第2節 永劫のログイン ―拘束される肉体―
それから数年の歳月が流れ、私は社会という名の荒波に身を投じていた。或る夜、ふとしたきっかけで学生時代の記憶が、泥の底から浮き上がる泡のように蘇った。私は当時の友人たちの消息を求め、電脳の海(SNS)を彷徨った。
あの時、共にいた二人の消息はすぐに見つかった。彼女たちは、世俗の幸福を謳歌し、何事もなかったかのように働いていた。しかし、どうしても「美咲」という娘の行方だけが、深い霧に隠されたように見つからない。
焦燥感に駆られ、姓名や出生の地を重ねて検索を続けるうち、私はようやく、彼女の姉と思われる人物の、更新の途絶えた日記に辿り着いた。其処には、四年前の記事を最後に、血を吐くような記述が残されていた。
『妹は、あの日以来、一変してしまいました。夜中に、自分の指が自分のものでなくなる、凄まじい発作に襲われるようになったのです。今は北関東の、深い森に囲まれた静養所に入っておりますが、快復の兆しはありません。 鏡を見るたびに、彼女は狂ったように叫ぶのです。「誰かが後ろにいる」「あの子が私の指を使って、何かを書こうとしている」と。自分の指を、自分の意志で止められず、噛み切ろうとするため、今は四肢を寝台に拘束せねばならぬ有様です。もう四年も、彼女とまともな言葉を交わすことさえ叶いません』
あの夕暮れの室、電子の回路を伝って何がログインしてきたのか。美咲がもともと持っていた心の裂け目が、異界の呼び声に応えてしまったのか、あるいは――。
真相は、あの湿ったサークル棟の闇の中に沈んだままである。
ただ、私は確信している。文明の利器であれ、古の呪法であれ、見えない世界に不用意に「接続」する真似は、決して、決して軽はずみにしてはならないのだ。
あの子供は、今も美咲の指の上に、自らの指を重ねている。彼女の身体という末端を通じて、あちら側の「何か」を、此方側へ出力し続けているのではないか。
美咲のログインは、まだ、終わっていない。
彼女の魂が、指先から一滴ずつ、暗い画面の向こう側へと吸い取られていくのを想像するたびに、私は自分の指先に、あの合羽を着た子供の、冷たい感触を覚えるのである。
人生は、地獄よりも地獄的である――芥川はかつてそう書いたが、現代の地獄は、案外、手の平の上の、小さな硝子の板の中に口を開けているのかもしれない。




