第二節 黒衣の行列
新木の薄暗い下宿に戻った三人は、安物の酒を片手に、テレビ画面の前に陣取った。画面には、ただ単調な、静止画と見紛うばかりの無明大橋が映し出されている。 「やはり、幽霊などというものは、我々の退屈が生み出した幻影に過ぎないのだ」 佐伯が杯を干しながら呟いた。しかし、映像が半ばを過ぎた頃、画面の隅、対岸の闇の底から、何かが這い出してくるのを新木の眼が捉えた。
「見ろ……何か、来るぞ」 新木の声に、部屋の空気が凍りついた。倍速再生を止め、等速に戻す。そこには、純白の装束とは対極にある、炭のような「黒衣」を纏った群像が、橋の奥から現れていた。それは一人や二人ではない。十人、二十人……。彼らは幽霊のように足音を立てず、しかし、物理的な質量を持って、ゆっくりと、確実にこちら側へと歩んでくる。
「何だ、この行列は。葬列か? それとも……」 猪瀬が言葉を濁した。その動きはあまりに緩慢であり、人間らしい情緒が微塵も感じられない。その時、佐伯が唐突に席を立った。 「酒が切れた。そこのコンビニまで行ってくる。続きは、僕が戻ってからにしてくれ」 新木が止める間もなく、佐伯は夜の闇の中へと消えていった。
それから三十分。佐伯は戻らない。新木と猪瀬は、耐え難い沈黙に耐えかね、再び再生ボタンを押した。画面の中の黒衣の群像は、既に橋の半ばまで達していた。彼らは、何か重苦しいものを、数人がかりで肩に担いでいる。それは、不自然な角度に折れ曲がった、人間のような「形」をしていた。
新木は、画面を凝視した。その「担がれているもの」が着ている服――それは、先ほど部屋を出ていった佐伯が着ていた、あの格子縞のシャツと寸分違わぬものであった。
「……佐伯だ。佐伯が、担がれている」
猪瀬の震える指が画面を指した瞬間、窓の外で、夜の静寂を切り裂くようなサイレンの音が響き渡った。
二人が狂ったように表へ飛び出すと、街角には救急車の赤い灯が、地獄の業火のように明滅していた。人だかりの隙間から見えたのは、大型貨物車に撥ねられ、アスファルトの上に無残な肉塊と化した佐伯の姿であった。救急隊員が彼の遺体に黒い布を被せたその刹那、新木の眼には、遺体から立ち上がる数条の「黒い影」が見えた。それはビデオの中の群像と重なり、夜の闇に溶けて消えた。
後日、新木がその映像を、ある霊的な検証を行う機関へ送ったところ、数日も経たぬうちに、封も切られんばかりの勢いで返送されてきた。添えられた手紙には、ただこう記されていた。
『これは霊の類ではない。死そのものが形を成した「徴」である。これを見た者は、既に死の帳簿に名を記されている。直ちに供養し、記録を破棄せよ』
五年経った今も、新木は眠れぬ夜を過ごしている。鏡を見るたび、自らの背後に、あの黒衣の群像が音もなく立っているのではないかという恐怖に、魂を削られている。あの夜、もしビデオを止めずに見ていたなら、あるいは、佐伯を一人で行かせなかったなら――。
しかし、運命という名の羅生門は、一度潜れば二度と戻ることは叶わない。彼は今も、橋を渡ることを極端に恐れている。いつか、自分もあの「担がれる側」になる日が来ることを、確信しているからである。




