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龍之介の怪談  作者: 橋平 礼
凪のあとの空き家

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第一節 不在の波紋 ―色白き少年の消失―

 或る冬の入り口の事である。私は四国の、潮騒が子守唄のように響く静かな港町で、多感な中等教育の季節を過ごしていた。その町は、古くからの漁師たちが日に焼けた顔を揃える鉄色の海辺であったが、同級生の佐々木君だけは、その風景から浮き上がった一輪の徒花あだばなのように異質であった。


 彼の父は役所に勤める事務官ホワイトカラーであり、佐々木君自身もまた、温室の植物のように大切に育まれた一人息子であった。色白の肌に知的な眼鏡を掛け、成績は常に上位。その穏やかな微笑みは、誰からも好感を持たれる「模範的な少年」そのものであった。しかし、その端正な輪郭の裏側に、救いようのない虚無が口を開けていたことに、当時の我々は誰一人として気づかなかったのである。


 高校二年の冬休みを目前にした、鉛色の空が低いある日、彼は唐突に教壇の前から姿を消した。担任は苦虫を噛み潰したような顔で「療養に入る」とだけ告げたが、その言葉には、湿った地下室の空気のような不吉な響きが混じっていた。それきり、彼が教室の椅子を温めることは二度となかった。


 三学期も半ばを過ぎた頃、町を駆け巡ったのは、心臓を針で刺すような冷ややかな噂であった。佐々木君が亡くなった――急性の心不全という、あまりに唐突で無機質な死の宣告。それは、実におかしな話であった。かつて別の学友が不慮の事故を遂げた折には、寄せ書きの白地が埋まり、葬列には涙の雨が降ったものだ。しかし、佐々木君の死については、入院先も、通夜の日取りも、漆黒のとばりの向こう側に隠蔽されていた。我々の記憶に残されたのは、昨日まで確かにそこにいたはずの彼が、消しゴムで消されたかのように「いなくなった」という、不自然極まる空白だけであった。


「……本当に、彼は死んだのか?」

「一度、あの高台の家を確かめに行こう」


 好奇心と一抹の義憤に駆られた数人が、放課後の薄暮の中、彼の屋敷を訪ねた。手入れの行き届いた庭が自慢であったはずのその家は、その時既に、周囲の空気から体温を奪い去るような異様な静寂に包まれていたという。


「……父親しか、出てこなかったよ」  


戻ってきた友人は、怯えたように語った。


「母親は寝込んでいると。奥には仏壇の火が灯っていたが、なんだか現実感がなくて。まるで、家全体が巨大な芝居を打っているような、そんな気がしたんだ」


 やがて我々は学び舎を去り、それぞれの人生の岐路へと散っていった。しかし、佐々木君の家は、駅へと続く坂道の途中に、巨大な墓標のごとく鎮座し続けていた。通学路としてそこを通り過ぎる若者たちの間で、やがて「生ける死者」の噂が立ち始めたのである。


「昨日、佐々木に会った。紺色のダッフルコートを着て、あの坂を登っていたんだ」

「俺もだ。目が合ったから会釈をしたら、彼はいつもの穏やかな顔で、そのまま吸い込まれるように玄関へ入っていったよ」


 だが、そんなはずはない。彼は数年前に、この世の戸籍から抹消されているはずなのだ。私は堪らず、近隣の古老に水を向けた。老人は声を潜め、震える指先でその屋敷を指した。


「……あそこの母親はね、息子を失ってから、魂を闇に喰われてしまったのさ。葬儀もせず、ただ暗い部屋に閉じこもり……一年前に、自ら首を括って果てたよ。その後を追うように、父親も精神を病み、ある朝ふらりと家を出たきり、生死さえ分からぬ行方不明さ」


 かつての栄華を誇った庭は、今や膝を越す雑草が死者の髪のように伸び、雨戸はすべて閉ざされた。そこにあるのは、救いようのない「廃墟」という名の死骸であった。


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