥‥
千代さんが、目を大きく開いた。
「今、なんか‥‥‥」
「なんて言いました?」
「革製防具から有害植物を除去しました。経験値を0.2獲得しました‥‥‥」
0.20。
植物を20本採取したのと同じ経験値だ。僕にも、0.05の経験値が入っていた。自分のは相変わらず、しょっぱい数字だな‥‥‥
「75歳になって、今さら経験値なんてもらってもねぇ」
千代さんはそう言いながらも、少しうれしそうだった。
「レベルは、いくつなんですか?」
「知らないよ。調べたこともないしね」
「探索者証を持っていませんか?」
「昔、店で必要だと言われて作ったよ」
千代さんが古い探索者証を取り出す。
表示されているレベルは、1。
経験値も、ほとんど増えていなかった。
「これで強くなるのかい?」
「すぐには強くなりません。でも、続ければ少しずつ上がります」
「魔獣と戦う気なんてないよ」
「戦わなくてもいいんですよ」
僕が植物を採るのと同じだ。
芳江さんが料理をするのと同じ。誰かの役に立てば、経験値は入るんだ。
「千代さんは、洗うだけでいいんです」
「洗うだけ、とは言ってくれるね‥‥‥」
「僕には、できませんから」
「なら、仕方ない。あんたたちが変な物を拾ってきたら、見るくらいはしてやるよ」
源蔵さんが、すぐに手を差し出した。
「決まりだな」
「何がだい?」
「仲間だ」
「勝手に決めるんじゃないよ」
「嫌なのか?」
千代さんは少し黙り、僕たちと胸当てを見比べた。
「‥‥‥時々、見るだけだよ」
また1人、素直ではない人が増えた。
翌日。
源蔵さんが肩の金具を直し、芳江さんが切れた革紐を縫い合わせた。4人で修理した胸当ては、すっかり元の形を取り戻した。
傷は残っているし、新品には見えない。それでも、10年前に持ち帰ったときより、ずっときれいになっていた。千代さんは完成した胸当てを抱きしめた。
しばらく何も言わなかった。
やがて、小さな声が聞こえた。
「‥‥‥ありがとう」
源蔵さんは頭をかき、芳江さんは何も言わずに作業台を片づける。僕も、なんと答えればいいのか分からなかった。
お金にはならなかったけど、最初の依頼は成功したと思う。
夕方。
作業室の看板の横へ、新しい板が増えていた。
『修理します』
『ダンジョンのゴミ、歓迎』
『普通のゴミは、お断り』
そして、その下に千代さんが自分で書いた、小さな板。
『洗える物なら、洗います』
僕たちの店には、まだ名前がない。
売り物も、ほとんどない。
お客さんだって、千代さんが最初の1人だ。
だけど‥‥‥
ゴミを直す人が、また1人増えた。
その夜。
食堂で夕食を食べていると、3階に住むおじいさんが僕たちの机へやってきた。手には、真ん中から折れた杖を持っている。
「これも、直せるか?」
源蔵さんが杖を受け取る。僕は表面に付いた緑色の粉を確認する。
芳江さんは、少し離れた場所から言った。
「食事中に持ってくるんじゃないよ!」
千代さんは、杖の匂いを嗅いだ。
「これは、洗うところからだね」
気づけば、全員が杖を囲んでいた。共同住宅には、仕事を失った老人がたくさんいる。
でも‥‥‥
何もできなくなった人が、たくさんいるわけではなかった。できることを使う場所が、なくなっていただけなんだ。




