第一節 硝子戸の向こう側 ―国道沿いの幻影―
或る凍てつくような冬の夜の事である。私は長距離貨物自動車の運転を業とする高橋という男から、その肉体労働で鍛え上げた太い腕を小刻みに震わせながら、世にもおぞましい物語を聴かされた。それは人里離れた国道の傍らに、あたかも死に損なった獣のように蹲る、或る自動給油所での出来事である。
高橋君は、深夜の静寂を切り裂いて走る自らの職務の合間に、その給油所へ立ち寄った。給油を終え、洗車機の巨大なブラシが死の舞踏を踊る脇を通り、拭き上げ場の奥にある自動販売機の灯を目指した時のことだ。そこには、灰色のコンクリートで固められた、うら寂しい便所が併設されていた。
建物の入り口はただ一つ。磨りガラスのはめ込まれた古びた扉があるばかりだ。高橋君がその取っ手に手を掛けようとした刹那、彼は硝子の向こう側に、一体のシルエットを認めた。
それは、鼠色の作業着を纏った男の影であった。男はこちらへ向かって、ゆるりと、しかし確かな足取りで歩んでくる。
(先客か)
高橋君は都会の礼儀を重んじ、相手が扉を開けて出てくるのを待つべく、一歩脇へ退いた。数秒、十数秒……。時間は、沈泥の中に沈む石のように、重苦しく過ぎ去っていく。だが、扉が開く気配は微塵もない。取っ手が回る金属音も、靴が床を叩く乾いた響きも、一切がこの世の闇に呑み込まれたかのように沈黙している。
彼は堪らず、自ら扉を押し開けた。
そこには、白白とした電灯の光に照らされた、無人の空間が広がっているばかりであった。通路の先の洗面台には水滴一つなく、左右の個室の扉は、あたかも骸骨が口を開けたように虚ろに開いている。人の気配など、毛頭存在しない。
(見間違いか……。疲労が眼を欺いたのか)
彼は己の理性に言い聞かせ、足早に用を足した。そして、逃げるように外へ出ようとしたその時である。
背後から、肩を「ポン」と、親しげに、あるいは執拗に叩かれる感触があった。
高橋君は悲鳴を飲み込み、弾かれたように振り返った。だが、そこには冷たい大気が漂うばかりである。しかし、彼が再び前を向いた視界の端を、先ほどの「鼠色の作業着の男」の後ろ姿が、スーッと、事務所の方へ吸い込まれるように、音もなく消えていくのが見えた。
それは人間が歩く動作ではない。あたかも、影が床を滑るような、この世の物理を嘲笑う動きであった。高橋君は総毛立ち、自らの貨物車へ飛び込むと、エンジンを咆哮させてその場を後にした。




