第一節 招かれざる指先 ―午前三時の電子音―
或る冬の夜の事である。私は地方都市のさらに端、深い杉林が墓標のごとく立ち並ぶ山間に、ひっそりと蹲る嶺南警察署という小建築を訪ねた。そこで、佐伯という名の若き刑事が体験した、世にもおぞましい物語を聴かされたのである。
その署は、全署員合わせても四十名に満たぬ。夜の帳が下りれば、パトカーの巡回に出る者や、地下の仮眠室で死んだように眠る当直主任を除き、執務室の明かりの下で起きているのは、ただ独りの刑事のみという、静寂の伏魔殿であった。
この署の正門には、夜間のみ作動する赤外線の監視装置が備えられている。門を何者かが通過すれば、執務室に
「ピンポーン」という、無機質な、それでいて神経を逆撫でするような電子音が響く仕組みだ。それは、深夜の静寂の中に独り取り残された勤務者が、不意の来訪者に対して心の鎧を固めるための、一種の防衛策に他ならない。
当時、刑事課に配属されて間もない佐伯は、この孤独な夜勤をむしろ好んでいた。誰にも邪魔されず、蓄音機の針が溝を刻むがごとく、淡々と報告書を作成できるからだ。しかし、その夜、彼は科学という光の届かぬ闇の中から這い出した「来訪者」を迎え入れることになる。
時刻は午前三時。
キーボードを叩く音だけが、骨を噛み砕くような乾いた響きを立てて室内に満ちていた、その刹那である。
「ピンポーン……」
突如として、あの音が鳴り響いた。佐伯は反射的に窓の外を覗いた。水銀灯の青白い光に照らされた駐車場は、まるで凍りついた沼のごとく静まり返り、人影も、あるいは迷い込んだ犬の姿さえも見当たらない。風に揺れる杉の枝が、闇の中で巨大な指のように蠢いているばかりである。
(風の悪戯か。あるいは、目に見えぬ虫の羽ばたきか……)
彼は己にそう言い聞かせ、再び作業に戻った。しかし、その数日後の当直。またしても午前三時過ぎにセンサーが反応した。やはり外には誰もいない。ただ、夜霧が不気味に渦巻いているばかりである。
「故障か」
翌朝、彼がこの不可解な現象を同僚に漏らすと、年配の盗犯担当刑事が、濁った眼を向けて事も無げに言った。
「ああ、あの音だろう。俺の時も鳴るんだよ。誰もいないのに、誰かが門を潜ってくるのさ」
他の署員たちも、一様に「自分も経験した」と、まるで呪われた家系の秘密を語るかのように口々に漏らした。結局、装置は新品に交換されたが、それが更なる惨劇の序章に過ぎぬことを、その時の佐伯は知る由もなかったのである。




